vitamin-log

□スタートライン
1ページ/1ページ


チクタク、と時計の針が静かな部屋にやけに大きく鳴り響く。
月の光だけが真っ暗な部屋を仄かに照らす。

キツく瞑っていた瞼を開け、溜め息を一つ落として起き上がった。


………眠れない。


身体は疲れていて睡眠を欲しがっているのに、目が冴えてしまってなかなか眠りが訪れてはくれない。
原因は分かってる。



明日が、卒業式だから。



髪を軽く掻き上げ、ベッドから下りる。
そして壁に凭れ掛けておいたケースを開け、ベースをそっと取り出した。


音楽を始めてから、緊張したり気分が落ち着かないとき。
いつもベースを触るようにしていた。
そうすれば自然と肩の力が抜け、安心出来る。
謂わばベースは相棒であり、俺の精神安定剤のようなもの。

いつも大抵はこれで気持ちは落ち着く。
けれど今回ばかりはそうもいかなかった。
それどころかドクドクと血が全身を巡るような感覚が増していく。


何せ明日の、いや明日以降の俺の人生を左右するものなのだから。


さすがにこんな時間。
弾くわけにはいかないので代わりに音は出さずにベースの弦を押さえる。
それから頭の中のメロディに合わせるように指を動かす。
いつも通り、練習通り、ライヴ本番通りに。



俺は、先生にたくさんヒドいことをした。
謝っても謝りきれない傷をたくさん作った。


分かっている。


分かっていて尚、それでも俺を選んでほしいと望むのはエゴに他ならないということも。



昨日、新生ヴィスコンティのメンバーみんなに頭を下げて頼んだ。



“最初のライヴは俺の一番大切な人だけに聴かせたい”



自分の我が儘。
だけどメンバーはみな、二つ返事で承諾してくれた。
『お前がお世話になった先生のためなら』
祐次はそう笑った。


気付かなかったもの。
気付こうとしなかったもの。

忘れていたこと。


全部全部、先生が気付かせてくれた。思い出させてくれた。



最初は何てしつこい教師だ、とうんざりしていたのに。

いつからだろう。
先生を目で追いかけて。
振り向いてほしい。
俺だけを見てほしいと。


そう願うようになったのは。



明日は卒業式。


明日でもう俺は先生の“生徒”ではなくなる。
でも俺は、あの人にまだ何一つ伝えてない。




『ありがとう』も、
『ごめんなさい』も、

『愛してる』も。



いや多分一生かかったって伝えきれないだろう。

だから伝えるんだ。
ベースに乗せて。


心からの感謝の言葉と、たくさんの愛の言葉を。


卒業は終わりじゃない。
『始まり』だ。
ようやく俺が先生と同じ場所に立てる、その一歩目。




だから先生、……悠里。
どうか俺の手を取って。



傷つけた分だけ、必ず幸せにすると誓うから。





end.
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ