SRX-log

□産声を上げる
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「違う違う、そこはこっちを裏返すの」

「お、おう、そうか」



そう言いながらフェルナンデスは覚束ない手つきで円形状の石をひっくり返す。
白から黒へ、色が変わる。



「こ、こうでいいのか」

「うん、大丈夫だよ」



アキラが安心させるように笑いかければ、フェルはようやく少し肩の力を抜き。
そうしてまた白と黒の盤面に視線を戻す。
大きな身体が真剣な眼差しで小さなボードゲームと向き合っている姿は、あまりにも不釣り合いで。
しかし苦戦しながらも、それでも投げ出さず頑張っている様子は微笑ましい。

ボードを挟んでフェルの真向かいに座ったアキラは、何とも不思議な心持ちで石を盤面に置いた。




『よう、かわいこちゃん。悪いが、ちっと付き合っちゃくれねぇか?』




アキラがメンテナンス室の前を偶然通りかかった際、そうフェルナンデスに声を掛けられたのは約三十分前のこと。
何だろうと首を傾げながらも了承すると、そのまま中に連れて行かれ。
椅子に座らされた彼女の前にドン、と音を立てて置かれたものは。
自身の石で相手の石を挟み、ひっくり返して自陣の面積を増やしていくというボードゲーム、――――所謂オセロだ。

クエスチョンマークを飛ばして更に首を傾げたアキラの耳に飛び込んできたのは、予想だにしない言葉だった。



『こいつを俺に教えてくれ』

『、え!?』

『何だよ、そんなに意外だってーのか』

『意外っていうか……』



意外どころの話ではない。
日頃、口を開けば勝負だ闘いだと騒いでいるフェルナンデスが。
まさかオセロを教えてくれ、などと言ってくるとは夢にも思わなかったのだ。



『えーと…オセロのルールとか、やり方を教えればいいのよね?』



まさかこの盤面で殴り合うだとか、そんな事態にはならないだろうと思いつつも。
一応、安全と確認のため聞いておく。



『おう、そうだ』

『そっか分かった、いいよ』

『ホントか!?恩に着るぜ、かわいこちゃん!』

『教えるのはいいんだけど、どうして急に?』



その至極当然な疑問に、フェルは突然いきり立った。



『それがよぉ、聞いてくれよ!!』

『う、うん…』

『こないだディバイザーの野郎に言われてこのおせろ、ってヤツでレスと勝負したんだ!』

『レスポールと?』

『そしたらよう……』



フェルが言うにはこうだ。

ディバイザーに言われ、オセロでレスポールと勝負したところ。
見事負けた、というより途中で訳が分からなくなって石でなく、盤面をひっくり返したらしい。
その時レスポールは笑いながらこう言ったとか。



『やーっぱりねぇ、脳みそも筋肉バカのフェルが俺に勝てるわけないじゃん』



その言葉に腹を立て、何とか見返してやろうと練習しようにも。
他のサブスタンスたちにはきっぱりと断られしまい、何よりルールが分からない。
困り果てていたところに丁度通りかかったのがアキラだった、という訳である。




「……どう?ちょっとは分かったかな」



五ゲーム目を終え、アキラが尋ねた。
最初に比べればフェルも随分と進歩を見せている。
何せ一ゲーム目などまともに石を置くことも、最後までゲームを続けることも出来なかったのだ。



「おぅ!何となくだけどよ、ようやく分かってきたぜ」

「そっか、良かった」

「手間かけさせちまってごめんな」

「ううん、お役に立てたなら嬉しいよ」



どことなく申し訳なさそうなフェルに、アキラは優しい笑みを浮かべる。

力勝負ばかりに熱中していたフェルが、オセロというゲームでレスに勝とうと努力していること。
そして偶然でも自分を頼ってくれたこと。
アキラにはそのどちらもが嬉しかった。



「よく頑張ったね、フェル。偉いよ」

「……!」



身を乗り出していい子いい子と頭を撫でると。
それに動揺したフェルは勢いよく立ち上がった。



「な、なんだよ!子ども扱いすんな!!」

「ご、ごめん、そんなつもりじゃ……」

「……別に、怒っちゃいねぇけど、よ」



そっぽを向いてしまったフェルの声は照れ臭そうな響きを伴っていて。
自分の何倍も身体の大きいフェルナンデスが、アキラにはとても可愛く見え。
思わず笑みが零れる。

フェルは何だか居心地が悪そうにガシガシと頭を掻く。



「と、とにかくだ!今回はありがとな。この借りは次の闘いで返すぜ!」

「借りとか別にいいのに……でも頼りにしてるわね」

「おぅよ!オレに任せときな!!」

「うん、……あ」



不意にアキラが何かを思い付いたようにフェルを見上げる。



「? どうした、かわいこちゃん」

「あのね、フェルに一つお願いしたいことがあるんだけど……」

「いいぜ、言ってみな」



少し言いづらそうに視線をさ迷わせた後、アキラはゆっくり口を開いた。



「あのね、かわいこちゃんって呼び方……止めない?」

「ん?気に入らねぇか?」

「何て言うか、やっぱりちゃんと名前で呼んでほしいなって。それに、フェルにそう呼んでもらえたらすごく嬉しい」



駄目かな?と首を少し傾けたアキラに、フェルは目を瞬かせた。
そしてそのまま黙り込んでしまったのを不思議に思い、「フェル?」と下から覗き込んでみると。
何故か慌てた様子で顔を逸らした。



「わ、わーったよ、名前で呼べばいいんだな!?」

「いいの?」

「別に、それぐらい構わないぜアキラ」



さりげなさを装って呼ばれた名前に、アキラは顔を綻ばせた。
途端、ドクリと胸の奥で大きな音が鳴り響く。
それに呼応するように全体に柔らかな亀裂が走った。



「……ん?」

「どうしたの?」

「いや、今なんか……」

「?」

「……何でもねぇ」



何とも言えない違和感に首を傾げながら、フェルは胸の辺りをさすった。
別に怪我はしていない。

じゃあこの妙な感じは何なのだろう。
モヤモヤするような、ドキドキするような今まで体験したことのないこの不可解な感情は。

考えても分からず、元々考えることが不得手な彼はすぐに思考を放棄した。
放っておけばいずれ治るだろうと高を括って。


けれどこの日、フェルナンデスは確かに聴いたのだ。





(厚い殻を破って外に這い出てきた、恋情の産声を)


 

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