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□小田原の姫と風魔小太郎
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何重にも積まれた策は敵ながら見事で、まんまと城主から風魔小太郎を遠ざけた。瞬く間に炎は燃え広がり城を包み込む。彼がようやく城内に足を踏み入れた時には行き場を失くした味方も攻め入った敵も、みな狂気の中で激しく血潮をたぎらせていた
しかし風魔はそれらの人々に目もくれず上へ上へとのぼり詰める。上がりきった先には名のある絵師が描いたという美しい桜が一面を覆う襖があった
「ひどい戦じゃ」
その声音は、嘆くでもなく悲するでもなく、けれどただひとつの事実を呟いた
襖は開かれており、部屋の中には沢山の伏した敵。その屍の上に唯一立つのは己の雇い主でありこの城の主である北条氏政だった。風魔は一歩引いたところに立つ。被っている血が敵のものだけなのか自身のものも混じっているのかは風魔にもわからないほどに、北条氏政は血に濡れている。まだ炎が届いていない此処は血の臭いしかしない
「落城するのう」
民には済まんことをした。小田原を見下ろしながら言う北条に、風魔は常と同じく僅かも反応しない
「おぬしに払える金子はもう無くなってしもうたからのう…もう雇うことは叶わん」
北条は憂い気に言うが風魔はやはり動かなかった
「今より北条の忍ではなくなったわけなんじゃが…」
鼻まで隠す兜の奥の瞳を捉えるように、北条が風魔を見る
「金はやれないが首ならやれる。わしの首をやるから最後にひとつ引き受けてはくれんかの」
「あの子を城から連れ出してほしいのじゃ」
微動だにしなかったが風魔の脳裏にはひとりの女が浮かぶ
「あれは城と共に朽ちる気でおるが…老いぼれの我が儘じゃ、やはり生きててほしいと思ってしまう。…生きておれば報われる日も来るじゃろうて」
それきり黙った北条を風魔は何を示すわけでもなくじっと見ていた。北条も逸らしはしない。寸の間が数刻ともとれるような刻の流れのなかで、動いたのは風魔だった
北条との距離を半歩詰めて血で黒ずんだ畳の上に肩膝を付き、そして、黒い靄になって消えた
北条は数瞬前に居た彼が膝付いた場所をそれはそれは嬉しそうに眺めてから外に目を移し、小田原を眼下に閉じ込めた
「なんと甘き死の刻よ」
火の粉の爆ぜる音が迫る
風魔が見つけたときには既に女は事切れていた
薄く開いた眼は洞のように暗い。風魔は歩み寄り眼を閉じてやり、それからまだ仄かに熱を持つ女の身体を抱き上げる。仕えて浅くない月日のなかで風魔が初めて女に触れた瞬間だった
城の外は完全に取り囲まれている。味方と呼べる立場の者は殆んど殺されてしまっているだろう。風魔小太郎と言えどこの状況で人ひとりを抱えて城を抜けるのは、とうてい無事では済まない。しかし彼に躊躇いなど微塵もなかった
無数の刄が襲う。女が傷つかぬようにと、風魔がすべてを被り血を流す。走りぬけた彼はやがてとある場所に着きようやく止まった。城を出て林を抜けた先にある小高いその丘からは小田原がよく見え、この風景は女が好んでいたものだった
風魔は地面を掘り起こし女をそこへ横たえ、足先から丁寧に丁寧に土を被せていく。その所作は慈しみに溢れているようで、彼からとめどなく流れる血は涙のようでもあった
首まで土を被せたあたりで、淀みなく動いていた風魔の手が止まる。もうすっかり冷たく硬くなった女の肌は黄ぐすみしていて、桜と同じ色だった頬には面影さえ残らないがかすり傷ひとつ無いこのかんばせはきっと美しいと呼ばれるものなのだろうと彼は霞みはじめた思考の端で考える。薬を仕込まれていたのだろう、血は一向に止まらなかった
数多の人間をほふってきたからこそ判る。己から死の気配がする
雇い主は殺された。金子を払う者は殺された。護るべき者は殺された。誰も居なくなった。居場所を失った。それだけだった。金の為に、生きる為に、風魔一族の為に、それらだけが風魔小太郎を形成していた。そのはずだった
雇い主は北条氏政だった。金子を払うのは突き詰めれば小田原の民だった。護るべきは一人の姫君だった。小田原の城には誰も居なくなった。居場所を失った
なにもかもを失った気がするのは何故だろう。世の崩壊をみた気がするのは何故だろう。そんなはずないのに。そんなはずはないのだけれど、彼はこれからの生き方がわからなかった
女の顔にもすっかり土が被せられ、大地となった。もう風魔しか居ない
血の気が抜けた風魔は立ち上がることが出来ず、女を埋めた地面のすぐ隣に俯せに倒れた。己からは既に死臭が漂っている。死というものに対して何かを抱いたことは無い。動かなくなり腐りはて消えていくだけだ。これだけは武家人であろうが農民であろうが忍であろうが関係無く、無情なほど平等に与えられた権利なのだ
血と土にまみれた手が地面を這う。この下には女の顔がある。女はこの下で醜く腐り骨だけになるのだ、己もそうであるように。やがては同じ姿になるのだ
風魔小太郎は、きっとそれが嬉しかったのだ
女の声はどうしてだかよく通ると気づいたのは雇われて随分経った頃だ。女性特有の頭の天辺を抜けるような高い声のせいだろうか。脈々と受け継がれる悪魔を背負う名を恐れることも蔑むことせず口に出し、平気な顔で彼を隣に立たせる女の声はいつまでも耳に残るのだ。そうして投げ掛けられた言葉が特別だったのかはわからない。振る舞われた態度が特別だったのかはわからない
けれどこんなにも間近で人が笑う姿を見るのは初めてだとは思った
女の輪郭をなぞるように手が動く。初めて触れた女の感触を思い返しながら緩やかに。それからその手を自身の唇へと寄せた
風魔小太郎は事切れる直前、きっと愛しかった
彼自身は最期まで理解することはなかったが、今日の日の彼はどこまでも誰よりも人間として生きて、そうして死んでいったのだ
主人は冷たい土の中
(笑って手招いている貴女の隣へ逝ってもよいのでしょうか)
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感情についてよく知らないガチで忍な小太郎の忠義と恋の微妙な感情を書きたかったんだけど…
うん、無理だった
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