文章2

□猿飛佐助の報われない恋心
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遠の昔に奥底に沈めたはずの心が浮かんで内から感情が漏れ出てしまったのだ







姫様が嫁がれた。引く手数多であった姫様が選んだのは、乱世を生き抜くには少し頼りなさ気な雰囲気を醸し出す優男であった。ああなんて姫様らしい。天下を取る器ではないが、深い情を讃えた瞳はきっと誠実に姫様を想う人なのだろうと言う事が窺えた。もとより、真田の旦那や大将が認めたのだ、それだけで充分だった。嫁入り道中は晴天で、世界までもが二人を祝福しているかのようで、それが俺には手の届く筈のないお方だったと益々実感させられた。いまさら実感などしなくとも、最初から理解していたしどうにかしようなど思いようもなかったのだが。それでも刃に突かれたような痛みが胸に湧いたのは、俺がそれだけ本気だった証なのだろう。莫迦だ。必要の無い感情が育つのを止められなかったのは自分自身で、この感情の行き着く先が何処かも知っていたのに。俺を見ることなく御輿に揺られる姫様を見ていられなくて、任があるからと最後まで見送ることをしなかった










「参ったねこりゃ」
今じゃなくてもいい任務を早々に終え、ひとりで森の中の手頃な木の上に立つ。きっともう姫様は新たな住まいへと身を移したことだろう。帰っても其処に姫様は居ないのだと思うと無意識に弱音が出た。これで胸の苦しさが少しでも逃げてくれれば良いのだが、そう簡単にはいかないようだ。真田の旦那付きの忍である俺が姫様と関わることはあまりなかった。真田の姫君であるのだから、旦那の忍とは別に護衛する忍は当然居たし、戦に出ることのない姫様に影の存在はそう必要なものではないのだ。それでも旦那の側に居れば姫様の名を聞くことも多く、姿を視界に入れることも容易かった。こんなに綺麗な人が居るものなのかと感嘆した。目を奪われる、とはまさにこの事だと思った。それがほんの瞬きのうちでも、忍としては失格だろう。しかしそんなことさえ頭から飛んでしまった。かんばせの美しさだけではない。強い意志を感じさせる真っ直ぐな眼差しは旦那に似ているのにどこか、今にも消えてしまいそうな儚さも持ちあわせていた。それがとにかく美しく見えた。これがただの一目惚れだと気づいたのは、それから暫くの後だったが

報われるはずもなかった。いや、報われたいとすら思っていなかった。忍と姫が結ばれるなど、絵巻の中でしかあり得ない絵空事だ。そんな結末、想像つかない。俺は、姫様が時折、言葉を掛けてくれるだけで満たされた。俺なんかが触れていいお方ではない。想いを馳せることが罪だとさえ思う。自分自身でも嗤える。まるで生娘みたいな巫山戯た恋心だ。何も望まずにいられる恋慕など存在しないと言うのに

「遠くなった途端にこれかよ」
本当は俺を見て欲しかった。何度だって名前を呼んで欲しかった。叶わないとどれだけ理解していても傍にだけは居たかった。秘めた想いが、どうにもならない最後の最後でじわじわと熱を帯びて湧き出る。服の上から心の蔵をぎゅうっと掴んでみたところで、堰を切った想いは流れることを止めないし痛みも引かない。菜の花色した髪を持つ同郷の女も、同じように苦しんだことがあるのだろうか。声を上げ、全てを捨て、そうして傍に居られる今は何を想うのだろうか。呆れるくらいにひとりの男しか映さないあの瞳と心を、俺も真似出来たら何かを変えられたのだろうか。フッと短く息を吐き、肩の力を抜いて空をあおいだ。そこにあるのは忌々しい晴天。俺はお天道様にも嫌われた気分だ。せめて雨なら、と考え、そうなれば姫様が哀しまれると想い至る自分に今度は深い溜息が出た

「俺様ってばどこまでも一途なわけね」
涙の流し方も忘れてしまったけれど。一生のうちにきっと一度きりのこの恋に縋りつけない俺だけれど。失くしたと思っていたはずの心に生み落とされたこの想いは本物だった。それを捧げた相手が貴女でよかった。音にする日は来ないけれど






















あるいは幸福の牢獄



(俺は貴女を愛してる)
















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佐助はかすがのようには生きられない
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