12/18の日記

01:08
12月17日
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12月17日未明2時22分

お父さんが息を引き取った。
実家で、寝ている時に父が苦しそうに唸っているのに母が気がついて、少し苦しんだ後イビキが聞こえてきて大丈夫かと思って母はトイレに行って戻ってきたら目が上を向いたまま動かなくなっていたのだそう。

その日、父は3年前に心不全を患い、食生活には気をつけなくてはいけない状況だったのに、好きなだけ好きな物を食べてお酒のんでミントのタブレットを20個とかガリガリたべたりしていたんだって。ご飯食べたのにお菓子を美味しい美味しいって言って幸せそうにたべていて、母はそんな父を注意するけど、父は口癖のように人間いつか死ぬんだと言って食べるのをやめなかったんだって。そしてその夜息を引き取った。
まだ還暦のお祝いを翌年にしたばかりで、61歳という若さで亡くなった。

札幌に住んでる私の携帯が未明2時半に電話きて、嫌な予感をして電話に出たら、母がお父さんが死んじゃったって。そんなこというから、えっ!ってそれ以上の言葉が出なくて、でもそうなんだ、え、嘘だ。嘘だよねって。繰り返し願って。母も気が動転していて、その時点では次男には既に連絡取れていて実家に向かってくれていると言っており、長男は仕事でLINEの既読がまだつかないとのことだった。その私への電話は電話は病院からしてくれていたようだ。
次男が駆けつけた頃はまだ手が温かかったんだって。

私は無職だったからしばらく実家でお母さんの傍にいられるように荷造りをした。同時に長男に時間後出来たらLINEしてもらえるようメッセージを送った。少ししたら長男から電話が来て、これから実家に向かうということだったから、荷造りを急ピッチに進めた。でも私も混乱していて、何を持っていけばいいのかとか訳が分からなくて掃除したばかりの部屋がグチャグチャになった。とりあえず、葬儀の前に必要なものを札幌に取りに戻ると長男がいったので、荷造りをもそこそこに迎えに来てくれた長男の車に乗って帰った。

実家に着くと父のご遺体はなくて、車の中で次男からの電話で聞いていた、病院では死亡原因が不明。警察でも調べてみても分からなければご遺体は札幌の病院に移されて解剖されるという話だった。病院ではなく実家で亡くなったので、事件性がないかハッキリさせるため警察に事情聴取や捜査をされている最中のところに私と長男は実家についた。もし、札幌に移動となったら、原因がわかるまで、私と長男は父のご遺体に会えないという話だった。

実際にご遺体を見ていないから車中でも実感がなくて、運転する長男と取り留めもない話をしながらの道中で、家の中にいて警察がいるのを見ても、やっぱり実感がなくて。

父の死因について結果がでれば警察から電話がけるということだったので、その間に葬儀場の手配をすることに。でも葬儀をするにも、死因が不明のため死亡届がまだ出せていなくて、手続きが行き詰まった。
そうそう、次男と一緒に芽吹きちゃんとつぐたんが部屋にいて大変癒された。正月以来の対面。まさかこんなタイミングでとは思いもしなかったけど。

結果的に急性心臓心死いわゆる突然死ということだった。持病の、心不全でもなく、脳も綺麗だったから脳卒中でもなかったらしい。事件性がないことは証明されたので警察に安置されているご遺体に会えることになった。

警察から電話が来る前にメモリアルグループという葬儀屋と話し合い葬儀場が苫小牧市葬儀場に決まった。
地元の市民ホールでとも思ったが、21日まで予約が埋まっているということだった。そのため苫小牧で執り行うことになった。
コロナの、ご時世のこともあり、その方があまり人も来ないだろうとも踏んで。

警察署に行って、担当の刑事さんに死因についての説明を聞き、ようやくご遺体に会えた。涙が止まらなかった。耳の色が青白くて、鼻と口には綿が詰められていた。表情は文字通り安らかということばが当てはまるくらい、穏やかに、まるで眠っているようだった。今にも起きて話し始めるんじゃないか、イビキが聞こえてくるんじゃないかって。もう、話せないという事実がとてつもなく悲しくて。親孝行、出来なかったよなぁって。すごく心残り。心配ばかりさせて安心させて上げられなかったことがすごく悔しい。母がいうには、札幌で仕事しないで、実家に帰ってきて、パートとかバイトとかで、一緒に住むのもいいよなぁ、と言っていたのだそう。そんな未来も、悪くなかったよなぁそうなったなら、父は娘と暮らせて幸せだっただろうかとか考えて、 書いていたら嗚咽してしまった。

今は通夜の前日、隣にしょっちが寝てる。可愛い寝息が聞こえるー。嗚咽なんとか抑えたー。下の階からは起きている私以外の長男次男母の話し声。話に参加したいけど、私がいない所でしか話せないようなこともあるだろうから、ここは我慢。そういう時間も大事だろう。左を見たらしょっちがこちら側を向いてスヤスヤ眠っている可愛いー…癒しありがたい。芽吹ちゃんとつぐたんは葬儀場から徒歩5分圏内に家があるのでお家にかえっているよ。

葬儀場の見学とかするとき、お父さん以外の家族が揃っているのがなんとも言えない悲しさを感じて、ああそうだこれはお父さんの葬儀だからお父さんはいないんだって再認識させられる度涙が膜を張る。ティッシュで鼻をかみすぎてヒリヒリする。ずっと不思議な感覚。ご遺体を見たのにまだ実感出来ていないようだった。

父は好きなものを幸せそうにこれ美味い!美味いなぁ幸せだなあなんて言いながらお菓子を食べていたし、息を引き取る瞬間も、苦しかっただろうけど、少しの時間だけ。ポックリ。ある意味好きなことをして、駆け抜けてきた人生を謳歌していたのだから、うちのお父さんは幸せだったよねって。みんなで言ってる。てか本当は17日健康診断だったんだって。なのにお酒飲む61歳マジ、やべー。もはや自業自得というか、まあしゃーないよな感が否めなかった。それもみんな同じく思っていて口々に笑いながら言っていた。死んだのに笑われる父おーい!な感じ。

明日てか3時間半後には起床して通夜の前に札幌へ荷物とりに行かないといけないのに眠れない。もう寝なくていいのでは。

寝る前に、長男は先に2階に寝ていて、ご遺体のある1階で母次男私で話していた。
その話の中で、今後について。お母さんとずっと実家で私も一緒に暮らすか、お母さんが札幌にきて私と一緒に住むか、苫小牧の正富おじさんのところに母が住むか。穂別のじいちゃんばあちゃんのこともあるから話はもっと深刻になる。
私は母と一緒に住むことは全然問題ない。でもそうなると、やっぱり近くに次男がいる苫小牧か、長男がいる札幌がいい。でも実家を放置する訳にはいかない。

これ、もしこのまま実家住みになったら、もう、気軽にりささんと会って遊べないのか。あやちゃんとも。って思った。
本当は今月の23日に前から行きたかったチョコレートビュッフェに行く予定だった。年末年始はコロナのこともあり、実家に帰省せず、札幌で、私の家でりささんと年を越そうと思っていたし、来月は私の誕生日のお祝いをするのにシフトの休みを2人が合わせてくれていた。ああ、これ全部、出来ないんだ。次いつ2人と会える?本当にいつだ?今生の別れという訳じゃないけど。
この先どうなるんだろう。どうするんだろう。どうすべきなんだろう。

母はとりあえず、穂別の2人の面倒を見てからだというけれど、私はどこで求職すればいい?これから追追決めていくことになるんだけど、本当にどうしていくのか皆目検討がつかない。

なんで、こんな早く、穂別よりも早く、先に、死んじゃったのかなぁ…。輝徳さああん!!もうあと10年は生きているだろうそうだろうと疑わなかったよ。もっといっぱい親孝行したかった。

支離滅裂な文章になった。
はあもう寝る。

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