□冬の詩
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「…………だよなぁ。カカシ先生がこの程度で本音見せてくれる訳ねェって最初から承知してるって言ったろ?」
ナルトはまた、ハァ、と白く大きな息をひとつ吐いた。しかし消沈した様子はなかった。
開き直ったかのような相手と、かたくなに拒み続けるカカシ。
「でもさ、それって、そんだけ口にできねー本音ってことだよな」
くう、と息をのむ。
これは…誘導尋問ではないのか?
「………そうだとしても、オレは絶対言わない」
なんという稚拙な答えだろうか。
カカシは自分が駄々をこねる子どもになってしまったようだと思った。
溢れてしまったものに無理やり蓋をして封印してしまおう。
その決意は変わらないはずなのに。
真っ白い雪が、ナルトの頭や肩に、ひたすら静かに降り積もってゆく。
ナルトが口をつぐめば、他には何の音もなくて。
一切の雑音から切り離され、世界にたった二人きりになってしまった―――そんな馬鹿馬鹿しくもリアルな感覚に、カカシはぶるりと身を震わせた。
互いさえいれば他には何もいらないなどと、うすら寒いにも程がある。
夢も理想も希望も容赦なく打ち砕く現実というものを、カカシは五つに満たぬ歳から繰り返し味わってきた。夢想は所詮夢想にしか過ぎないと骨身に染み込んでいる。
だが、己のなかに厳然と存在し、もう何年も居座り続ける想いもまた、カカシにとっての現実だった。
あれほど決意を固めていたはずなのに、本心をさらけ出し、その上でこの場の夢か幻かにしてしまえばいいではないか、と奥底の囁きが誘う。
このまま口をつぐんでいても、ナルトは決して引かないだろう。
ならば、一回だけ晒してみれば。
それでナルトが納得するのなら、この場限りのこととして収めれば良いのだ。
おそろしく言い訳がましい理由が、自分の内で居場所を見つけてしまうのを、カカシは食い止めることができなかった。
長い逡巡の後に出てきたのは、
「……………分かった。それでお前が納得して終わらせてくれるんなら、言ってやる」
こんな、狡くて無責任な台詞。
それでも、カカシにとっては最初で最後の告白であった。
「大丈夫だよ、先生。……こんなに雪が降ってんだから。雪が全部、先生の本音もしんどさも、声に出したら無くしてくれるから」
雪が音を吸い取ってくれる。
雪の日の確かな事象としてのそれを解ってはいても、一度声に出してしまった言葉は無くしてしまうことなどできないだろうに。
なのにナルトは、カカシを甘やかすのだ。
この降り積もる雪に、ただ一度だけ、生涯で一度だけの告白を許してくれと、願って。
自然と拳をきりりと握りしめていた。
「……………ナルト、オレはお前のことが
好きじゃない。
好きなんて甘っちょろいもんじゃない。
オレの何もかもを差し出してもいいくらい、お前が欲しい。
お前の未来も、仲間も、夢も、全部捨ててやりたい。
お前のまぶしさも、強さも、全部喰いつくしてやりたい。
お前の肉も心も、視線も、その血も、全部オレだけのものにして、
オレをお前だけのものにして欲しい」
これは、愛の告白などではなかった。
汚らしい独占欲と執着心の慟哭だった。
これほど貪欲な、みっともなく飢えた自分を知られたくはなかった。
ナルトの前では、何事にも飄々と対峙し、受け流してきたこれまでのカカシのままでありたかった。
「……俺、先生のこと、全然知らなかったんだな」
「そうだな……お前が見てきたオレは、お前の先生で、上司で、本当は欲しいくせに、手に入れる勇気もなく犬みたいに尻尾巻い逃げて、欲しいものなんてないって顔見せてただけの男だよ」
「うん」
カカシには、ナルトがどんな表情を浮かべているのか見れなかった。失望させてしまった恐ろしさと、これで諦めるだろうという打算と。こんな時まで薄汚い人間だなと痛感する。
「知らなかった。カカシ先生ってば、めちゃくちゃ情熱的!それってさ、俺のこと好きで好きでたまんねぇってことだろ?うわー、すげぇ…やべーどうしよ」
………え?
こいつは何を言ってるんだ?
前から理解力の乏しいやつだとは知っていたが、今の告白からそう取るか?!
「ちょ、ちょっと待ちなさいよナルト。お前ホントに分かってる?」
ナルトはさも不満気な顔をする。
「ちゃんと分かってるってばよ。だから、カカシ先生は、俺のことを愛しすぎてるってことだろ?好きすぎて他のヤツに嫉妬したり、自分だけのモンにしてーんだろ?」
「気持ち悪い、って思わないのか?理解なんてひとつも無くて、お前を…お前の夢も未来も全部捨てさせて自分を選ばそうとしているんだぞ」
「だって俺もおんなじだから」
先ほどまでのはしゃいだ様子はなりをひそめ、ナルトの澄んだ瞳はひたとカカシを捉える。
「先生が任務でケガすんのも許せねぇ。傷つけられんのも、知らねーとこで死なれるのも、絶対に許せねぇ。俺だけのモンにして、先生を閉じ込めて、俺だけ見てて欲しい。里のためのはたけカカシ≠ネんて糞食らえだ」
な?気持ち悪りぃだろ?
と言ってナルトは笑った。
「さっきの先生の顔、すげー顔だった。眼がぎらぎらして、そのまま喰いつかれんのかと思った。あれがむき出しの先生なんだな」
何で幻滅してくれないかな、とカカシが返すと、ナルトは、する訳ねぇ、あんな眼されたら抱きたくなるだけだと宣った。
絶句して、何とか、こんな寒い日に野外でなんか絶対に御免だ、とだけ言えた。
妙に明るい雰囲気の中で、これで終わった、とカカシは思っていた。
真冬の空気は凍って澄みきっており、肌を刺す寒風も今は心地良かった。
一度壊されて、また新しく違う形が築かれる。
自分とナルトの関係も、この里の復興と同じになればいい。
感情なのか感傷なのか判別できない不思議な感覚に身を浸していたカカシであったが、次の瞬間、見事にぶち壊されたのであった。
「んじゃ、カカシ先生の本音も聞けたことだし?つーか、あんな情熱的な告白もらっちゃった訳だし?むしろ俺がカカシ先生手放すとかありえねーし。……だから、先生、俺たちずっと一緒にいなきゃだめだ」
………は?
……………どうしてそうなった?!
「いやいやいや、お前、今の流れでそれはないでしょ!今のは、オレの本心聞いてお前の気が済んで、はいオシマイ、な流れでしょ!」
「流れとかそんなんどーでもいいし。だって先生の貴重な本音聞いて、この場限りになんてできるワケないじゃん」
「約束が違う」
「俺、約束なんてしてないし?」
全くこいつときたら……ああもう米神がずきずきと痛む。
さっきは心地よく感じた冷涼な空気が、今は頭痛を悪化させるようである。
「お前とオレと……一緒にいたって破滅するだけだ。ろくな未来が無いことなんて、分かり切ってる」
食いさがるナルトに、こんなところで諦めないド根性を発揮するんじゃないと言いたい。
「遅ぇよ先生。だって俺たち、もうとっくに溢れちまってんだから」
無かったことにもできないし、元にも戻れない。そんなの、痛いほど分かっている。だからずっと、忘れた振りをしてきたのに。
暴きたて、逃がそうとしてくれないナルトが憎かった。
「それでも、これ以上は進めない」
「やってもみないで、なんでわかるんだよ」
「分かるさ。火を見るより明らかにな」
「……ハー、先生ってばほんとに強情っぱり。石頭。頑固オヤジ」
「頑固親父で悪かったな」
「悪いなんて言ってねェ。オヤジでも可愛いしな。先生の素直じゃないとこも、意地っぱりなとこも愛してるよ俺は」
なんだかまた変な方向に進んでいく。
「だいたいさ、悲観的過ぎねえ?預言者でもねーのに、先のことなんか見通せるワケねぇだろ。先生アタマいいくせに、自分のこととなると急に視野が狭くなるんだから」
「お前ね、褒めたいの?貶したいの?」
「どっちでもない。どれも俺の好きなカカシ先生だってこと」
先ほどから、鬱陶しいくらい、ナルトが愛の言葉を吐くものだから、カカシはなんだか胸焼けを起こしそうであった。
ひょっとして、ひょっとしなくても。これは無駄な抵抗、と呼ばれるものではなかろうか。
ナルトは最初から、諦めるつもりなんてなかったのだ。
わざわざこんな所まで連れて来て、カカシの本音を引きずり出したかっただけで。はなからそれでお終いにする気など毛頭なかったに違いないのだ。
嵌められた、と思った。
このままナルトを振り切って、家に帰ったとしても、自分ひとりお終いにしたつもりになっても、ナルトは変わらないだろう。
カカシが隠し通したくとも、ナルトはもう隠そうともしないだろう。もう自分の心を決めてしまったのだから。
しかし、腹は立たなかった。
あるいは一番、吐き出してしまいたかったのは自分か。
嘘で固めて気持ちに蓋をして。得意であったはずのそれらを捨ててしまいたかったのは、自分だ。溢れてしまった思いを持て余して見ぬふりを決め込んでいた己だ。
なら、溢れた水の器を、いずれ壊れてしまうその時まで、中身ごと守り続けていかねばならない。
腹を括る。
今のカカシにできるのは、結局それだけなのだ。
カカシは己の虚しく終わった抵抗を振り切るかのようにひとつ、真っ白の大きな溜息を吐いた。
「ナルト、帰るぞ」
「え…?」
「濡れたままの頭で、こんな雪ばっかりの所に長いこと突っ立ってる、どこかの馬鹿が風邪をひきそうだからな」
「えっ、カカシ先生、それって…」
「風呂ぐらい入れてやるよ」
大人びた顔を忽ち崩して破顔したナルトの顔は、昔と少しも変わっていなかった。
何かに一心に向き合う人間のことを俗に馬鹿≠ニいう。ならばナルトほどの馬鹿はいない。
世間では、馬鹿がうつる、と言われる。ならば自分もとっくに馬鹿になっていたのだ。
馬鹿には馬鹿の生き方しかできない。
それを学んだ、ある冬の日のことだった。
『冬の詩』
「お前、髪短いほうが似合うよ。ずっとそれで行ったら?」
「ホント?ならそうしよっかな。今はちっと寒いけど」
終
後書へ続く