□冬の詩
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コンコン、と窓ガラスを叩く音がして窓を見上げると、そこにはナルトがいた。

ここ半年近く、“意識せまいという意識”をしていた相手の来訪は、カカシに少なからず動揺をもたらした。

見ればナルトは口と手の動きだけで、外に出ろと促している。

ここ数日来の記録的な寒波で、早朝の里は雪景色だ。ぬくぬくと温かい部屋の中、せっかくの休日を楽しんでいた身としては、あまり気がすすまなかったのだが、部屋にも上がらずジェスチャーで訴えるナルトを無視しておく事は出来なかった。
最も、カカシが外に出たがらない理由は、それだけではなかったのだが。

ナルトはコートを身に付けていなかったので、さほど遠出をする訳ではないのだろう。
そうアタリを付けたカカシは、適当にその辺りに放ってあった何色とも言い難い色のマフラーを拾いあげ、ぐるぐると鼻から下を覆い隠すように巻き付けた。

ひとは何故、隠されているものを暴きたいと願うのだろうか。

かたくなに顔を隠す事を、昔から周囲の人間は訝しんできたけれど、忍が忍ばなくてどうするというのか。
顔が売れて得になる事など、なに一つないだろうに、とカカシは思う。

しかしそういう思惑とは裏腹に、親友の形見とともに、何故だか覆面ごと其れなりの有名人になってしまった現実はカカシにとって良かったのか。はたまた災いだったのか。それはカカシ自身にも結局のところ、分かってはいない。

けれど、分からないなりに、カカシはナルトといると、いや、ナルトにだけは隠していて良かったと思えるのだ。
だからこうやって、マスクの代わりにマフラーぐるぐる巻きという我ながら間抜けな格好をしてまで、すでにばれてしまっている顔を隠すのだろう。

もちろん窓からではなく、少し迷ったもののサンダルを履き玄関から外に出て、アパートの階段を降りて行くと、ナルトは路地の板塀に寄っ掛かって待っていた。

温暖な木ノ葉には不似合いなほど積もった雪をさくさくと踏んでカカシが近づくと、ナルトは少しうつむき加減だった顔を上げて、
「カカシ先生!」
と破顔した。

自分の家からここまで来ただけにしては、やけに鼻の頭が赤くなっており、もしかするとずいぶん長い時間うろついていたのかもしれない。

そこで初めて、違和感に気付いた。

「お前、頭…切ったのか?」

「あはは!頭は切ってねーってばよ」 

「あげ足取るんじゃないよ」

ピンピンと好き勝手はねた黄色いくせっ毛を、冬だというのにすっぱり短くした頭は、いかにも寒々としている。

「こんなに短くしたら、寒いだろ」

カカシはなんのためらいもなく、短くなったナルトの髪の毛を、頭を撫でるようにくしゃくしゃとかき混ぜた。
硬めの、さりさりとした感触が指の間に伝わってくる。

けれども驚いたことに、それは芯まで冷えきっていて、洗い髪のまま外に出たのだろうかと容易に知られた。

「……先生に、アタマ撫でてもらうなんて、なんか…すげー久しぶり」

ナルトは瞬間的に驚いた表情を見せ、すぐに引っ込め、何とも言い難い顔をしてぽつりとそう言った。

「そうだったか?…それよりお前、髪がえらく冷たいぞ」

「ああ、出る前に水浴びてきたから」

「この寒さでか?」

「うん。ミソギっつーか、なんか気合い入れたくて」

「気合い、ねえ」

これから任務にでも行くのだろうか。
カカシは沸き起こる恐ろしい予感に無理矢理蓋をするため、そう理由を付けずにいられなかった。

「それよかさ、先生。ちょっと俺に付いてきてよ」

「どこに」

「いいから」

気が進まないだとか嫌だとか言う暇はなかった。告げるやいなや、さっさと歩いていくナルトにつられてしまい、後を付いてしばらく歩くと、二人はまだ復興の済んでいない地区に入って行った。

仕方のないことだろうが、実務やアカデミー関係の建物群は最重要で率先して建て直されたが、さほど重要ではないと判断された地区や、種々の思惑が絡んだために手付かずにされたところは、未だ後回しにされっぱなしだった。

それでも、数年前、木ノ葉崩し以上に壊滅的な打撃を受けたこの里は、へこたれないしなやかさで着実に活気を取り戻している。

けれどそれは以前と同じように、というのとは少し違っているのではないか…
前々からカカシにはそういう気がしてならなかった。
ごちゃごちゃ入り組んだ路地や軒が重なり合う商店たちが醸し出す雰囲気も、再建されたアカデミーや忍に関係した建物群も、どこか昔とは違う、と。

そこに集う人々…忍もそうでない人達の表情も、やはりどこか違っている風に見える。

これまではっきりと意識した事はなかったし、具体的にどこがどう、と訊かれてすぐに答えるのは難しいのだが、晴れやかさ、というのだろうか。忍の隠れ里特有の陰湿な空気が薄れているように感じられた。

もしかしたらこの里は、ダメージから復興する度にろ過され、澄んでいくのかもしれない。

九尾事件、木ノ葉崩し、暁との戦い、大戦…

まるで、溜まった疲労を風邪の熱で発散するかのように、多大な犠牲と破壊とを伴って、膿を抱えた里は浄化されていく。

そうして何度も、痛みを乗り越えていく。
家族や仲間や友人たちは無駄死になどではないと、己に言い聞かせながら、みな何とか前を向いて進もうとする。
これまでカカシがそうしてきたように。

辺りに広がる、基礎の土台部分だけになった、かつて立派な屋敷だったモノや、無惨な残骸に成り果てた土塀や鉄骨、集めるだけ集められ、まだ捨てられていない、かつて商店の顔だった看板や必要な生活道具だった雑多なモノたち。

新しく建て直された家々と同じく、それら無数の瓦礫の上に白い雪が降り積もってゆく。

どこにも、雪は平等に舞い落ちる。

少し向こうを見渡せば民家があるというのに、
気が付けば、カカシは耳が痛いほどの静寂に包まれていた。

果てしなく、静かだった。

ずっと背を向けたまま先導していたナルトが、相変わらず鼻の頭を真っ赤にさせて、カカシの方に向き直る。

「カカシ先生はやっぱスゲーな。俺なんかには到底、真似できねーよ」

ナルトが何の事を指して言っているのか、カカシにはすぐに分かった。
それはカカシ自身、ずっと意識してきたことと同じだったからだ。

「……お前に皮肉を言われる日が来るとは思わなかったね」

だから、似合わない台詞を言わせているのは、他ならぬ自分だという自覚があった。

「皮肉なんかじゃねェ。あれからずっと、俺はそう思ってる。……俺には、あんなことの後だってのに今までとなんにも変わらない接し方なんて、絶対できねえから」

「“あんなこと”って、たかだかオレとお前がセックスしただけの事でしょ。オレにとっちゃ、なんの重みも意味もないし、お前との関係が変わるような事だとも思ってないよ」

だから、普段通りなんだ、と微笑みすら交えて言ってのける。
皮肉も嘘も誤魔化しも、自分の専売特許でいい。

「じゃあ、何で?何であん時、俺に良いようにさせたの先生」

そう思っていたのに、皮肉も嘘も誤魔化しも突き通してしまう鮮やかな眼差しがカカシを捉えていた。

「なに、もしかしてお前、抱かれる方が良かった?そりゃ残念…オレって結構巧いから、そっちの方がよっぽどキモチヨクなれたかもねえ」

「茶化すなよ先生」

ナルトは鋭く制してきたが、こんなところで折れる訳にはいかない。
カカシもまた、引くつもりはなかった。

「ならお前こそ、こんなところまで人を連れ出してなんの用?まさかこんなどうでもいい話するために、わざわざ連れてきた訳か?」

「……悪ィけどさ、その手には乗らねーってばよ。アンタの本音引き出すのが半端じゃなく難しいってのは、ハナっから承知してんだ」

「こらこら、まるでオレが本当の事言ってないみたいな言い方じゃないの」

また笑おうとして、今度は先ほどのようには上手く笑えなくなっている事に気付く。

「だってそうだろ」

そしてぴしゃりと言い切るナルトに、生半可では切り抜けられないとカカシは悟った。

あの時のようにはいかない。
と。

「もっかい訊くよ。何で俺とセックスしたの?」

「……もう一回言おうか?あの後言ったのと同じだよ。ただの気紛れ。お前がとんでもない時間にただならぬ様子で訪ねてきたから、オレも雰囲気にちょっと乗っかってみただけ。プロのお姉さん相手にする気分でもなかったし、たまには男に抱かれるのもいいか、ってな。ま、その程度のモラルしか持ち合わせてない人間なのよオレ」

溢れてしまった自分の想いを軽薄な言葉で片付けるのは、誰よりも己を傷つけているのだろうけれど、この際構いはしない。
それ以上に守らなければならないものが、目の前にあるのだ。

「カカシ先生にしちゃ、下手な言い訳だよなあ。あんだけ口うまいんだからさ、もっとマシなこと言えねーの?」

しかし、ナルトは揺らがなかった。

「ミソギしたって言ったろ?俺だって中途半端な気持ちで、先生呼び出したりなんかしない。……あれから半年の間、まるで何にもなかったみたいに振る舞う先生を見るたびに、俺は哀しかったし、苦しかったし、本音を明かさないカカシ先生に腹立ちもした」

「だから、オレは、嘘なんてついてないよ」

表情が強張るのも、声が硬くなるのも、寒さのせいだと思って欲しかった。
ナルトはしばらく黙ってカカシを見ていたが、やがて目線を下にずらし、ふぅ、と白い息を吐き出した。白い吐息はすぐに空気に溶けて混ざった。
雪は一向にやまない。
日暮れにはまだ間があるというのに、ずいぶんと、寒かった。

「なあ、もう帰っていいか?これ以上ここで話しても無意味だろう」

やや俯き加減のナルトにそう告げて、踵をかえそうとした時、またもぴしりと声が掛かる。

「待てよ」

カカシは一刻も早くここから、いやナルトの前から立ち去りたかった。
ナルトに呼び出された時から、分が悪いのは承知している。

「………」

もう、口を開きたくなかった。
口を開けば、余計な言葉が溢れて来るこわさにじわじわ侵食されていくのが分かる。
カカシは布の下で、きゅっと口を引き結んだ。

だが、あれからいくら考えても、不思議と身体を重ね絡め合わせた事への後悔は生まれて来なかった。

今この時の自分を偽る苦しさと、あの夜の喜びを天秤にかければ、どちらが吊り上がるのか。

それだけを抱いていければいいと思っていた気持ちをこの場に投げ捨てて、何もかも振り捨てて、咽喉の奥から叫び出したい衝動を捨て切ろうとする。
それでも何とか、身体中を駆け巡る目の前の男への愛しさを、確実に己を毒するであろう鉛のように呑み込もうとしていた。

「……なんて、何にも言わずに先生を抱いた俺が、ンなこと言うなんてフェアじゃねぇよな」

その言葉に思わず顔を上げると、ナルトはそれまでの厳しい表情を少し崩し、まるではにかむような表情を浮かべていた。

「今から考えるとさ、昔は怖いもの知らずだったんだよなぁ。再不斬ん時もネジん時も我愛羅ん時も、こわさは勿論あったけど、そんなもん吹き飛ばすくらい、気持ちが高ぶって吹っ切れんだ。そういう俺だったから、めちゃくちゃ強いヤツら相手にやってこれたんだと思う。………けど、大人になって、俺さ、昔よりずっと臆病になっちまってんの。動くより前に、すんげぇいろいろ考え過ぎちまうの。これも成長って言えんのかな、カカシ先生」

いや違う。臆病なのはむしろ己の方だと、カカシは思わずうつむき気味になる。

「…考え無しに突っ込んでいかなくなったぶん、それもひとつの成長って言えるんじゃないの?」

「そんなもんかな。けどまあ、テメェの本音もさらけ出してねーのに、相手に応えてもらおうだなんてムシが良すぎるってのは確かだよな」

「ナルトやめろ」

ここからは明らかに危険だと、反射的に制止の言葉が口をつく。

「これ以上は許さん」

一番聞きたくなかった言葉を、ナルトはおそらく、これから言おうとしている。
カカシは声が裏返りそうになるのも構わず言い切るしかなかった。
許さなければどうなるのか。最早自分でも分からないと云うのに。

だが、最早ナルトは止まらない。
絶対に。
それがカカシの知るうずまきナルトという男だ。

こんな、迷いの無い目を貫き通してくる男をどうして止められる?
懸命に自分を繋ぎ止めないとどうにかなってしまいそうなほど張り詰めた空気は、冷気のせいばかりではなかった。

「俺は」

「やめろ、ナルト!!」

止まるはずがないと分かっているのに、これほど必死になっているのが可笑しくて、笑えないくらいおかしかった。

「俺は、カカシ先生が好きだ」
「聞きたくない」
「好きで好きで好きで、男だってのも全然関係なくて、抱きたくて、抱き締めたくて、先生が生きてここにいるって確かめたくて、」
「言うな!!」
「もう、溢れて、あとからあとから溢れて、止まらねぇんだよ……!」

絞り出すようなナルトの声も震えていたが、カカシのそれはもっと震えていた。

「…やめてくれ……」

「お願いだから…!一回でいい!一回だけでいい、先生の本当の気持ちを言ってくれ…!!」

「もう何回も言ってる」

「嘘なんて聞きたくねぇよ!!」

「嘘じゃない」

「嘘だ!」

「………じゃあ、仮に嘘だったとして。オレの本音を伝えて、それでどうなる…?」

そうだ。
どうにもならない。
なりようがない。
なってはいけない。

カカシは一心不乱に言い聞かせる。
墓場まで持っていくと決めたのだ。
こんなところで手放してたまるか。

けれど―――

「どうにかなっちまう本音なの?」

「オレが何を言ったって、どうにもならない、ってことだよ」

ああ、どうにかなってしまいそうだ。

「なら言ってくれよ先生…!」

「言って楽になるのはそれこそ一瞬だけだ」

そして瞬きの間が終われば後悔しか残らないだろう。だが、カカシにとってその言葉を呑み込むのは、針を呑むよりも苦しい。

「楽にならなくてもいい!俺は先生となら、一生 楽なんていらねえ」

「一過性の熱で馬鹿なこと言うんじゃない。お前は自分に酔ってるだけだよ」

真剣さがびりびりと伝わってくる相手を、こうして切り捨てる重さ。

「…………」

さすがに口を開かなくなったナルトに、ほっとしたのか、それとも胸が痛むのか。
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