並行する宇宙のひとつ

□新月
1ページ/1ページ


追われている。

それが男には分かっていた。

自分は他人に追い回されるようなことはしていないと自負しているけれど、現実は、男はもう何年も前から御尋ね者として追われる生活を余儀なくされている。
何時からか、業を煮やしたどこぞの坊っちゃん侍に賞金をかけられてよりは更に世を渡りにくくなった。

近い。

何度となく追っ手を煙に巻いてきた。致命傷を与えることなく、派手な立ち回りで混乱させるのはお手の物だ。
しかし、この度は性格が余程 執念深い者がいるらしく、なかなか追っ手は振り切れない。

なにせ相手は数にものを言わせて囲んで来るのだ。

さしもの男も、分が悪かった。

駆ける度に、腰のものががちゃがちゃと鳴る。
子持ち縞の着物が汗で張りついて不快だったが、そんなことを思う余裕はもう余り無かった。

走れば川辺の葉が刃物のように剥き出しの二の腕や脛に無数の浅い切り傷を刻む。
がさがさと草を掻き分ける音と荒い息が、付き合いの短い相棒同士の掛け合いに聞こえていた。


唐突に背丈の高い草が途切れた。
水辺だ。
夜闇では判別しづらいが、ここの川は存外深いのだと聞いた。
ましてや、着物姿でしかも疲労している身では、泳いで渡っているうちに捕まるのが落ちだろう。

煌々と照らす月を、この時ばかりは恨む。

男は軽く舌打ちして、立ち止まり、辺りを見回した。
途端、どっと汗をかき、足が重くなる。
ゼヒゼヒと咽喉が悲鳴を上げ、肺腑が痛みを訴えているかに感じる。


参った。


もうこれは、いよいよやり合うしかないかと、整わぬ息の中 唇のはじを引き上げて嗤おうとしたその時、空気に染み入るような声が耳に届いた。

「おいで」と。


先ほどまで誰もいないと思っていた川べりに、薄い男が立っていた。

薄い。
銀灰の頭髪の色味もだが、ただならぬほど気配が薄い。

腕には自信があったが、みじんも気配を感じ取れなかったことに驚いた。
けれど、不思議と寒気のする“嫌な匂い”は感じられなかった。
男はこれまでの経験上、自分のそういう感覚を信頼している。
幾度も助けてくれた己の勘が、敵ではないと告げていた。

「あんた…「オレが何者かを気にしてる暇はないよ。こっちだ」」

その男は多少猫背気味の背をしていたが、なかなかの長身だ。

「あそこの橋までいけば、小道がある」

促されて見た先には、月夜に暗く浮かぶ橋が見えた。
灰色の男に付いて走る。
敵ではないと直感が告げてはいるものの、なぜか素直に付いて行っている己が不思議で、けれど足音をほとんどたてずに走る男の雰囲気は、訳もなく説得力を持ってたのだった。

橋が間近に迫ったところで、がさがさと耳障りな物音が急速に近づいてきた。

追っ手に違いない。

やはり逃げ切れなかったのだと悟り、足を止めて身構え、腰のものに手をかけた。

瞬間、起こったことはまるで幻のように信じ難く、それでいてやたらと鮮やかだった。

己が束に手をかけていたはずが、すらりと何の抵抗もなく刀は抜き取られ、月明かりに抜き身の輝きを放っていた。

驚きを表す間はなかった。

草むらから飛び出してきた襷(たすき)掛けの侍を、灰色の男は切って捨てたのだ。

それも、三人を。

いや、これは峰打ちなのか。

見紛った理由は、余りに鋭く、あまりに研ぎ澄まされた太刀筋は、命を奪うものにしか見えなかったからだ。
灰色の男の剣は、命のやり取りを何度もくぐり抜けてきた凄味に満ちていた。

月夜に煌めく白刃が、音より早い雷光のようで、

美しいとさえ、感じた。

そして、自分は以前も同じ思いになったことがある。
ぴりぴりと蘇る、あの太刀筋。


あの、ウチハ佐助と同じ剣に出会ってしまったのだと確信した。





続?

110716
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ