並行する宇宙のひとつ

□いただきます
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「入るぞ」

「って、ふぇんへいもーはひっへふひゃん」

土曜日の昼下がり、前触れなく訪ねてみれば、狭いアパートの住人はちゃぶ台代わりのこたつテーブルに買ってきた弁当を広げ、もしゃもしゃと口いっぱいに頬張っていたところだった。

「ま、いいじゃないの。それより、ものを口に入れたまま喋るな。行儀悪い」

大口で飯をかっこんでいるナルトの正面ではなく斜め隣に腰を下ろす。
毛羽立ったラグの感触にも、もう慣れた。

「んぐっ。水!…はー。や、俺、カカシ先生にはギョウギがどうとか言われたくないんだけど」

「何?オレはお行儀いいよ?」

オレとて行儀も餃子も書けないやつに言われたくはない。

「ガッコにエロ本持って来て、しかも生徒に自習させてる間に読んでる教師に言われたくありませんー」

ああ、イチャパラのことか。失礼な。

「あれはただのエロ本じゃない。芸術だからいいんだよ。あと、語尾をのばすな」

「じゃあ俺、今度芸術の自習するから、北斎持ってくってばよ」

「北斎?」

かの葛飾北斎が芸術だとは認めるが、まさかナルトの口から出てくるとは思わなかった。

「そー。先生のために勉強しとかねーと」

そこで意味ありげに笑うナルトにピンと来て、

「バァカ。春画だなんて、お前にゃ10年早いよ」

おでこに手刀を食らわせてやった。

「あだっ!あぶねーじゃん先生!舌噛むかと思った!ってかさ、10年も待ってたら、先生のカラダがうずいて保たねーってばよ」

……噛めば良かったのに。

「誰が疼くか。そんな減らず口は、せめて持久力つけてから来い」

痛いところを突かれたのか、うぐっと口をつぐんでそれ以上何も言わなくなったナルトの、食べ終えた空の弁当容器を見ながら、ふと気になったことを口にしてみた。

「お前がほか弁なんて珍しいな。いっつもカップ麺のくせに」

するとナルトは、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、勢いよく何かを取り出して見せてきた。

「これ!!」

弁当が入っていたのだろう茶色いビニール袋から出して渡してきたのは、小さなカードだかステッカーだかで、アニメだか漫画だかのイラストが描いてある。

「これが?」

「カカシ先生知らねーの?けっこう人気あんだけどなー」

「誰?」

見れば、灰色の髪にバンダナのようなもので片目を隠しているいかにも怪しげなキャラクターがいる。

「主人公の忍術の先生!で、これが主人公のうずしおマキト」

ナルトが今度出したのは、クリアファイルだった。
真っ赤な髪をした男の子が何やらポーズをとっている。

「マキトねえ…。忍術ってことは、忍者…?隠密行動なはずなのに、ちっとも忍んでないじゃないの」

やんちゃそうなその少年、髪は赤いし、服はオレンジ色だし、とにかく派手な色彩で、時代劇や小説に出てくる忍者のイメージとは程遠い。

「そこがいいんだってばよ。今ほか弁はMAKITOのキャンペーンやっててさ、カツ弁当買ったらグッズくれんの」

「で、お前はグッズ目当てに弁当を買った、と」

「あー!高校生にもなってアニメのグッズ目当てだなんて子どもみたいなことして、って目ェした今」

「………」
思ったけど。意外と鋭いなコイツ。

「あんね、子ども向けとかバカにすんなよ。MAKITOって、すげー深いオハナシなんだからさ!」

「あ、そう」

「もー、先生ってば全然関心ないのな。とにかく、俺はマキトがこれからどーなって、どうやってライバルを取り戻すか、毎週楽しみにしてんの!」

「あのな、先生はマキトだかの行く末なんかより、お前の将来の方がよっぽど気がかりだよ」

暑苦しく語ろうとするナルトには悪いが、オレがここに来たのは忍者漫画の話を聞くためではないのだ。

「将来?あー、大丈夫!俺は先生をヨメにするって決めてっから安心して!」

嫁っておまえ…

「ったく、オレは真面目な話してるんだよ。お前、この間のテスト、あれ何?」

「ええ!!?いやーあのー、なんつーか、あれはつまり…」

しどろもどろになるナルトに、オレは畳み掛ける。

「しかも数学が一番酷いってどういうことだ!!?追試決定だぞ!」

そう。先日の期末テストで、ナルトは赤点だった。
はっきり言って、オレはかなりショックだったんだからな。
総じて成績が振るわないナルトだが、それでも数学はまだマシな方だったのに。
付き合い始めてからテストの点数が急落するだなんて、本気で悩む。

オレと一緒にいる事が、まだ学生であるナルトに悪い影響を与えているのだとしたら、その時は決断をしなければならない。
オレが、教師として。

「あのな、ナル…「カカシ先生ゴメン!!」

ナルトはいきなり、食卓に手を付いてバッと頭を下げてきた。

「謝ってどうにかなる訳じゃねーのは分かってる。でも、先生ごめん」

「分かってるなら、頭を上げなさいよ。……なあナルト。…オレが、ここに来るから、一緒にいるから気が散ってしまうんじゃないのか?」

無論、テストが近くなれば、意識的に足を遠ざけてはいる。
それでも、情けないことに“付き合ってるから”と直接的な言葉は言えなかった。
いつからこんなに怖がりになってしまったんだろうか。

「……言っても怒んない?」

オレは無言で頷き、先を促した。

「あのさ、その、逆」

「逆?」

「うん。えーと、…今日ホントは、俺が先生んトコ行こうと思ってたんだ。昼メシ食ってからなんてモタモタしてるうちに、先生の方が来ちまったんだけど」

苦笑、という言い方がぴったりの笑い方をして、ナルトはあぐらをかいた足の上で、もぞもぞと手指を動かした。
それに呼応するように、制服以外ではほとんどソックスを履かない剥き出しの足の指が、ぴくぴくと動く様子が見える。
落ち着かない、というところだろうか。

「うちに?」

「ん。やっぱさ、俺ってば先生いないとダメだって言いに行こうとしたんだ」

「駄目って…」

「うん。テスト近くなると、先生忙しいのもあるけど、わざと俺ん家来なくなるだろ?それにさ、自分じゃ気付いてないかもしんねーけど、学校でも、いつもより素っ気ないっつーか、なーんかよそよそしいんだってばよ」

そうなのか?
それは…全く意識していなかった。
殊更他の生徒と区別しないよう平等に接してきたつもりだったのに。

「カカシ先生は俺のためにそうなんだって、頭じゃ分かってんだけどさ、正直俺にはキツかった」

「ナルト…」

「先生に会いてぇし、触りてぇし、普通に話してぇし、うちにいても、学校にいても、気が付いたら先生のことばっか考えちまってんの」

本当に切なそうな顔をするナルトを見ているとほだされそうになるが、ぐっと堪える。

「そんなの下手な言い訳でしょ。オレは教師として…当たり前の事をしたまでだ」

「先生はヘーキだった?」

「……もちろん平気、だ」

くそう。なんで即答しないんだ。
これじゃ、コイツに付け込まれてしまうだけなのに。

「俺は、元気なんて出ねぇの」

そんなオレの煩悶を余所に、ナルトはいつも、腹立たしいほどすんなりと本音をぶつけてくる。
本当に、いつも。

「俺だって、これでも頑張ろうとは思ってんだってばよ。先生の悩みゴト増やしたくねぇし。でも、今回やってみてダメだってよく分かった」

「オレは…お前のために距離を取った方がいいと思って」

「うん。カカシ先生は、どうしたって俺の“先生”なのは変わんねーだろ?でも、俺と先生は付き合ってる」

「…ああ」

改めて口にされると、自分で選んだ道とはいえ、事実がずしりとのしかかってくるような気がした。

「あん時、ハンパな気持ちなんかじゃねえって言ったの覚えてる?」

もちろん。忘れようもない。

「なあ先生。だから、距離なんて取るなよ。俺のため、っていうんなら、俺のそばにいて」

「何言ってる、っ…!」

急に、顔を捕らえられる。

耳から頬にかけて、案外と厚い手のひらに、両方がっしりと掴まれた。

耳が、頬が、暖かいというよりも熱い。
ナルトの指が、髪の毛と一緒に耳の裏をくすぐってくる。

なんで、こいつの匂いと手触りは、こんなにも安心するんだろう。


「先生、好き」

「……………。知ってる」

「大好き」

「ああ」

「あいしてる」

すこうし目を細めて、こちらを見つめる蒼い光に、立場だとか、立ち位置だとか、理屈は通用しないのだ。
いまさら、そう悟った。



「先生、一回くらい『オレも』って言ってくんねぇの?」

「…………卒業もしてないやつには言ってやらないよ」

「!!!」

だからこれは、ささやかな抵抗なのだ。
少しの時間稼ぎだと分かっていても。

「ま、とりあえず、間近に迫った将来、追試をクリアしないとな」

「俺っ、頑張るってばよ!…でもその前に、栄養補給!!」

「さっき弁当食べたばっかりでしょ?」

「今度はココロの栄養」

どおりで、なかなか手を離さないはずだ。

今日初めて、弾けるように笑って、ナルトはキスをしてきた。

仕方ないね、と言って、オレも応えた。





飢えていた心に染み渡る、

何よりの栄養を


『いただきます』






後書に続く
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