忍であることの前に

□Clash Cover
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Clash Cover



「郵便でーす!」

或る秋の昼下がり、矢鱈と朗らかな配達員の声とともに、かたん、と小さな音を響かせポストに郵便物が落とされた。

この家で一番気持ちの良い風が通る六畳間の座敷に独り寝転がっていたナルトは、その声を合図におもむろに起き上がった。昼間でも薄暗い廊下を通り、さして広くもない玄関でサンダルを突っ掛けると、じゃりり、と足元の砂が小さな音をたてた。
外に出て玄関脇のキイッと軋む郵便受けのふたを開ける。

雨風にさらされて鈍い金肌を見せる銅板で出来たポストの中には、幾つかの行政的な通知葉書の束が入っていた。

郵便物を取り出したナルトは、それらの中に、妙に古ぼけた手紙が雑ざっていることに気付いた。

元は白かったのだろう封筒は黄ばみ、四隅は折れたり曲がったりしている。

不思議な事に、住所はナルトが下忍になる前から住んでいたアパートのものだった。
通常、住所変更を届け出ていれば、古い宛先が書かれていても新しい住所に届けられるのは何の不思議も無い。
だが、ナルトが今の家に越して来てかれこれ十年が経とうとしている。
手紙を寄越してくるような友人・知人達にはとうに新しい住所を知らせてあるのだ。

インクは滲み、かすれて読み辛くはあったけれど、宛名には間違いなく、
『うずまきナルト様』
と書かれていた。
不審に思い、裏返して差出人の名を探すがどこにも記されてはいない。

他の郵便物とともに座敷に持って入り、座卓の上に広げたものの、ナルトは妙な胸騒ぎを覚えてしまう。
何故か手紙をすぐさま開封するのはためらわれた。

一通り他の葉書類の内容を確認し、処理してしまうと、後に残ったのはこの古い手紙だけ。
一体何がそんなに手を重くさせているのだろうか。

何度も表裏をひっくり返し、かすれた宛名──自分の名──を指で辿る。

心の中でよし、と意を決して、卓上に置いてあるペーパーナイフ代わりのクナイを手に取り、慎重に開封していく。

他の忍具と同じく、ナルト自身の手で丁寧に手入れされ、鋭く研がれた刃はぬめるように光っていた。
ショリショリと微かな音だけをたて、クナイはほとんど抵抗なく古い紙を切る。

切り進みながら、恐れとも、期待とも区別のつかないものがじわじわと指先にまで伝わってくるのを感じて、ナルトは非道く落ち着かない気持ちになった。


すい、と手応えがなくなり、完全に口を開けた封筒の中には、これまた黄ばみかけた便箋が入っていた。

何年ぶりに空気に触れたか分からないその中身を、ナルトは常の己では考えられないくらいゆっくりした動作で取り出すと、埃っぽいような黴臭いような、古い書庫に似た匂いがふうわり漂った。

戦闘の昂揚感とはまた違う動悸がしてくるのを宥めながら、折り畳まれた手紙を開く。


すると、



「か、かし…せんせぇ……」


そこにあったのは、絶対に見忘れることのない、文字。


『ナルトへ』と書かれた何の変哲もない書き出しを見ただけで、懐かしさに胸がぎゅうぎゅうと締め付けられる。

咽喉が詰まるような息苦しさと、鼻の奥がツンとして熱くなる感覚。

もう駄目だと抵抗を放棄してしまえば、あとはなし崩しに涙腺は陥落した。


零れ落ちる熱い雫をぐいっと拭うと、涙は袖に濃い染みを作った。

大きく息を吸い込み吐き出して。情けなく震えだす指を叱咤し、読み進める。



『ナルトへ


元気か?
手紙、ありがとう。

こんなことで誤魔化すのもなんだから、正直に告白すれば、実は読むのを忘れていた。すまん。

あ、でも翌日にはちゃんと読んだからな。大丈夫。
ちゃんと、読んだよ。

お前がオレの“生まれた日”にこだわってた理由が分かった。
大切に思ってくれて、嬉しかった。

本当に、ありがとう。
何というか、文章にするのは難しいな。読んでからすぐにこの返事を書いているんだが、手紙ってこんなに書くのが難しかっただろうかと思っている。

口にするよりはたやすいかと思っていたのに、書いても上手く伝えられる自信がない。

だけど、お前の言葉は伝わってきたから。

オレも。オレも会いたいよナルト。
無事に帰って、来月のお前の誕生日を一緒に祝って、

それで、その、あの時の続きをしよう。
ああこんなことオレに言わせるな。やたらと照れくさいじゃないか。もう言わないからな。

こっちはじきに片付くよ。
ナルト、無事に帰ってこい。

オレも、お前のところに帰るから。
絶対に、約束だ。

それから、お前が書いてた、帰ってからのお楽しみとやら、あんまり馬鹿なこと言いそうで今から気が重い。頼むから、予想通りのことを言わないでくれ。

それじゃあ、またな。



はたけカカシ』




切ないほど明瞭に懐かしい声が甦る。涙がとめどもなく溢れて、目の奥もこめかみも頭も痛んで仕方ないのに、それでも止まってくれない。

こんなに泣けて泣けて仕様がなくて、哀しくてかなしくて、さみしくてたまらないのに、

嬉しかった。











せんせい、先生、
俺は元気だよ!

やっぱり読むの忘れてたんだな!だって先生だもんなうん、分かってた!
そんくらい全然許しちゃうよ!

それからごめん、先生の予想たぶん当たってる。
馬鹿かってぶん殴られるか呆れられるかどっちかだよな。
でも言うけど!

けど先生なら絶対、呆れながら照れ臭そうに笑ってくれるよ。



それから、
それから、



おかえり。



ちょっと時間かかったけど、ちゃんと俺のとこ帰ってくれた。


おかえり、先生。


俺、ずーっと待ってたんだぜ!



カカシ先生おかえり。




そんで、


俺と、結婚してください。










あのとき伝えられなかった言葉が、 次々にこぼれて、音となり形となり、大気にとけて消えてゆく。













一体どういう軌跡を辿ったのか。
十数年の時を経てナルトのもとに届いた手紙の旅路は、誰にも分からない。
それでも確かに、ナルトの手に渡った。


ナルトのところに、帰ってきた。




ただいま、と。



そして、遅れたことを詫びるのだ。眉を下げ、少し間延びしたようなあのしゃべり方で。

そう思うと、ナルトの口には自然と笑みが刻まれる。

いとおしさがふくらみ過ぎてはち切れそうだと思いながら、ナルトは古ぼけた手紙を胸に抱きしめ、ひとりまた泣いた。







後書に続く
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