忍であることの前に

□NOMAN'S LAND
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ノーマンズ・ランド
NOMAN'S LAND            







「い、っ!ててて…!カカシせんせ、もうちょい優しくしてく れってばよ」
「このくらいかすり傷でしょ。サクラに黙ってるくらいなんだし?」
「っ、それは……」

もごもごと口籠もるナルトの掌は、肉が削ぎとられ赤身が覗いていた。とてもかすり傷などとは呼べない無惨な状態だというのは、手当てをしているカカシ自身が一番よく判っている。
もう、少年と呼べるときが過ぎようとしているこの子の手は、実際のところ、いつもただ一人に向かって伸ばされていて。
何度振り払われようとも、何びとに阻まれようとも、やめることはない。時に力なく下ろされ、求める相手が闇に紛れ行方も分からず、その手を彷徨わせることはあっても。この子はまた、しなだれかけた手を伸ばし続ける。
そう、なのに、大切な部下を失ったあの時から、自分は傍観者でしか在れなかった。
カカシはそう、自戒するのだ。

そしてまた、突き付けられる。
数年ぶりに第七班が揃っても、やはり己は部外者なのだと。
サクラでさえ、一指も割り込めなかったのだ。
かつて雨の降りしきる谷で感じたように、宿命だと片付けてしまえば確かにそうなのかもしれない。
だがいずれにしても、かつて自分の両手で確かに触れていたはずの二人の少年は、誰も侵すことのできない場所へ行ってしまった。

ナルトの肩越しに見える、写真の中の七班は、何処までも遠い。
カカシは小さな息をひとつ吐き出し、まだ生々しい痛みを覚えさす手の治療を続けた。
九尾の回復力を以てしてもまだこの状態とは、余程のダメージだったのだろう。
止血し、軟膏を塗り、清潔なガーゼで保護して、手際よくくるくると包帯を巻いていく。通常なら塗り薬で済ますどころではなく、何針も縫わねばならない怪我だが、ナルトならば数日で回復するだろう。

「先生、キズの手当て上手だな」
「これくらい、応急処置の基本だからね。普通の忍なら、みんな身に付けてる技術だよ」

言ってしまってから、カカシはしまったと気付く。
これでは、ナルトに対しての嫌味とも取れる皮肉ではないか。
らしくない。我ながら本当に、らしくない。

「あー、俺ってば、そういう授業マジメに受けてなかったかんな」

そんでイルカ先生に何回も怒られたんだってばよ。そんな風に言って、大人びた笑いを浮かべるものだから、ナルトの顔がまともに見れなくなってしまう。

部下にフォローされてどーすんのよ、オレ。
らしくない。本当に、らしくない。


いつの間にか上司の失言をやんわりと受けとめれるようになった男の掌を、カカシは自分の手でそっと包む。
「お前はさ、確かに傷の治りは早いけど、それでも掌の怪我には気を付けなさいよ」
「…ん?うん」
「ナルト、……掌が“ノーマンズ・ランド”って呼ばれてるの知ってるか?」
「…?ううん」
「“NOMAN'S LAND”……誰のものでもない、土地。神様でさえ、犯してはならない場所」
「それってどういう意味?」
「この、掌。ここは神経が発達していて、簡単には治療できないところだからな。ま、要するにそれくらい掌は特別って事」
「ふうん。でもさ、カカシ先生は、簡単に治療してくれたじゃんか」

何気ないナルトの一言に、少しだけ言葉が詰まってしまう。


「……簡単じゃ、ないよ」


いつも通り、にこりと笑えただろうか。

――オレには決して、踏み込めない場所。
――オレには決して、立ち入れない二人の間。

「簡単、だってばよ」

それまでの軽い口調とは色彩の異なるナルトの声音に、カカシは捕らえられる。

“何が?”
そう、簡単には聞き返せない空気を纏ったままナルトが言葉を続ける。
「俺は確かに、サスケとやり合ってもし死んじまってもそれでいいと思った。ていうよりさ、そんくらいの覚悟がないと、アイツとは解りあえねェ」
「…ああ」
「サスケが言ってた、失う辛さも、怖さも。今の俺なら少しは分かるから。……なあ、先生。世界で誰かひとりくらいはさ、自分のこと、とことん解ろうとするヤツがいねーと、寂しいだろ?…自分の苦しみを一緒に背負うヤツがいねーと寂しいだろ?俺は、そう思うんだ」


喉の奥で声が固まってしまったように、 返事ができなかった。
カカシはこれまで、他人の事をとことん理解しようなどと言うのは傲慢で、そして何より不可能だと思ってきた。けれど、目の前にいるこの少年は、一言、そんなのは『寂しい』と言い放ったのだ。
これを幼さだと言い捨ててしまえるほど、今のカカシは非情にはなりきれなかった。
己は彼を“始末”しようとした。弟子を想う愛情ゆえに。けれども、そこに里の内外を憂えての思惑が無かったとは言い切れない。立場やしがらみに縛られ、自分の手で終わらしてやるのが師としての責任だとうそぶいて。
果たしてあの時、一個の人として、サスケを想うひとりの男として、彼と向き合っただろうか。
カカシは自問し、それから自答する。

否、と。

客観的に見てどうかなんて、今のサスケには通用しないと過去の苦い経験を振り返る。
どういう言い訳をしようとも、やはりカカシは堕ちてしまったサスケを見捨てたのだ。

愛情は“情”がある限り、感“情”に支配される。情にほだされる事無く決断したはずでも、それはやはり弟子への愛情という前提あってのものにしか過ぎない。
これではサスケがカカシに敵意や憎しみ、苛立ちを向けて来たのは道理ではないだろうか。

けれどナルトは。
 
「…自分を愛するのと同じように他人を愛せたなら、戦争なんて起こらないのにな」


やっと絞り出せた言葉はこんなものでしかなかった。何という綺麗事だろ う。もしそれが出来るのなら、カカシは今まで誰も手にかける事は出来なかったはずだ。
他者の命をあんなに散々奪っておいてよく言える、と我ながら自嘲する。

「うん。だから。…だから俺は、俺自身と同じくらいサスケを大切にしてぇんだ。それが、俺にできる、忍の世界を変えていくってことだと思うから」

ナルトから返ってきた予想通りの言葉にひどく安堵し、ひどく落胆した。相反する気持ちが沸き上がる。

「お前は、そうだろう、ね」

そう。ナルトがサスケに抱き、伝えたのは、友情でも愛情でもなく。

ただ『愛』だった。

諫めるでもなく反発するでもなく、先ずそのままを理解しようとする。その人の全てを受け止め、受け入れる。
それを愛と言わずして何と呼べば良いのか、カカシには分からなかった。
サスケに対してそうできなかった、いやそうしようとしなかった。もっと正確には、そうしたくなかった。そんな自身と、何にもとらわれる事無く復讐者を受け止めようとしたナルト。
そこに於いて、カカシとサクラは余りにも、余りにも部外者だった。
ましてや、事態を天秤にかけて非情に決断しようとした自分は、サクラよりもっと、二人から遠いと感じる。

「あのさ、カカシ先生。俺ってば、わがままだから」
「うん?」
「わがままだから、サスケを失いたくねぇし、カカシ先生がサスケを“始末”するのも許せねーんだ」
「……」

それほど、ナルトにとってサスケが大切だと云うのはよく分かっているつもりだ。しかし胸の痛みは一向に治まってくれない。

「あん時…先生に、サスケを殺させたくなかった。先生が、サスケを手にかけたことを死ぬまで背負わなきゃなんねーのは嫌だ。先生の後悔を増やすのは、俺、絶対に嫌だったから」
「ナルト…」
「さっき言っただろ?俺ってば、すげえわがままなの!サスケは俺にとって、特別な繋がりだ。けどサスケだけじゃねェ。先生もサクラちゃんもアイツと同じように、すげー特別。全然違うのに、おんなじで、特別なんだってばよ。うあー、なんか…うまく言えねーんだけど」
「……ああ」

固まっていた心が、ふんわりとほどけていくようだった。

ナルトが怪我をしていない左の手で、カカシの手をそっと握ってくる。

「俺の特別な場所に、先生はもう、ちゃんといるから」

凛、と言い切ったナルトの姿に、また、喉に熱いものが詰まってカカシは何も言えなくなる。目の奥もジン、と熱い。込み上げてきたものにひりりと涙腺を抉じ開けられそうになって、懸命に踏みとどまろうとする。
泣きそうになるだなんて、何年ぶりだろうか。
ナルトの前で涙は見せられないと抵抗する自尊心と、曝け出したい欲求とがカカシの中でせめぎあう。
けれどそれは所詮無力なあらがいにしか過ぎず。じわりじわりと眼球が湿って来て、カカシは押し留められない情動に呑み込まれて行くのを感じた。

そして、情動に身を任しても構わない、と思ったから。



最初は軽く触れてみる。

唇と唇が触れ合った瞬間、ナルトの身体がびくんと強張った。構わず強く弱く下唇を食むように味わう。上唇をれろりとなぞり、舌を差し入れれば素直に絡ませてくるのが嬉しい。渇いた口内にじわりと染み込む唾液がたまらなく、甘かった。
上顎を何度も舌先でくすぐり、人よりも数段尖った犬歯の感触を確かめて。
いっそこの鋭い牙で噛みちぎられたいとさえ思う。
唾液も体温も、心も混じりあうくらい永い永い口付けを終えた時には、どこもかしこも全部が欲しい、と身体中が訴えていた。

「っ、ハ…、はぁ、…ど、したんだよ、せんせ。…先生から、してくるなんて、さ。初めてじゃねえの?」
「…、は…ァ…たまに、は…いい、だろ?」

キスの最中もずっと離せなかったナルトの手。掌の厚みや感触、節の大きな骨のかたちまでも確かめるように指を互い違いに組んで、きゅっと握る。


まだカカシより小さな掌。
未だ大人になりきっていない掌。
これまで何度、許されはしないと罪の意識に責められても、カカシには結局手放す事などできなかった。
罪悪感は今でも、消えない。
けれど、そんなものを越えた処に、確かに存在するのを感じられる。

『ノーマンズ・ランド』

例えようもなく、いとおしいあなたの場所。
そこに入り、足跡を残せる幸せ。


***



「なあ…先生、俺とサスケがどうなったとしても…、先生は…先生だけは最後まで見届けてくれるよな?」
「…あ、…たり前だろ。それはオレの役目だからな。誰にも、誰だろうと譲ってなんかやらない」

それからすぐ、睦言の合間に囁かれたのは真摯な願い。
しっとりと濡れた足を腰に絡ませながら応えたのは、決意。

「…ん」
至極嬉しそうに目を細めるナルトの掌と、カカシの掌は、しっかりと結ばれたままで。
誰にも手出し出来ない場所を、侵し侵されたいと願う存在。
互いの“特別”なのだと、確かめられたから。






後書へ続く
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