忍であることの前に
□Birthday Letter
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『名は良い油に、
死ぬ日は生まれる日に勝る』
Birthday Letter
シン、と冷え込んだ夜。
比較的温暖な火の国とは違い、もう此処は既に冬の息遣いさえ感じさせる。
知恵の象徴とされる鳥の鳴き声と、僅かな葉擦れの音だけが辺りに響いていた。
幾日目になるだろうか。敵も味方も膠着した戦局に疲弊し、いつ終わるともしれない戦いに緊張の糸は目に見えて切れかかっていた。
精神と物質、両方の消耗戦だ。
五つの歳から数多くの戦場を目にし、生き残ってきた己にとっても…分が悪いと言わざるを得ない状況。
『写輪眼のカカシ』と畏れられ、持て囃された頃だったなら、もっと早く打開出来ただろうかと一人ごちてみても、この際意味はない。
現実として、今自分に残されているものは、辛うじて視力を保っている右目と、あちこちガタがきている身体だけなのだから。
それでもなお“忍”として在りたいと望んだのは自身で、その事に対しては何の後悔も躊躇もなかった。
───せめてアイツが、火影になった姿を見るまでは
そう想い続けてきたけれど、満身創痍の部下達を生きて帰してやるには、この状況は厳し過ぎた。
勿論、まだ諦めてなどいない。
だが、いよいよ切羽詰まって来ると、人間ってのは開き直るのかね、と内心呟いてみる。
そして悲観や楽観とは全く違う次元の感慨……ああ、これが“達観”というやつだろうかと一人で納得した。
生きる事――すなわち忍である事。
これまで何の問題もなく、イコールを描いてきた関係が、肉体の衰えと共に変わっていく。
忍でなくなった『はたけカカシ』など、想像もできない。しようとした事すらなかった。
今でも、持てる全てを受け継がせてやりたいと、心の底から願っている。
だが、アイツも、その仲間達も…とっくに大きく成長していて、もうオレの助けなど必要としていない。
別段蔑む訳でもないが、部下ひとりまともに育て上げられなかったオレだ。
指導者としてもいたらない、技や術だって、他の者がいくらでも教えてやれるだろう。
他の誰でもない、オレ自身が忍でない己に価値を見出だせなくて。
だからこそ、最後の最後まで、忍としての生を全うしたかった。
父や先生、そして幾多の先人達がそうしてきたように。
「カカシ隊長…」
部下の呼び掛けに、思考は中断された。
「…ん?どうした?傷が痛むのか…?」
まだ年若いこの男は昨日の応戦で左足に深い傷を負っていた。応急処置程度の医療忍術では痛みを紛らわすのがせいぜいで、辛うじて出血が治まっているのが幸いだった。
「…あ、いえ。…こんな時に不謹慎だとは分かっているんですが、空、見ましたか?」
「空?」
何を言い出すのかと思えば。
オレは反射的に夜空を振り仰いだ。
繁る木々の合間から、月色に輝く姿が見える。
沈む蒼を、神々しいばかりの光で優しく染める存在。
夜空を切り取ったかのように浮かぶ、月。
ほとんど満月と言っても良い満ち方だ。
それとも、僅かに欠け始めているのか。
「…ああ…月が、綺麗だな」
「はい。…里でも、同じように見上げてるだろうな、って思ったんです」
重傷を負っているとは思えない穏やかな顔をして、部下はそう言った。
誰が、とは口に出さなかったけれど。
こんな時だが、いや、こんな時だからこそ、里にいて窓辺から見上げた月よりも……
冴え渡る澄んだ光に、心まで照らされているようだった。
そこには血の匂いも憎しみもない。
ただ、美しかった。
不意に、古くから伝わる書物の一節が思い出される。
そう言えばこの間、オレの誕生日を祝いたいと何度も言ってきたナルトに話して聞かせたからだろうか。
恋人がいようがいまいが、オレはこれまで誕生日を祝ったことなどない。
忍にとって大切なのは、何を成し、やり遂げて死んでいくかという事だから。
それが当たり前でしょ?と言ってやれば、ナルトは一瞬どこか痛むような顔をした後、すぐ大袈裟に落ち込んでみせた。
「カカシ先生ってば、サミシイ人生送ってきたんだな」
これみよがしに大きなため息までついて。
「別に寂しいと思った事はないけどね」
「…先生がどうしても嫌なら、もういいってばよ。けどさ、俺、15日は先生ん家に行くから。待ってて」
だがその後すぐに、オレはこの任務に付くよう命じられたのだ。
出立前日の夜、ナルトは訪ねて来た。自分もこれからすぐ任務に出るからと、封筒をオレの手に押し付けた。
「手紙…?」
「うん。15日になったら開けて。それまではゼッタイ読んじゃダメだってばよ」
ナルトはオレの頬を確かめるように辿る。そして、そっと触れるだけのキスをされ、痛いくらいに抱きしめられた。
「おい、ナルト、玄関のドア…」
「……ホントは、これ以上の事もしてぇんだけどさ。俺…もう、行かなくちゃなんねーから」
これでは外から丸見えだと窘(たしな)めかけたオレの耳に届いた声は、いつものじゃれつきとは別物だった。
「…ナルト?」
「だからさ、先生。帰って来たら、続きさせて?」
常ならば“何言ってんだ、莫迦”と一蹴していた言葉。
だが、本能的に鋭いこいつは予感してたのかも知れない。
もう逢えない、と。
いや、違うな。
そう思っていたのはオレの方だ。
ナルトは、そんなオレの気持ちを何処かで察していたのだろう。
そして、オレの読み通り、状況は絶望的だった。
「確か15日…昨日が満月のはずですよね…」
「…!?そうか……オレとした事が、すっかり忘れてたな…」
何の気無しに呟いた部下の言葉とほぼ同時に思い出した。
ポーチの中にしまってある手紙。
ま、昨日はそれどころじゃなかったし…早まって見た訳じゃないからな──と密かに言い訳をしつつも、少し心が痛む。
「隊長?」
「ああ…何でもない。お前も、今のうちに体を休めておけよ」
部下の側を離れ、大きな木の根本に腰を下ろして手紙を取り出して眺めた。
表には、お世辞にも綺麗とは言えない見慣れた字で、『カカシ先生へ』と大きく太く書いてある。
ふっ、と自然と口元が緩む。
この任務中、オレは部下達を安心させるために何度も笑って見せた。
けれど、本当に笑えたのはこれが初めてだ。
ショリ、とクナイで開封する。
手紙には書き手にそっくりの元気のいい文字が踊っていた。
『カカシ先生へ
先生、元気ですか?つーか、元気でいてくれると信じてます。
この間先生が言ってた、死ぬ日は生まれる日にまさる、だっけ?あれから、俺なりに考えてみたんだ。
父ちゃん…四代目やエロ仙人、三代目のじいちゃん、それにアスマ先生。みんな忍として、大事なもんを俺達に残してってくれた。それは火の意志だったり、これまで教えてもらった全部の事だったり、諦めない事だったり。とにかくここには書き切れないくらい、たくさんのものだ。
だけど、先生はもう、そういうたくさんのものに負けないくらい大事なものを、俺にくれてるんだ。先生は知らなかっただろ?
知ってたら、誕生日を祝いたい俺の気持ちも分かるはずだもんな。
ほんとは誕生日に顔見て言いたかったんだけど、ここに書きます。
カカシ先生、誕生日おめでとう
先生が好きだ
先生を愛してる
先生の側にいたい
一秒でも早く会いたい
九月十五日じゃなくてもいい。任務があって一緒に過ごせなくてもいい。
俺に、先生がいてくれる事を祝わせてください。
誕生日なんて、ただの日なんだよな。だけどさ、大切な人が今年もその日を迎えてくれたって事は、俺にとってこれ以上ないくらいでかい意味があるんだ。
先生が生まれて来てくれて
何度も死にそうな戦いを生き抜いて
だから俺とも出会えて
俺が先生を愛せて
あんま口には出さないけど、先生も俺を大切に想ってくれて
分かるかなあ?
この全部が、何回もの誕生日を迎えて来たからあるんだって事。
先生はもう、いっぱい与えてくれてるって事が。
先生が死ぬまで木ノ葉の忍でいたいって気持ち、俺にも分かる。俺だって木ノ葉の里が大好きだから。
でも俺は、先生が写輪眼持ってるすげえ忍だから必要なんじゃない。
カカシ先生だから、そばにいてほしいんだ。
他のどんなヤツだって代わりなんてになれねえ。
先生の父ちゃんも親友も俺の父ちゃんも、もう誕生日を生きて迎える事はできねーけど。
これから先、俺は一生カカシ先生の誕生日を祝い続ける。
大切な人たちの分まで。
ついしん
やっぱ、一番言いたかったことは、先生の顔見てからにします。
だから絶対に、帰ってきて 』
オレは、何度も何度も手紙を読み返した。
「全く…火影になろうってヤツが、何書いてんだろうね…」
おまけに文章は下手くそだし、漢字は知らないし…
「……こんな調子じゃ、まだまだ教える事がありそうだな───」
咽喉が詰まったように苦しくて。込み上げてくるものを奥歯を噛みしめて必死にこらえながら、
オレはまた、月を見上げた。
任務地にいるのか、里にいるのか
独りでいるのか、それとも誰かと一緒なのか
想像することしか出来なくても。どこかでアイツも見ていて欲しいと、願う。
無事でいてほしい。
生きて、帰りたい。
生き様や死に様
そんなもの置き去りにして、
身体の奥深くが叫んでいる
もっと生きていたい
俺こそ、お前が必要なんだと
ずっと…そばにいたいのだと
口にするのは許されない想いは今、何よりも強い祈りになる。
“絶対”などという言葉が紙切れよりも儚い忍の世界。
それでもオレは“絶対”に帰ってみせる。
そして来月、お前の誕生日を祝おう。
来月も来年も十年後も。
それから、オレも…今すぐお前に逢いたいよ
やっと吐き出せた素直な気持ちと一緒に、オレは一日遅れの手紙をポーチにしまった。
きっと明日で、決着がつく。
長い間に鍛えられた直感が、そう告げていた。
◆
最後に見たものは、あの若い部下の顔。間近で必死に何かを叫んでいた。
オレは意識が遠退く中で、ああ…お前、無事で良かったね、と声をかけたけれど届いただろうか。
ナルトと同い年の、部下。
一人も欠ける事無く、帰らせたかった。
そしてオレも、必ず帰るよ。
今度は直接、お前の声を聞きたいから───
終
後書に続く