忍であることの前に

□コーヒーフレイバー
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雨の日は、先生の元気がない。

カカシ先生はもともと、どっかのCMみたいに元気ハツラツ!っていう人ではないけど、
天気の悪い日はことさらしおれてしまっているように見えた。

植物に例えるならば、くたりとしなびた葉っぱとしんなりした茎、うつむいた花びらのようで。

ベランダや屋上で育てている草花がそんな状態になっていたら、水分不足かあるいは何かの病気かもしくは虫にやられたのかと、花芯を覗いたり葉っぱを裏っ返して見たり、そりゃもう気が気じゃいられない。

それが植木鉢の中の植物じゃなくて先生なら、俺はなおさら気になって仕方ない。






コーーフレバー






雨は今日で三日も降り続いている。

俺の勘違いかと最初は思った。
でも、雨の日の先生はどことなく普段と違うのは確かで。

やっぱり元気がない。

待機所に何人もいる中で、何でかあの人の様子が気になってしまう俺は、それとなく元チームメイトに訊いてみることにした。

「な、サクラちゃん、今日のカカシ先生何か変じゃねえ? 」

「うーん………そう?私にはいつもと変わんないように見えるけど。相変わらずぬぼーっとして掴み所がない感じよね。というか、見えてるのが右眼だけなんだから、そんなの分かんないわよ」

「まー、確かにそうだけどさ……。でもなあ、なんか元気ないっつーか、髪の毛なんかもこう、しおれて枯れかけてる感じがすんだよな」

「そりゃ、先生だってもういいトシなんだから枯れてくるのも当然でしょ」

ちらりと先生を見ながら答えてくれたサクラちゃんという人は、時に辛辣なほど歯に衣着せぬもの言いをする人だ。そこが信頼できるのではあるけど、その彼女をして何も気付かないなんて。


だから俺は、ソファに腰掛けて毎度お馴染みの本を読んでいる先生の向かいに座って、じいっと観察してみる。


何が違うんだろ。

見た目は確かにサクラちゃんの言うように、変わらない。
チャクラが乱れてるってこともない。先生のコントロールはいつも通り完璧だ。

でも何かが引っ掛かる。
なのに、分からない。


…だいたい俺は考えるのが昔から嫌いなのだ。
答えが見えないものをいつまでも気にしてウダウダ考えこむなんて、性に合わない。


ここ、上忍待機所には他と違ってセルフで珈琲やお茶を汲んで飲めるコーナーがある。
Sランクともなると、一晩で百万両を越す報酬を叩きだす上忍にしては見合わない特権だけれど、味の方は案外イケるというのは事実だ。

最近やっとブラックの味を覚えた俺は、自分の分と先生の分とをカップに注いで先生の向かいの席に戻った。

「はい、珈琲、どーぞ」

「ん?ああ、どーも」

少しだけ意外そうな顔(といっても先生の場合見えないからあくまでも雰囲気だ)を見せて先生はカップを受け取った。

「お前も気が利くようになったんだなー。……牛乳ばっか飲んでたあのナルトがねえ……」

「“あの”って何だよ。俺だってブラックくらい飲むって」

まあ…飲めるようになったのは最近だけど。そしてきっかけはやせ我慢だったのも確かだけど。

それは何かしらのきっかけになればと思っただけで、渡した後に気が付いた。
ああそういえば、先生の素顔を知るチャンスなんじゃないのこれって。

そう考えた途端、ソワソワしてしまうのもしょうがない話だろう?。
だって未だに先生は正体不明の忍者なんだから。出会って10年近く経つっていうのに。

子供の頃、何度挑戦しても拝めなくて、最近はもう懲りたと思っていたものの、やはり気になるものは気になるのだ。

しかし先生は受け取ったくせに、珈琲に口を付けようとはしない。

残念ながら。


「あー…あのさ、最近雨がよく降るよな」

「そーだな」

先生は愛読書から顔も上げずに相づちを打つ。

「今日でもう3日続きだし。任務出ても、冷たい雨のせいでコート着ててもさみーし」

「そーだね」

「終わったら、身体冷えきってるし。なんか身体の動きワリイ感じだし」

「それはお前の修業が足りないからでしょ」

…ソーデスネ。…って、いやこんなことが言いたいワケじゃなくて。
ああもう。

浮き立った気分を落ち着かせようと、ひとくち口を付けた熱い珈琲はわずかに酸っぱくて、ひどく苦かった。
それでも、少しだけ舌で転がすようにして、飲み込む。

咽喉を通って落ちる液体の苦味に顔をしかめそうになるのをこらえると、
空腹の胃に染み渡る珈琲の刺激に、脳と胸のどこかをびりびりと引っ掻かれた。


それが合図のように。


「ちがう、」

「違わないよ」

「そうじゃなくて。………なあ、せんせい。雨の日はどっか痛むんじゃないの?」

自然と俺はぐいいと先生に顔を寄せていた。
同時に紙コップの中の暗い液体が、ぱちゃ、と揺れる。

俯いて活字を追っていたはずの伏せた目元の表情は伺えない。

けれども、その瞬間、先生の纏う空気が色を変えたのが見えたような気が、した。


「………何で?」

「それは“当たり”って意味に取るけど?」

「……………」

「古傷ってヤツ?」

沈黙は肯定の証だろうか。

「……………」

「俺にはそーいう感覚って分かんねえけど、前にイルカ先生が言ってたことあるから」

「………そんなに、態度に出てたか?」

「いんや。でも何でかなあ…」

「………」

「なんか、感じたんだ」

「フゥ…お前に見破られるようじゃ、オレもまだまだ甘いって事かねえ」

「そんないてぇの?」

「…痛み自体は昔の傷だからさほどでもないよ。ただ、………意識するんだ」

「何を?」

「色々」

「それだけじゃ分かんねえよ」

「分からなくていいよ、お前には」

ああ、くそ!そういう、“他人には関係ない”とでも言いたげな顔に苛々する。

こちらがどれだけ気に掛けていても、目の前にいるこの人には踏み込めないのだと突き付けられるのだ。
それ以上何も言わない先生と、次に告げる言葉を見失ってしまった俺。


「カカシさん!五代目がお呼びです!」

その時、ざわついた待機所にイルカ先生の声が朗と響いた。

「分かりました」

「じゃ、またな」と、席を立って出ていこうとするカカシ先生に、やっぱり掛ける言葉は見つからない。

だけど

「珈琲ご馳走さん」

とだけ、振り向きもせず言い置いていく先生の後ろ姿は、何故だか少し元気そうに見えた。

「何言ってんだよ飲んでもないくせにさ」

滲み出る可笑しさを感じながら先生の背中に向かって言葉を投げつけてやると、先生はこれ見よがしに紙コップをくしゃりと潰してゴミ箱に放った。

すげえ。いつの間に飲んだの先生ってば。

駄目だ笑えてくる。


そうして俺は、にんまりとする口元へ珈琲を運び、ごくりともう一口飲んだ。


「うー、やっぱにげえ……けど」


冷めかけた珈琲はさっきより苦い。
なのにほんのわずかの甘さが潜んでいたことを初めて発見できた。





青臭い甘っちょろさと

俺にはまだ慣れない、刺激的な苦さ。


ふわりと鼻に抜けるコーヒーフレイバーは、じっとりまといつく憂鬱な湿っぽさを
吹き飛ばせただろうか。





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