SKETCHES

□白夜と極夜のはざまに
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私と母の出発は、再来週の火曜日に決まった。父は一足先に現地入りして、仕事の引き継ぎ等を行う予定になっている。
引越しのめどが立ってすぐ、私が氷帝を去ることは母から正式に学校に連絡された。こういうケースには慣れているようで、担任らが手続きに慌てる様子などはなかった。向こうにある姉妹校への編入は、すんなり決まった。
しかしながら、職員室に呼ばれそれについて話し合った際、
「転校のことはクラスの人に当日まで言わないでください」
と告げた私に、少なからず担任は驚いたらしかった。
そんなわけにいかない、送別会もしないと、などと非難めいた口調で言うのを、私は控え目な笑顔一つで丸め込んだ。
「見送られるのとか、苦手なので」
それに引き留められたりしたらますます行きたくなくなっちゃうから、と駄目押しすれば、担任は仕方なしに分かってくれたようだった。
本当はまるでそんなこと考えていない。上辺だけの友人関係を築き、クラス内でさして目立つ存在でもない私に、わざわざ時間を割いて会など開いてもらうまでもないだけだ。餞別にはお決まりの寄せ書きだとか、勘弁してほしい。思ってもいない「寂しくなります」の一言など、いらない。私自身が空っぽである以上、ここにも何も残さず、水鳥のように発ちたいのだ。
言いたいことだけ言い終えて、失礼します、と職員室の扉を外から閉めきると同時に、背後から声が掛けられた。
「自分、転校するんか」
聞かれてしまった──
舌打ちでもしたい気分に襲われながら、振り返った。
忍足侑士が、立っていた。
私は同じクラスになったばかりのこの男子が苦手だった。あまり話したこともないのに、いざ向かい合えば人の心を見透かすような目をする。伊達だという眼鏡は、余計なものまで見えすぎるのをシャットアウトするために掛けてるんじゃないか、と半ばオカルトな疑いまで持っていた。
「あのさ、他の人には言わないでくれる」
「どこ行くんや」
人の発言を堂々無視して尋ねてくるクラスメートに苛々しつつ、私はおざなりに答えた。
「……ドイツ」
「うわ、ホンマ」
そら遠いな、などと肩を竦めて驚いてみせる忍足に、わざとらしさを感じて眉を顰めた。忍足も転勤族らしいから、表面だけ惜しまれる欝陶しさを分かってほしいのにと考えたが、彼の場合多くの友人が実際別れを心から寂しがるのだろうと思うと、自分とはあまりの乖離を感じた。
私は念を押す。
「誰にも内緒にしててよ」
「はあ?何で」
「何でも」
「ふーん……まあ、ええけど」
睨めば、大して興味もなさそうな様子で忍足は頷いた。中学生男子に珍しい、こういう冷めたところは、付き合いやすくて助かる。
だがしかし、そう感じたのも束の間、忍足は煩わしいことを言い出した。
「ちゅうことは……知っとるん俺だけになるんやろ?せやったら何かやるわ、お餞別。何がええ」
この男までこんなことを言うのか、怒りすら湧いてきてあからさまにため息をつく。欲しいもん言うてみ、と調子づいた語り口に、いらない、と突っぱねようとした。
だが。
ふと突拍子もない答えが頭の中に浮かんだ。その瞬間は、魔が差したとしか説明しようがない。
私はそれを、そのまま口にした。
「……思い出」
忍足が一度だけまばたきする。
「欲しいものでいいんでしょ?だったら、」
今まで生きてきた中で、どんなことが一番楽しかったですか?
一番悲しかったですか?
一番感動しましたか?
そんな質問をされれば、解答欄が全部空白になる私に、この短い期間で答えを与えてくれるというのなら。
「忍足の二週間、私にちょうだい」
私は忍足の顔を見据えて、そんなことを口走っていた。
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