SKETCHES

□1/365
1ページ/1ページ

扉を開けるなり、
「誕生日おめでとう!」
と告げたら、びっくりした顔をされた。
意外に自分の認識からは抜け落ちてたりするものだよね。でもそれを他の人の言葉で思い出せるのは幸せなことだ、って私は考えてるんだ。
ただし、祝われていると理解したはずの当の本人はそうでもないらしく、時計に目をやると読んでいた本に栞をかける。
「……ああ、もうそんな時間か」
二つの針は『12』を指している。丁度の時刻まで廊下で待ち構えていたから、私は見なくても知っている。……って、そうじゃなくて。
「そ、それだけ?もう少し盛り上がってくれてもいいんじゃない?」
想像していたよりずっと淡白なリアクションに寂しさを感じていると、
「自分の誕生日ごときでいちいち盛り上がれるかよ。俺様は日々進化している。歳なんか関係ねえ」
齢十五にして(十四で既にそうだったけれど)王様と呼ばれる目の前の少年、跡部景吾はグラスに残っていた琥珀色の液体をあおった。寝る前のお気に入り、ノンアルコールのシャンパンだ。
「大体、教えた覚えもねーのによく知ってたな」
ソファに深く腰掛けたままの彼は、尊称に相応しい品のある所作でゆっくりと足を組み替える。私は扉をきちんと閉めて、そちらへ歩み寄った。
「知らないわけないよ。周りの人だって、一ヶ月くらい前からずっと今日のための準備してるんだし」
「俺は忘れてたがな」
いつも忙しい景吾は気づかないのかもしれないが、家の中はてんやわんやの大騒動だ。跡部家の長男の誕生日には例年通り盛大なパーティーを開くらしい。それなのにどこまでも他人事な口ぶりに、寂しさを感じる。
「祝われるの、好きじゃないの?」
思いきって尋ねてみれば、景吾はグラスを片手に考えた様子で、ややあってから答えを返した。
「……嫌いってわけじゃねえ。だが誕生日でなくとも欲しいものはいつだって手に入るし、好きなものも食える。パーティーだって日常茶飯事の俺様にとっちゃ、今日が特別どうこうってわけじゃねえだけだ」
煩わしさの方が大きい、そう言いたげに伏した瞳のラインをじっと見つめる。人が隠しておきたいことまで見破るだけの観察力があるくせに、積極的に自分に向けられる他人の心にはまるで頓着しない偏屈な王様に、私は進言を決めた。
「……ううん、やっぱり特別だよ。景吾にだって、絶対今日しかもらえないものがあるじゃない」
「何……?」
眠そうに落ちる瞼がぴくりと引き攣る。
私は彼の目に入りそうになっている前髪の先をそっと除けながら、綺麗な瞳に微笑みかけた。
「もう一回あげるね。『おめでとう』」
きょとん、そう音になって聞こえそうな反応に、つい笑い声を漏らす。
──もし、この人の隣に立つことがなくなっても、私はきっとこの日付がどんな意味を持つかを忘れない。何年経っても10と4の組み合わせをカレンダーで見つける度に、心にそっと星が瞬くような思いをするだろう。大事な人の誕生日って、そういうものだ。
「……本当は何をあげたらいいのか分からなくて。それこそ物なら、高価なプレゼントを山ほどもらうだろうし、花だってそうだし……。だから色々考えたけど、まずは誰よりも早く、この言葉を伝えようと思ったの」
何もかも与えられすぎて擦り切れてしまった王様の心の疲れに、効きますように。
「景吾。誕生日、本当におめでとう。景吾が生まれてきてくれたから、一年のうちの今日がすっごく素敵な日になった。もちろん今年だけじゃなくて、これからも毎年ずっとだよ。こんなに幸せな気分になれるなら、来年の今日がもう待ち遠しいくらい」
いつの間にか難しい面持ちになっていた彼の表情。話している間にそれが少しだけ和らいで、見慣れた意地悪な顔つきになるのに時間はかからなかった。いつもと同じ、ニヒルな目の眇め方に安心してしまう。
「ハッ、何だそれは。お前、そんなに俺様の誕生日が嬉しいのか?」
からかい混じりの声の調子にも、馬鹿正直に満面の笑顔で頷いた。
「うん、嬉しい」
「……そうかよ」
「うん」
唇にため息の形を残したまま、顔をそむけられる。寄った眉と睫毛がぴくぴく動いている。一見、機嫌が悪そうにもとれる表情。
それでも私は、頬が緩むのを抑えられなかった。
「……景吾?」
「あん?」
「照れてるの?」
途端に尖った瞳を向けてくる彼は、こういう瞬間だけ年齢よりはるかに幼い子どもだ。
「かーわいーい」
形のいい頭をつい撫で回したら、立ち上がりながら押し退けられて額をこつんと叩かれた。
「ぬかしてんじゃねーよ、バーカ」
景吾の足はそのまま寝室へ続くドアへ向かったので、満足した私も自分の部屋に戻ろうと背中を向けた。この短い眠りから目覚める彼を、世界中が待ち構えているのだ。
「おい」
が、呼び止める声が聞こえたと思ったら、一秒後には背後から回された腕に捕まった。
よろめく私を後ろから受け止めた姿勢のまま、景吾は囁く。
「確かに受け取ったぜ。……ありがとな」
その頬をひたと私のこめかみの辺りに押し付けて、私がしたのよりずっと優しく頭を撫でる。肩につく肘も、前髪の上から置かれた掌も。一つ歳を重ねたせいか、景吾の全部がますます大人に近づいて見える。
……あげた以上のプレゼントをもらってしまったな。
私は内心、長い長い息を吐く。
この先一回でも多く、できるならすぐそばでこの人の誕生日を祝い続けたいなんて贅沢を願ってしまう自分がいることを、嫌というほど痛感したからだ。

*****

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ