SKETCHES

□小夜啼鳥の恋
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窓の外は、一夜限りの舞踏会。
三日にわたって開かれた文化祭が終幕を迎えようとしている。期間内は学園中が大いに盛り上がるが、とりわけ後夜祭は特別だ。校内のどこにいても聴こえてくる楽団の演奏。照明は一段階落とされ、秘密の交わし合いを容易くする。意中の人と踊ろうと、今宵は誰もが大胆になる。
宴を見下ろす生徒会室の文机には、一輪だけ、真っ赤な薔薇が活けられていた。電気も点けていない部屋の深い群青の中にあって、浮き上がるような鮮烈な赤さだ。
まだ切られて間もないのであろう、瑞々しい花弁に、私は呼吸を忘れて見入る。
「どうかしたか?」
背後に佇む彼は、この城の王だ。本来なら階下で繰り広げられる祭典の中心にいるべきだが、喧騒を逃れてここへやってきていた。
彼は私の隣に立つ。薔薇に気づいた様子で、しげしげと見つめている。仄白い外光に照らされたその頬は磨かれた鉱物を思わせた。
「悲しい話を、思い出したの」
躊躇いながらも、私は一つの童話を語りだす。
──類稀な歌声を持つ小鳥が貧しくも勤勉で美しい青年に恋をする。けれど彼には思う人がいて、彼女にダンスの相手を申し込むための赤い薔薇がないと嘆き悲しんでいた。小鳥は愛する彼のため、己の血で白薔薇を真っ赤な薔薇に変える。何も知らない青年は花が手に入ったことを喜び愛しい人のもとを訪れるが、裕福な少女にとって花も彼の心も気まぐれで求めたにすぎなかった。そして、小鳥が命と引き換えに咲かせた赤い薔薇は、情熱が冷めた青年に打ち捨てられる。
「小鳥がどうしようもなく報われないのが印象的だった」
その骸は、木の下で冷たくなったまま、彼に見つかることもない。
「でも、咲いた薔薇の描写があまりに綺麗で……。この薔薇が本当にあるならどんなに赤いのだろうと、幼心に感じたのよ」
言い終えてから改めて、はっとする程の赤さをたたえる花に視線を落とす。
「ああ……ナイチンゲールの物語だな」
「知ってるの?」
「俺にだってそういうものを読んでたガキの頃はあったんだぜ」
彼は、懐かしむように双眸を細めた。ただ、続く言葉に親しみはなかった。
「登場人物がことごとく愚かな話だったな」
淡い明かりの差し込む窓枠に、手が置かれる。
「見る目がなさすぎるんだよ、鳥も、男も。くだらない人間を好きになったのが一番の悲劇だ。男は目が覚めて幸運だったかもしれないが、命を捧げちまった鳥は生き返らない。一つの幻想に入れ込むことがどれ程馬鹿げているか、よくわかる話だ」
小鳥は、彼のように美しい人に恋したのだろう。目が眩んで、彼しかいないと信じて、何も考えられなくなるのだ。私にはその気持ちが理解できる。
愛の歌を絶唱しながら、死にゆく小鳥。憐れな小鳥。だが、小鳥が必ずしも後悔するとは思えなかった。彼女は彼のまことの恋人になると夢見て死んだのだ。
流れてくる演奏が、スローなワルツに変わる。
「……お前は踊りに行かないのか?」
生徒たちの円舞を眺めながら、彼は問いかけてきた。
「行くって言ったら、そうさせてくれるの?」
「行ったところでお前の相手はあの中にはいねえだろ」
試すような返事をしたところで、勝ち誇った表情が向けられる。
私だって……と反論しようとしたが、見知らぬ誰かの胸に抱かれて踊ることは想像し難かった。エスコートを望むのは、ただ一人だ。
「たとえお前が花より宝石を求める女だったとしても、そんなものいくらでもくれてやれるが」
彼は、二人の間に鎮座する薔薇を、そっと引き抜いた。
「ダンスの誘いに添えるなら、花と相場は決まってる」
その花びらに口づけた。見せつけるように。彼はいつでも、自分の魅せ方を知っている。
ますます赤みを増した薔薇が、こちらに差し出された。
「……踊ろうぜ?」
嘆きの歌が聴こえる。心臓に自ら棘を刺した小鳥の叫びが。
私は花を受け取って、ひと撫でした。
「わかってないのね」
そして、静かに一輪挿しに戻した。
再び水を得た薔薇は、元通りの位置に収まる。
「宝石だっていらないけど、私、いたずらに花をねだったりする女じゃないのよ」
あなたには見えない、この薔薇に滴る何百羽もの小鳥の血が。
「じゃあ、何が欲しいんだ?」
花器に添えていた手に、一回り大きい掌が重なる。
「言ってみろ」
甘い声が、耳元で囁かれる。
その質問には小さく首を振って、ただ寄り添った。腕を回し、音楽に乗せて、頭を制服の肩にもたれ掛けさせる。彼の肌からは、暁に咲く薔薇の香りがした。
誰かを犠牲にしてしか幸せになれないのは、この人を好きになった瞬間から知っている。
ともすれば忘れそうになる、私も一羽のナイチンゲールにすぎないことを。
それでも、選ばれたからには幸せにならなければいけない。一羽の救済が、死した恋心の大群に手向ける、せめてもの報いとなるなら。

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