付喪堂綴り・1

□短編・クリスマス編・2
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どこかへ急ぐ幸子‥





あの日‥落としてしまった特売のカレールーなど踏みつけて走り出した先は病院。



冷たく‥凍えた感じがする病院だった。



「飛び降りたさいに頭部を強く打ってしまっていることから重度の脳挫傷‥



全身も骨折で内臓も破裂‥一命は取り留めたものの‥意識は戻ることはおそらく‥



お気の毒ですが」



彼は‥飛び降り自殺を図ったらしい。



私と出逢った思い出のファミレス‥それを正面から眺められる3階建てのビルの屋上から。



決まっていた役‥オーナーの一言で差し替えられたそうだ。



大きなプロダクションからの客演が決まったらしく‥それは表向き。



実際は落ち目のベテランを今回起用すれば、次回は売り出し中の人気若手俳優を



プロダクション側が出してくれる‥



今回も、落ち目とは言えネームバリューはそこそこあるし、損な話ではない。



オーナーは言う‥儲けるチャンスだよと。



誰もこの意見には逆らわなかった‥そして、降板を一方的に告げられた正照は‥



オーナー「この何ヶ月か、いい夢見れたと思ってスッパリあきらめなさい。



いい機会だと思うよ‥どうせ才能なんかないわけだし‥キミは。



まぁ、演出家の気まぐれと言うか‥お遊びで決めたようなものだから。



彼にも厳しく言っておいたけども、君も自分の才能だとか‥実力がわかるなら



潔く身を引くべきだと思うがね」



納得いかないと食い下がる正照に、オーナーは冷たい言葉を浴びせた。



無名の俳優と名の知れている俳優‥どちらを使うかなど言わなくてもわかるだろう‥



そんな目で睨まれ挙句「移籍の話もなかったことに」



落ち度はけして認めず、名もない俳優の言う事は徹底的に潰す。



それがここのオーナーの方針。



そして‥失意の中、正照は幸子と出逢ったファミレスを見ながら‥飛び降りた。



夢が破れたからじゃない‥そんな人じゃない。



彼は、私との約束が守れなくなる‥また私を悲しませることに傷つき‥





ギュっと手にしたバックを強く握り締めた。



幸子「バカ‥」

結果いちばん悲しませることをしてしまった最愛の人へ、
涙の代わりにひとことだけが零れ落ちた。



「あのぉ」



不意にかけられた声‥



振り返ると、老婆が立っていた。



幸子「私‥ですか」



老婆「えぇ‥ごめんなさいね、なんだか急に具合が悪くなって‥」



幸子「え‥だいじょうぶですか‥救急車、呼びましょうか」



老婆「いえいえ、そこまではないのですけどね‥ちょっと休みたくて‥



悪いけど、どこか休める場所へつれていってはくれませんか」



幸子は困った様子を見せたが、キョロキョロと辺りを見回して‥



幸子「あぁ、あそこに‥おばあちゃん、あそこへ」



と、老婆の手を取って支えるように近くのファストフード店に入った。





店内 暖房が効いていて暖かい。



とりあえず老婆を椅子に座らせる。



何か暖かい飲み物を‥



幸子「あっ‥」



さっきの女の子に財布ごとわたしてきたのを思い出す。



幸子「どうしよう」



老婆「お嬢さん‥」



老婆は500円玉を差し出した。



老婆「お嬢さんも何か飲むとよろしいですよ」



幸子「そんな‥いいですよ」



老婆「いいから」



手渡される500円玉。



カウンターに行き、ホットコーヒーをふたつ注文‥受け取って

席へと戻ってくる。



幸子「はい、おばあちゃん」



コーヒーとおつりの200円ちょっとを老婆にわたす。



老婆「ありがとう」



にこやかに受け取る‥



幸子「いえ‥こちらこそ、ごちそうになって‥すみません」



周りから見れば年老いた母親と休憩している娘‥親子に見えているのだろうか。



そんなことを考えながら幸子はコーヒーを口にする。



幸子はフッと寂しげな笑顔を見せた。



老婆「お嬢さん‥わたしはね、娘とこうして買い物に出かけて

帰りにちょっとゆっくりしてね‥コーヒーなんて飲む暮らしが夢でね」



人懐っこそうな笑顔で老婆は話している。



幸子「おんなじです‥私もそんな夢、見てました」



老婆「そう」



幸子「今はもう、叶わない夢だけど」



老婆「どうして?あなたはそんなにお若いじゃない‥」



幸子「もう30過ぎてますよ」



苦笑い。



老婆「もうじゃありませんよ‥まだ30‥人生の半分も行ってやしない‥



それにね、夢はあきらめた時にだけ覚めるもの‥あきらめなければ

見続けられる、いつかきっと叶う‥



もし、叶わなかったとしても、そこに行くまでの

あなたの想いは確かなものじゃないですか。



それがなによりの宝物だと私は思いますけどね‥叶わなかった夢を種にして

また新しい夢の芽を出してあげればいい‥また育ててあげればいいと思いますよ」



幸子「夢の種‥ですか」



老婆「えぇ」



グシュ‥鼻をすする幸子と優しく微笑む老婆。



店内にクリスマスソングが流れていた。





クリスマスプレゼント、今年は何がいい?



毎年聞いてきたっけ‥私はわざと言うの‥シャネルの香水がいいっ‥



ヴィトンのお財布がほしいぃ。



もー何年も使ってるんだよこれ‥しかも自分で買った安いヤツだし。



ふくれっ面の私を見て彼は笑って‥サンタさんがいつか持ってきてくれるよ。



なんて言ってたなぁ‥なによ、その答えはっ。



だったら何が言いなんてはじめっから聞くなっ。



サンタさんっていつ来んのよっ。



いつかきっと来るよ‥その時、今まで持って来れなかった分を

まとめて持ってきてくれるから‥



その時のために彼がオーダーをとっているそうで。



バカ‥(喜っ)



あたたかいコーヒーを飲みながら、雪降る街を眺める幸子の頬を伝うひとすじの涙。



老婆「悲しみはいつか薄めることができる‥忘れも消せもしないけど‥



薄めることはできる‥それは悪い事でも何でもないよ‥大切なことなんだよ」



緩みかける、凍てついた心。



その時、隣の席の女性たちが立ち上がる‥



「もうすぐ始まるよ‥18時会場だって」



近くの劇場で公演している演劇の最終公演を見に行くと、女性たちは偶然居合わせた

ともだちに話していた。



温められていた幸子の心はふたたび凍りつく。



幸子「おばあちゃん‥ゴメン‥もう行かなきゃ」



老婆「あっ‥」



幸子「風邪、ひかないように気をつけて帰ってね‥」



そう言いながら、自分のしていたマフラーを老婆の首にかけた。



100ショップで買ったものだから薄っぺらいけど、温もりのあるマフラー。



それは彼女の最後に残っていた感情だったのかもしれない。



幸子「コーヒー、ありがとう」



それだけ言い残すと、幸子はバックを握り締めて外へ駆けていった。



何もかも振り切って‥断ち切って。



老婆は悲しげな顔をして幸子が去ったほうをいつまでも見ていた。



窓ガラス越しに2人を見ていた少女もまた‥



寂しさを隠しきれずに黙って雪の中に立っている。



犬とウサギの影は、少女の手を引いて幸子のあとを追った様子。



パンダの影は、コンコンと窓ガラスを叩く‥老婆はゆっくりと立ち上がった。
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