dream


AM 4:45 AM 10:30
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夢を見た。



私の目の前に、制服姿の志波くんがいる。

グラウンドのフェンスを掴んだまま、その向こうをじっと見つめる横顔。


私はこの光景、知ってる。

フェンスの向こうには、野球部がいるんだ。




−−あの日の志波くんだ。



ただじっと立ちすくむ志波くんの思い詰めた横顔。


黙っていられなくなって、志波くん、と声をかけようとした。



だけど、私の声が音になるその瞬間。

目が覚めてしまった。





やっぱり、夢だった。



良かった。夢で良かった。


だって、今は志波くんじゃない。

だって、今は。





AM 4:45






ぼんやりする意識の中、重たい瞼をどうにか持ち上げる。


視界に入ったのは見慣れた天井。

いつものベッド。


ここは、私の家だ。


夜…かと、思ったけど。
この暗さは夜の闇じゃない。


部屋の中は朝焼けなのか夕焼けなのか、わからないけど薄暗い。



そうだ。

昨日、私は。


思い出して額に手をあてる。


大学の午後の講義を休んで帰ってきて。
やたらと寒気を覚えて、夕ご飯も食べずに早々にベッドに潜り込んだ。



…これは本格的に風邪を引いたらしい。



額が熱を持っている。

身体がだるい。

熱い。





−今、何時だろう。

枕元に置いてあるだろう携帯を取ろうと寝返りをうつ。

身体の向きを変えたら頭の下で、氷枕がちゃぷん、と水音をたてた。






…………氷枕??



そんなもの用意した覚えは…。






「………起きたのか?」




薄闇に静かに響く、声。




「……え?」



寝返りをうった正面に、なぜだか勝己がいた。




1Kの部屋の中、ベットに向かい合うようにして勝己が座ってる。


薄暗いせいか顔は良く見えないけど、大きなシルエットから聞こえたのは確かに勝己の声。


あまりに普通にそこにいるからびっくりとかなんとかより、状況が飲み込めない。


「…勝己?」


どうして勝己がここに。


「どうして?」


浮かんだ疑問そのままに聞いたら。


「…おまえが呼んだから。」


柔らかな低い声でそう言った。


「でも」


大学は?
授業は?
野球は?
練習は。


私が言葉にする前に返事が返ってくる。


「練習終わってから来た。…携帯、何度掛けても繋がらねえから心配になった。」


勝己は、悪い。勝手に最終手段使わせてもらった、そう言いながらミニチュア木刀ストラップが付いた、この部屋の合鍵を揺らして見せた。



「そっか…。」



…私が勝己を呼んだんだっけ?


眠りに落ちる前の記憶が曖昧だ。



とりあえず身体を起こす。



「…起きて大丈夫か?」

「うん……今、何時?」

「朝の5時前。」

「勝己、いつからいたの?」

「夕べの10時過ぎくらいか。」


全然、わからなかった。

勝己がいることに気付かないなんて。


どれだけ深く眠ってたんだろう。




ふいに、勝己の右手が私に伸びる。

大きな掌は確かめるようにやんわりと私の額に触れた。


「冷たくてきもちぃ…」

「まだ熱い。ちゃんと寝てたほうがいい。」

「ん…喉、渇いた…。」

「そのまま待ってろ。」


勝己がベッドから氷枕を取ってキッチンに向かう。


その大きな背中がすごく頼もしく見えて。

いつも以上に甘えたくなる。


ぼーっと、眺めているうちに勝己が戻ってくる。

しっかり氷を入れ直した氷枕と、スポーツドリンクのペットボトル。


「このままで飲めるか?」

「ん、大丈夫…。」


レモン味の冷たい水分が、乾いた喉に沁みこむ。


「…これ、全部勝己が買ってきてくれたの?」

「ああ。来たらおまえ寝込んでたから。コンビニと薬局行って、適当に。」


氷枕と、スポーツドリンク。たぶん、氷も。

テーブルの上には、軽くて食べやすそうなものがいくつか並んで見えた。


「何か食い物作ってやりたいけど…悪い。」

「ううん、充分だよ。ありがとう。」


今は勝己がここにいてくれるだけで、心強い。




−だけど。


「…勝己。今日、講義あるでしょ?」

「サボる。」


…即答ですか。


「駄目だよ、ちゃんと行かなくちゃ。」

「講義よりおまえのが心配だ。」

「私は寝てれば治るから、大丈夫だよ。」

「おまえの『大丈夫』は大概大丈夫じゃねえから。」


言いながら、探し当てたのだろう薬箱から体温計を取り出して渡される。


「…一昨日、電話したときおまえの声おかしかった。風邪だろうとは思ったけど」


受け取って検温する。


「案の定、今日になって電話すりゃ繋がらねえし…つかもう昨日、か」

「ご心配おかけしまして…」


ピピピピ、と響く電子音。



38.6℃。



「…これのどこが大丈夫だ。」

「…う。」

「いいから、おまえはもう少し寝てろ。熱が上がりきれば楽になる。」

「…うん。」



ベッドに横たわる。

布団を掛けてくれて、すぐ傍に勝己が座った。



「…勝己?」

「なんだ?」

「練習には、ちゃんと行ってね…?」

「……わかってる。」


勝己の大きな掌が、ゆっくり頭を撫でてくれる。






「さっきね、夢見たよ。」

「…どんな夢。」

「高校生の頃の…勝己。」



高校生の頃の、勝己の夢。

私がまだ志波くん、て。呼んでた頃の。


野球がしたくて、でもできなくて。

悩んでた頃の。



「へぇ…いい夢だったか?」


勝己が、優しく微笑む。


「どうだろう、あんまり…かな。勝己に声を掛けようとしたら、目が覚めたんだ…」



そうして目が覚めたら。

すぐ横に勝己がいてくれた。



目が覚めて、夢だってわかって。

安心した。



今、ここにいる勝己は。

あの頃みたいな顔はもう、しないから。



ここは、大学生になった私の一人暮らしの家で。

志波くん、と呼んでいた彼は、勝己に呼び方が変わって。

今、勝己は私の彼氏だ。



大学野球にまっすぐな、勝己。

悩んで、迷ったあの頃を過ごしてきたから。

今があるんだ。



「勝己…。」

「…ん?」

「こっちが、夢…じゃない、よね…?」



もしかしたら…本当は。



こっちが、高校生の私が見てる夢…?




熱の上がる頭が、とりとめもない考えを浮かばせる。


「かな…大丈夫だ。俺はここにいる。」




額にキスがひとつ、落ちてきて。

それにまた安心して。





もう一度、ゆっくり瞼を閉じた。




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