dream2
□笑顔の作り方
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春草さんのアトリエにお邪魔した、日曜の午後。
「今、お茶出してあげるよ。大人しく待ってて」
お構い無く、とダイニングに向かう春草さんの背中に声をかけて見送る。
手土産のマドレーヌが美味しいといいんだけど、と思いながら。
久々に訪れたアトリエを、ぐるっと見渡してみる。
独特の匂いがして、ここが春草さんの仕事場なんだなぁと改めて認識する。
この前来たときは途中だったけど、あの絵は下絵が済んだんだ、とか。
岩絵の具が保管されている棚を眺めては、色とりどり容器に収まった絵の具を眺めて、読めない色名を見つけたり。
後で春草さんに読み方を教えてもらおう。
そうしてふと目についた、1台のデジカメ。
作業机の上にあったそれをなんとなく手に取る。
いつも春草さんが資料用に使っているものだ。
だから、画像データに大方の予想はついてるのだけど。
電源を入れて、撮影モードから再生モードに切り替えて、再生。
…あ、やっぱり?
「猫まみれ…」
笑顔の作り方
蓄積された画像データをスライドショーにして再生してみるも、そこには溢れんばかりの猫、猫、猫…時々植物、風景、猫、猫、猫…。
さすがに絵心のある彼の撮影だけあって、どの写真も素人目にもわかるくらいおさまりよく撮られている。
資料用とはいえやっぱりプロなんだなぁと、感心しつつも。
某有名猫写真家を思わせんばかりの猫まみれっぷり。。
画面からニャーニャー聞こえそうなくらい。
野良猫にスイッチが入った春草さんが浮かんで、一人笑ってしまう。
凄まじい情熱を振りかざしてレンズを向けられる猫達は、どんな気持ちなんだろう。
今にも逃げ出しそうにぴっと両耳をふせたトラ猫に、春草さんの鬼気迫る撮影風景が浮かんでくる。
まあ、あんな真剣な目で見られたら逃げ出したくもなるよね。
いつか、自分がモデルにされた時のことを思い出して、急激に恥ずかしくなる。
写真も絵も、春草さんは本気で向き合ってるんだろう。
相変わらず猫、猫、猫…の画面をなんとなく見ながら。
そういえば、と思い当たる。
…私。
絵はともかく、春草さんに写真撮ってもらったことってない。
というか、二人で撮ったこともない。
二人でお散歩に出かけたりする時は必ずと言っていいほどデジカメ持参なのに。
デジカメには200枚以上の画像が保管されているけれど、春草さんが撮影するものは全て資料用で、お仕事の一部だから。
今まで考えたことがなかった。
秒単位で切り替わっていく画像を見送りながら、思い付いたが吉日とばかりに欲がでてくる。
年頃の女の子が彼氏の写真が欲しいのは、普通…だよね?
二人で写ってる写真が欲しいのは、一般的感情だよね?
思い付いたまま、撮影モードに切り替えて。
春草さんが戻ってきたら1枚撮りたい!と思ってるところに。
マグカップとマドレーヌを載せたお盆を手に、春草さんが戻ってきた。
「ほら、お茶……って君、何してるの?」
私が手にしたデジカメに、春草さんが首をかしげる。
「春草さん!」
「…何?」
思い付きに嬉々とした私、その雰囲気をいぶかしみながらもテーブルにお盆をおく春草さん。
カメラを手にぐっと近寄る私。
何か感じ取ったのか、一歩下がろうとする春草さん。
その距離をすっと詰めて、腕を絡めて隣に並ぶ。
「ちょっと、急に何?」
「いいからいいから。春草さん、笑って?」
「なんで」
「なんでって…基本だから?」
「だから何の話?」
もう、説明するよりこうしたほうが早い。
左手に持ったデジカメのレンズを自分達に向けて、腕を伸ばして。
「ほら、撮りますよー!」
画面におさまるように、内心ちょっとどきどきしつつも春草さんに頬を寄せる。
「っちょ…!」
「3、2、1…!」
ピピッとピント補整の音が響いてすぐ、カシャッとシャッターがおりる。
やった!初写真!
絡めた腕をそのままに、画像を確認する。
残念ながら、ちょっとブレちゃったけど。
二人の顔は画面におさまってる。
にっこり笑顔な私と、少し慌てた表情の春草さん。
春草さんが笑顔じゃないのは惜しいけど、これはこれでなんだか臨場感があっていいかも。
初めてのツーショット写真…ツーショット写真!
二人が写った画面に、頬が緩む。
「はい、春草さん」
見て見て、とデジカメを差し出すと、受け取ってじぃっと画面を確認する春草さん。
あれ。
なぜかもくもくと曇る表情。
そうして、私があっと言う間もなく春草さんはデジカメを操作すると。
画像を消去。
「っえぇ!?」
「却下」
「なんでっ?」
「俺の肖像権侵害だから」
そんな、難しいことを!
春草さんだって私の絵描いてたのに肖像権侵害って!
「せっかく撮ったのに!」
「俺は撮りたいなんて言ってないよ」
はい、と返されるデジカメ。
暗くなった画面には、さっきの二人はもういない。
あぁ、初のツーショット写真が…。
がっくりする私を、春草さんは動じることなくくいっと引っ張って椅子に座らせると、冷める前に飲みなよと言って淡々とミルクティとマドレーヌを勧めてくれた。
「…どうも」
確かに何も言わずに撮ったけど。いきなり消さなくてもいいのに。
ツーショット写真。
未練がましくデジカメを眺めつつもしっかりつかんだマドレーヌを、一口。
フワッと広がるバターの風味。優しい甘さ。
立ち上る、紅茶の香り。
うん、美味しい。美味しいけど。
写真、欲しかったのに。
ツーショット写真。
もくもくと食べながらも、恨みがましく春草さんを見つめる。
ツーショット写真…。
「何?何か俺に文句でもある?」
不満がありますって顔だよね、それ。と、マグカップ片手にさらりと言う。
「…なんで消しちゃったんですか?」
「なんの説明もなしにいきなり撮っておいて、文句言うの?」
「それは、確かに私が悪かったですけど…」
「しかも変な場所にピント合ってるしブレてるし。写真としてもどうかという写りだったよ」
「それもそうですけど、でも、」
「大体。どうしていきなり写真なんか撮ろうと思ったわけ」
君の思い付いたら即行動には慣れたつもりだったけど、相変わらず突拍子もないから。ほら、理由ぐらい教えなよ。
そう言って、じっと見つめられる。
理由は、単純で何てことないこと。
デジカメの画像が猫ばっかりで、それがお仕事とはいえ、たまには。
私の写真とか、二人の写真とか、欲しいなって。
大事な人の写真が欲しいなって。
春草さんにも、持ってて欲しいなって。
そう思ったから。
真正面から見つめられて、とてもじゃないけど顔を見ながらは言えなくて、手元のマグカップを揺らしながら、もそもそと話した。
「ふぅん…。君、俺の写真が欲しいんだ?」
「ダメ…ですか?」
「いや、別に駄目じゃない…まったく君は。最初からそう言ってくれればいいのに」
そう言って、にっこり笑って春草さんはデジカメを手に取る。
拒否されるかと思っていたのに。良かった!
にこやかな笑顔に、笑顔でありがとうございます!と返して、春草さんからカメラを受け取ろうと手を伸ばす。
が、春草さんはデジカメを手にしたまま、反対の手で私の手を取るとすっと立ち上がる。
え。
「そうだな…よし、あの窓辺にしよう。午後の日差しが入って丁度いい明るさだ」
そのまま、柔らかく日が入る窓辺に私を立たせると、ファインダーを覗きながら距離をとる春草さん。
「あの、春草さん?」
「動かないで。そのまま。ん、明かるさは丁度いい。けど…三脚があったほうがいいな」
作業机の横から三脚を取り出してセッティングすると、デジカメを組んで、再びファインダーを覗く。
あれ、これはもしかすると、スイッチが入る5秒前、的な…?
「あの春草さん、確か、私が春草さんの写真を撮るはずでは…?」
おずおずと伺えば、春草さんは。
「君が俺の写真を欲しいように、俺だって君の写真が欲しい。君だけなんてずるいだろう?」
にっこり笑ってるけど、あの目。
よく知ってる。
あれは芸術家菱田春草の目だ。
「じ、じゃあ、二人で一緒に!」
「芽衣」
問答無用、の響きを称えて、春草さんが静かに私の名前を呼ぶ。
じわり、と身体に熱が宿るようなその響きに。
何も言葉が出なくなる。
「こっちを向いて?」
いつかと同じ瞳が、私を捕らえた。