dream2



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夢を見た。

懐かしい風景ばかりだった。

ご丁寧にセピア色で情景ひとつひとつがコマ送りで過ぎていく。

映像は鮮明なのに音はしない。

聞きたい声も聞こえない。


お父さんの声ってどんなだった?
お母さんが私を呼んでるのに、声が聞こえない。

ねえ、お父さん、お母さん。

待って。

行かないで。

私もそこに行きたいの。



帰りたい。

帰りたいよ。


手を伸ばしても届かない。

呼んでも、叫んでも。

何ひとつ声にならない。



どうして?

私、どうして。

どうして…。


どうにもできない絶望感にしゃがみこんで泣き出した。

悲しくて悲しくて、ただ泣いた。



泣いて泣いて。
頭が重くなった頃。


唐突に目が覚めた。


目に映るのは、さっき見たのと同じ天井。




夢だった。

夢、だった。


そう分かっても。
目が覚めても、悲しい気持ちが消えない。
夢の中そのままに、重い頭。

みるみる目頭が熱くなって、涙が込み上げる。

帰れない。

ついさっき、夢で見たのに。
靄がかかったように曖昧になって何も思い出せない。

帰りたい。


「…っ、ぅく」


泣きたい気持ちのまま、泣いてしまおう、そう決めた時。

こんこん、と控えめなノックが聞こえる。

その音に、にじんでいた涙が一瞬止まって。

それでも涙声で返事をするわけにもいかず、咄嗟に腕を持ち上げて目元を隠して、ただ待った。

寝ていると判断したのか、静かにドアが開くと。

「…入るよ」

聞こえる、春草さんの小さな声。

そっと近くなる気配に、起きるべきかこのままでいっそ寝たふりをしようか、逡巡していると。


「…芽衣?」


ごく近くから、起きてるの、と声がする。

思わずびくっと。
反応を返してしまって。

隠した腕はそのままに、観念して口を開いた。声だけは、震えないように。

「今、さっき…ごめん、なさい」

「いや、別に謝ることはないけど…体調はどう?」

「どう、なんでしょう…」

視界が回らない分回復しているような気もする。
ただ、落ちに落ちた気持ちだけはどうにもできなくて。

歯切れの悪い私の返事に、春草さんはただ、そう、とつぶやいて。

「手拭い、替えるから」

腕下ろして、と触れる春草さん。

額に手拭い。
いつの間に、と今気付いても。
腕を下ろすわけにはいかない。

「…無理です」

「無理って…体だるいかもしれないけど、手拭いぐらい替えないと」

「…いやです」

「病人が我が儘言ってる場合?君のためだろ」

「…だめです」

「そう。分かった」

じゃあ力づくでも下ろさせる。
言って、春草さんは私の腕を掴む。

今は、だめなのに。
だって、下ろしたらばれてしまう。また、じわりにじむ涙。

必死の抵抗も虚しく下ろされる腕。
開けた視界に、歪んで映る春草さん。
戸惑ったような、顔。

「だ、から…だ、めだ…って、言ったのにっ…」


泣いてるところなんて見せたくなかったのに。

優しすぎるから。
春草さんは、心配してくれるって分かってたから。

誰にも解決できないことで心配かけて、これ以上迷惑かけるのだけは嫌だったのに。


一度溢れた涙は、堰を切ったように溢れ出して。
せめてみっともない顔を見せないように、春草さんに背中を向けて、声を抑えて泣いた。

春草さんは黙ったまま。
そっと私の背中に掌をおくと、幼子をあやすように。

ゆっくりと背中に触れた。

そのあたたかさと、どこか懐かしい感覚に。
涙が止まらなくなる。

それでもせめて、と声を飲み込む私に。

「我慢しなくていいから。泣きたいだけ泣きなよ。大丈夫、俺しか聞いてないから」

柔らかい声音に。

我慢の糸は簡単にぷつりと切れて。声を出して泣いた。

それから、泣いて泣いて。

しゃくりあげて、まだ泣いた。


やっと涙が止まった頃には、夕闇が広がっていた。


泣きすぎでぼうっとする頭。
ずっと、ぽん、ぽんとあやし続けてくれる春草さんの手。
耳のなかでゆっくりと規則的に響く、自分の心音。

今を満たしているその全てに、安らぎを覚えた。

もう涙も出ない。
不安も何もかも、出し尽くしてしまったのか。
いい意味で、空っぽになった気がした。

もう大丈夫。
何が、と聞かれても答えられないけど。不思議な感覚。


そうして思考が戻ってくると。

途端に、現状を省みて恥ずかしさが沸いてくる。

春草さんの前で泣いてしまった。
臆面もなく。思いきり。しかも背中向けて、その背中をぽんぽんされる、という…どこの子供よ、私。
なんて話しかければいいのか。
何も、浮かばない。

どうしようか、と固まる私の背中で、ふいに春草さんの手が止まる。

「…もう平気?」

いつもの淡々とした口調で聞かれて。
ただこくこくと頭だけで頷いた。

「じゃあ、こっち向いて」

今度は首を振った。
とてもじゃないけど絶対目元腫れてるし充血して真っ赤だろうし鼻だって。

「いいから。こっち向いて?また無理矢理されたいの」

言われて、そろりと振り返ると。ほら、これ使いなよ、と渡される手拭い。

「鴎外さんが戻るまで冷やした方がいい。額もだけど…目元も」

「…ありがとう、ございます」

受け取って目元に当てて、隠せたのを良いことに仰向けに戻る。

「また、ご迷惑おかけして…ごめんなさい」

本当は目を見て言うべき言葉を隠したまま告げる。
冷たい手拭いが、熱を持った目元に気持ちいい。

春草さんは、私の額にぴったりとはりついて温くなった手拭いを取り去りながら。

「見えないところで独り泣かれるぐらいなら、いっそのこと迷惑かけてくれていいから俺の目の前で泣きなよ」

その方が余程良い。
優しくも心配げな声で言われて、不謹慎にも胸がきゅっとなる。

「きっと熱も…無理が祟ったんだ。芽衣の身上を思えば当然だけど…俺でも、何なら鴎外さんでも、頼って甘えていいから」

だから、独りで泣かないでくれ。

額に張り付いた前髪を直してくれる指も、優しくて。
引っ込んだはずの涙がまたにじみそうになる。
でも、もう大丈夫。泣かない。

「ありがとう、春草さん…」

口元だけでも笑って、そう告げた。






その後。
余程心配をかけたせいか、春草さんは私がどんなに言っても一歩も引かず、私にべた付きで看病してくれた。

フミさんの作ってくれたお粥を持って来てくれたり、頻繁に手拭いを替えてくれたり。

なんだか申し訳なくて、逆に眠れないと言えば。

「病人は寝るのが仕事だろう」

「そうですけど…なんか申し訳なくて…」

もにゃもにゃ言う私に春草さんは、ベットの傍らまで椅子を引いてきてそこにすとん、と腰かけて。

布団の上の私の左手を取って、両手で包みこんだ。

「じゃあ、芽衣が眠れるようにこうして側にいる」

「…余計眠れません」

「眠ったらちゃんと離してあげるよ」

こうしていれば俺も余計な心配をしなくて済むんだ。
そう言われては、何も返せなくて。

程無くして、私は眠りについた。
掌から伝わる体温はあたたかく優しくて。
眠りに落ちるのはあっという間だった。




ただ、眠りに落ちたのは私だけじゃなくて。

帰宅後すぐにフミさんからの報告を受けて私の部屋に来てくれた鴎外さんは、見たそうだ。




手を繋いだまま、穏やかに寝息を立てる―私と、春草さんを。




→あとがき


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