dream2
□糸
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今日の御座敷は、4本。
これまでに何度か足を運んで下さっているお客さんで、何人か覚えている顔がある分、今日は少し気が楽かもしれない。
かといって、気は抜いちゃ駄目だよね。
宴会の雰囲気や酔客のあしらい方にも大分慣れてきたけど、これはお金をいただく立派な仕事。
きちんと勤めなきゃ。
自分で言うのも何だけど、お酌さんをするのも板についてきた。
お姐さん…音ニ郎さんには、まだまだ及ばないけれど。
糸
お酌をして宴席を周りながら。
金屏風の前で舞う音二郎さんをこっそり眺める。
三味線と唄の地方に合わせて、優雅に扇子が舞う。
金屏風を背景に揺れる赤い振袖がとても綺麗で。
その艶やかな表情は、悩ましいほど。
女の私でも、しばし魅とれてしまう艶姿。
…あれで男の人なんだから、なんとも複雑な気持ちがする。
「ねぇさん、こっちこっち!酒が足りないよ!」
「はい、ただいま!」
いけない。
ぼやっと魅とれてる場合じゃなかった。
呼ばれた席にお銚子を持って、しっかり口角を上げたにっこり笑顔で駆けつける。
「いやぁ、しかし何度見ても音奴の舞いは見事だねぇ」
「はい、とっても素敵ですよね」
差し出されたお猪口にお酒をついだ。
「君、音奴の妹分なんだってね?やっぱり芸者になるのかい?」
「いえ…私なんかまだまだお姐さんの足下にも及びませんから」
赤ら顔のお客さんにお酌しながら。
とてもじゃないけど、私が音ニ郎さんのようにはなれるわけがない、と苦笑する。
「そうかい?まだ若いけどなかなか可愛い顔をしてる。器量も良さそうだし、目指せばいいじゃないか」
芸者になったら俺が一番に馴染みになってやろうか?ん?…なんて言い寄られる。
こういうのはさらっとあしらわなくちゃ…。
「お客さん、ありがたいですけど私は…」
「あ〜ら、その娘よりあたしの馴染みになりなさいよぉ、旦那!」
いつの間にか、舞を終えた音ニ郎さんがすぐ側に来ていた。
「おぉ!音奴!今日もべっぴんだねぇ」
お客さんも人気芸者が来たとあってご機嫌だ。
「ありがと、旦那。…芽衣、あたしの分のお猪口持ってきてちょうだいな」
にっこり笑顔で言われる。
こっそり目配せ付きで。
「はい、お姐さん」
また、助けてもらった。
いつも絡まれそうになると、音ニ郎さんがすっと現れて宥めてくれる。
交わしかたが私よりも一枚どころが五枚十枚上だ…当たり前だけど。
「さ、旦那。乾杯といこうじゃないか」
「おぉ、音奴に乾杯!」
お客さんとお猪口を合わせると、くいっと飲み干す音ニ郎さん。
すぐに差し出された二つのお猪口にお銚子からおかわりをついだ。
「そうだ、音奴。今その娘と話をしてたんだよ。いずれ芸者にするんだろう?」
…蒸し返さなくても良かったのに、その話。
それを聞いて、音ニ郎さんはころころと笑った。
「旦那も気が早いねぇ…この娘は置屋に入ってまだ日も浅いお酌さんだよ?半玉でもないのに、芸者になるまで何年待つつもりだい?」
「そんなこと言って音奴、見込みがあって妹分にしたんだろう?」
ふと、音ニ郎さんと目が合う。
「この娘はねぇ…」
ふんわりと笑って、音ニ郎さんの右手が私の頬に触れた。
「愛嬌はあっても、何の芸も持っちゃいないんだ。縁あってあたしの妹分になっちゃいるけどねぇ…今は親元からあたしが預かってる身なのさ」
触れられた頬が、温かい。
まるで慈しむかのような音ニ郎さんの瞳。
なぜだか、胸がきゅっとなる。
今は音ニ郎さんじゃなくて、お姐さんなのに。
大きな掌は頬をすっと撫でていった。
「それに。芸者になるにはまだまだだねぇ…てわけで旦那?この娘にちょっかいは無用だよ?お酒ならあたしが付き合うからさ」
音ニ郎さんはくるっとお客さんに向き直ると、しなをつくってお銚子を傾ける。
「あら、もう空っぽ。芽衣、お銚子追加してちょうだいな」
「はい、お姐さん」
すっと立ち上がって、配膳室へ向かった。
さっき触れられた、左頬がほんのり熱い。
冷ますようにパタパタと手で扇ぎながら、料亭の廊下を急いだ。