dream2



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その後。

店先でお客さんを見送って、花代を受け取った。

今日のお客さんは大分羽振りが良かったのか、音ニ郎さんはご機嫌だった。

お酒のせいもあるんだろうけど、置屋に着いてからも終始上機嫌。

「花代、たくさんもらえて良かったですね」

「んー!今日の客はよく飲んだしなぁ。ありがてぇこった」


ま、俺も飲んだけどなぁー!なんて言いながら。

部屋に着いてすぐ、しゅるしゅると帯をほどき出す。


いきなり始まったお着替えに、暗黙の了解で回れ右。

音ニ郎さんに背中を向けたままで、会話する。


「今日も音ニ郎さんの舞、素敵でした」

「あー…おまえ、お酌しながら見てただろう?」

「…ばれてました?」


背中の向こうで、衣擦れの音。


「俺はなぁ、真面目ーな顔して舞ってても、ちゃーんとお座敷全体見えてんの。背中にも目ぇ付いてんだ、俺」


そう言ってからからと笑う。

舞ってても、見てる。

だから、いつも絡まれそうになるとさりげなく助けてくれる。


まだまだお座敷に慣れない半人前な私を。


「今日…ありがとうございました」

「あ?何がだよ?」

「音ニ郎さんのおかげで、お客さん絡まれずに済みました」

「あぁ、あれな…」


もういいぞ、終わった。の声に振り返る。


男物の浴衣に、短髪。

お姐さんが音ニ郎さんに戻った。

短くなった髪を指で漉きながら。


「…うまくやれば、おまえの指名客第ニ号だな、あいつぁ」


ほれ、交代。と、今度は音ニ郎さんが私に背中を向ける。

その背中を確認して、私も帯をほどく。


「そんな…指名だなんて恐れ多いです」

「すでに鏡花ちゃんに指名されたじゃねーか」

「あれは…。……そういえば、なんで鏡花さん、指名してくれたんですかね?」


せっかく指名してもらったのにその後、お酒で大失敗して、結局なんだかよくわからないままだった。


「さあな…」



座っていた背中が、ごろん、と肘をついて横になった。

そのまま眠ってしまうんじゃないかと焦って着替える手を早める。

劇団の準備もあって疲れてるだろうし、せめて布団の上で寝せてあげたい。


着物を脱いで、寝間着の浴衣に袖を通す。

なれない着物での生活も大分身に付いた。

帯を結んでから、声をかける。


「…音ニ郎さん?」


微動だにしない、寝転んだ背中に控え目に呼び掛けた。


「ん?終わったか」


寝てるかもと思ったけど、普通に返事があった。

私の呼び掛けに音ニ郎さんは寝転んだまま振り向いた。


六畳一間の置屋暮らし。

男の人と同居。

…もう、大分慣れちゃったな、と思う。


百年後の現代にいた私には、思いもよらない生活だろう。

音ニ郎さんと向き合って改めて思う。




「…おまえ、さ」

「はい?」

「これからどうするかとか、考えたりするのか?」



百年後の―なんて考えてた時に。

これからの話を振られて、どきっとする。



「…これからって…」


音ニ郎さんが体を起こして、方膝を立てる。


「前にも言ったとおり、俺はおまえさえよけりゃいつまでだってここにいて構わねぇと思ってる…おまえの記憶が戻るまでは、俺がそばにいるつもりだ」


真剣な声で、まっすぐに目を見て言葉を続ける。


「だから記憶が戻るのを待ちながら、ここで生活するなら…ただ待ってるより、なにか身に付けるのもいいかもしれねぇ、と思ってだな」

「何かって…三味線とか、舞とかですか?」

「なんであれ…身に付けといて損にはならねぇだろう」


確かに、そうかもしれない。




だけど―。

窓の外。

夜空に、丸く太っていく月がいる。


私はもう、あとわずかでここを離れる。



現代に、帰るから。



月から視線を戻して、音次郎さんに微笑んでみせる。


「でも私…そういうセンス…じゃなくて感覚、持ち合わせてないんです」

「そんなもん、やってみねぇとわかんねぇだろうが。頑張って身に付けりゃ、花代だって稼げるんだぜ」

「いえ、私は…今のままで十分です」


脱いだ着物と帯をたたみながら。



ここを、離れる。


音ニ郎さんとも…。



自分で考えてる癖に。

自分の考えに胸が塞ぐ。




「…それに、音ニ郎さんみたいに綺麗に舞う人を見てしまったら、できませんよ。どうしたって敵うわけないです」


そう言ったら、音次郎さんが不敵に笑った。


「そりゃ、今すぐ敵ってたまるかよ…俺だって端からできたわけじゃねぇし」

「それは、そうですけど…」


自分の着物をたたんでしまったので、手持ちぶさたで今度は音ニ郎さんの着物に手を伸ばす。

そうして伸ばした手を、音次郎さんにつかまれた。



「…おまえさ…」



つかまれた手に、ぎゅっと力が込められる。



「………」



何かを探るような目でじっと見つめられる。





もしかしたら。


音ニ郎さんは、もう察しがついているのだろうか。




私が、いなくなること。


つかまれた手が熱い。


「あ、の……」

「…おまえ、さ…」

「はい…」

「唄は?」

「はい?」

「舞も三味線も、かなり稽古が必要だけどよ。唄なら、どうにかできるかもしれねぇ」


言って、にっこり笑う。


「…はあ」

「ほら、芝居の稽古に付き合わせた時、子守唄歌わせたろ?お前なかなかいい声してたから」


音ニ郎さんは。

私のために、考えてくれてる。

もしかしたらいつか、芸者になる日が来るかもって。

そのための糧を何かって。



「それに…俺が、聞いてみたいんだ。おまえが歌うの」

「でも私、地方さんが歌うような唄は知らないんです…」

「なんでもいいさ。おまえの好きな唄でいい」


そう言われても。


「でも…好きな唄も…」


思い出せない。


「何かあるだろ。ひとつくらい思い出せないか?」


音ニ郎さんの両手が、私の手を包む。

優しい声。

温かい体温。



―私が好きだった、唄…。



…じっと見つめる先に音ニ郎さんの、着物の帯があった。


艶やかな織物。


綺麗な…糸。


―糸の。唄。



「…よく、お母さんが……歌ってた…」

「…どんな唄だ?」


優しい音ニ郎さんの声に。


ふっと、思い出したのは。




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