濁酒乾杯

□ハッピーエンドでなくちゃ嫌。
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 そういえばコイツ、歳は幾つなんだろうか。
 一歩もない近さで、細い顎をついと上げて見上げている鮮やかな露草色の眼をじっと見返していて、ふと銀時の頭にそんな疑問が掠めた。
 命を握られている。そんな状況だというのに。
 隣を歩いていて、何を思ったのかフイっと神威は目の前に回り込んできた。
 瞬間警戒した色を目に掃いた銀時に、仮面でも貼り付けているような笑顔で「なるほどね」と呟くと、不意に瞬前とは雰囲気の異なる笑顔を浮かべた。まるで仮面を剥いだかのような変貌だった。
 きょとりと見下ろす銀時を、妹と同じきれいな彩の眼で神威は見上げ、微笑う。
 
 
 太陽の光が燦々と暑苦しく降り注いでいたあの日、星海坊主は地面に突き立つ、大きな傘の前にしゃがみこんでいた。
 奴らがどんな関係だったのか銀時には知る由もない。
 最強と謳われる夜兎族において頂点を極めていた鳳仙とガチで喧嘩をした仲だという星海坊主の胸中など、銀時にはかりようがない。
 あのハゲがきっちりヤキ入れしていれば、今になって自分があんな苦労をしなくても良かったのにと、ふてくされてみても遣る方ないことだ。
 だからこその愚痴でもあるが、しゃがみ込む背中を見ていれば声に出す気が失せた。
 鳳仙を焼いた特大のお日様を吉原の空に上げたのは、鳳仙が愛した、鳳仙を愛した女だ。
 今もあの町で、皆のまん中で、お日様みたいに笑う強い女だ。
 あの眩い陽光がなければ銀時たちが鳳仙に勝てたかどうか危うかった。けれど神威が去った後、晴太に制御室を、鉛色の空の破り方を教えたのが日輪だと聞いた銀時は、月詠は、慄然とした。
 二人目を合わせ、暖かな陽光の下で鳳仙を膝に抱く日輪の背を見た。
 凛と首を立て、顔を上げて常夜の闇を照らし続けた女は、女の輝きに焦がれ憎み愛した男の頬を、穏やかに笑う乾いた頬を涙で濡らしていた。
 女達を常夜に繋ぐ鎖を焼き切れたというのに、眩しく大きな太陽が上がったというのに、心にかかる薄い雲は晴れなかった。涙雨を降らす女の薄く小さな背中に、銀時の胸は晴れ渡ることがなかった。
 その上、小汚いハゲ親父の背中にまで薄暗いものを見せられるとは思わなかった。
 神楽には知られないように出て来いと銀時は呼び出された。神威のことで何か言ってくるのだろうとは予想していたが、まさかここにも鳳仙絡みの奴がいるとは予想外だったのだ。
 自分が手を下した男の亡骸を前に肩を落とす人が、ここにもいる。
 なんだろうなこれは、と銀時は頭上の青空とは裏腹に曇っていく自身の胸奥を重く感じた。
『次はこの星海坊主様とやってみるか?』
 冗談もたいがいにして欲しい。
 今やこのハゲは夜兎族最強と呼ばれることになったのだろう。
 けれど、眼を細めなければ見上げることもできない陽の光の下、広げた傘が作る小さな影の中にしゃがみこむ男がそうだとは、銀時には思えない。
 丸めた背中はほんの少し疲れていて、銀時にはややこしい娘と息子を持つ、くたびれたハゲ親父にしか見えない。
 娘からの手紙に一喜一憂し、息子の所業に憂慮を募らせ、すでに死滅した毛根の復活に妄執を滾らせる、ただの子煩悩な親父に。
 しかもプレ兄妹喧嘩があった――しかも兄は妹を殺しかけた――と誰かに聞いたか察したか、過去と夜兎を語る丸めた背中に親父の悲哀が見える気がした。
 
『お前なら、どうする』
 
 星海坊主に問われた時、銀時は返せる答えを持っていなかった。少しの、けれど実際に照らせば恐ろしく傲慢な願いならばあったが。
 放っておけば復活するだろうけれど、忠告を残し去って行く男の、傘の下で肩を落とす、どうにもしみったれた雰囲気の背中を黙って見送った。
 胸の奥で降る涙雨が上がれば、酒の相手ぐらいはしてやれるのにと思いながら見送った。
 
 
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