濁酒乾杯
□もはや、何も隠せはしない。
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山崎が、近藤の私室の前でその声を聞いたのは偶然だった。
そもそも聞こうと思っても、山崎では聞ける類いのものではない声。
「あッ」
絞り出すような、苦しげに掠れた声。
ぴたりと山崎は足を止めた。
時に自分の心胆よりも頼りになる技術というものは、日々の訓練で身につけるものだ。
監察という、敵方へひとりきりで潜入せねばならない山崎の給料は他の同格程度の隊士たちよりも高い。それもこれも危険手当を支給される頻度が高い為だ。
生来の地味さと、地味な努力の積み重ね、山崎はたまに隊長格に近づく時わざと気配を殺す。
周囲には不審を抱かせず対象者には気取られず、自然なままそっと忍び寄る。
しかし山崎の気配に慣れている隊士たちには意外にも気づかれてしまうことがある。
心底からの自然体に触れている隊士たちには、自然を装うために地味さを全面的に押し出した様が逆に不自然なのだそうだ。
逆にそういった気取られないようにと意識していない時の方が気づかれないのは、心を許してくれていると喜べばいいのか、本当の自然体こそが本当に地味だと無言の無意識に告げられているような複雑な気分になる。
そして今、今の山崎は完全に素だった。
近藤の自室のほんの手前、山崎の影が障子にかかるほんの手前のことだった。
聞こえてきたのは近藤の声ではなかった。
その声が孕む切迫感に、山崎は心当たりがあった。
今、その人が屯所に来ているとも、近藤を訪ねているとも耳にしていなかった。
万事屋の、坂田銀時。
いや今は、近藤の、とこちらの属性で括る方が正しいだろう。
局長、大胆だなァ。
声にあった響きや色に、瞬間誰だか何だかわからず、瞬間後に全部わかってしまった山崎は本気で動揺した。
山崎は、今は書類仕事にかかりきりになっている局長に更なる追加書類を持って来た。
山崎自身の提出物は、既に土方に目を通してもらっている捜査の報告書だ。後は、近藤の元に向かうと知った色々な人から「ついでにこれも」と幾冊と幾枚の書類渡された。
当然のことながら、自分で提出すべき物ばかりなのだが山崎だとこういったことが「許される」らしい。
近藤だからではなく、山崎だからなのだそうだ。
人徳、ということらしい。
しかし山崎だからというならば、尚更相手は土方じゃあるまいに鉄拳制裁の心配は無いのだからワンクッション置く必要もないだろう。
なのに何故俺に渡すわけ?という山崎の問いに、これが土方相手ならば自分で出すという。土方には、後で叱られるくらいならすぐに叱られてしまいたいのだそうだ。
わからなくもない。
後へ後へと引っ張れば、せっかちな土方の怒りに薪をくべるばかりだ。
そこへいくと近藤は、叱る怒るではなく、自分で出さなきゃダメだろうと窘(たしな)められる程度で済む。
そしてこれが肝だったのだが、平素は天真爛漫でとっつきやすそうな馬鹿っぽいおっさんなのに、肩書きは真選組局長というアンバランスさで、逆にどう取り扱えばいいのか困る近藤に話しかけてもらえるチャンスなのだそうだ。
それを聞いた時に山崎は「なるほどねェ」と頷いた。
なにしろ近藤にはただでさえ、土方や沖田など隊長たちが傍にいることも多い。
近藤をはじめとする彼らは気にしないだろうが、それは受ける側の心情であって、話しかけようとする逆の立場ならば気後れするかもしれない。
肩書きだけではなく、この有象無象の猛者達が集う真選組を束ねる彼らはもっている雰囲気が違う。
そして言ってみればしょうもない魂胆に加担させられても、なるほどねェで山崎は済ませてしまうし、平(ヒラ)の気持ちを鑑みる事もできる。要するに山崎ならば、断らないし叱りも怒りもしない。あっても呆れるぐらいだ。
だからこそ山崎に頼むのだという。
頼られているというよりは、舐められているのかもしれないが、隊長連中とのゆるい繋ぎをということならば、確かに俺あたりが打倒かもねと山崎は納得する。