古酒震天

□MOONSHINER
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< Plorogue >


Eternal


 さっきまでの喧騒が嘘のような夜本来の静寂の中、パシャと僅かに響く彼の者が翼を閉じて降り立つ音。それも向かい来る風に流されて彼本人にしか聞こえなかっただろう。
 広げた真白な翼はぴんと張られた形状から緩められ、ふわと風の形を現した。
 高台に位置する地区の、その中でも最も高いマンションの屋上が、今夜の彼が一時翼を休めるに選んだ場所。
 つま先から降り立った人は、着地の衝撃を膝を屈ませて殺す。
 バネのある体は、実地と必要にかられて少しずつ作ったもの。痩身に見えて、その実しなやかな強さを秘めている。
 衣擦れの優しく柔らかな音だけをさせてすくと立ち上がる。風に煽られるマントを片手で捌き、隙のない身のこなしで一歩を踏み出す。
「口だけ出して、姿はなし」
 聞かせる者がいない呟きは少々苛ただしげだ。彼には、彼の自分勝手な都合があるので。
 観客に夢を見せる手を懐に滑らせる。
 白い手袋に包まれたそれが取り出したのはシルクのハンケチの包み。手のひらの上でそうと開けば、現れる真紅の宝玉。楕円にふっくらとカットされたつるりと滑らかな大粒のルビー。
 指先で取り上げたくるめく貴石を手に、空を隠すものない屋上のまん中に出る。
「今宵のお嬢様のお姿も麗しく……。後は、この怪盗めの期待に応えて下さると嬉しくあります。とね」
 見た目だけが麗しい姫君には、もう散々お目にかかったので今更感慨は沸かない。
 見た目が美しければ美しいほど、他人とっての価値が高ければ高いほど、自分が探す唯一でなかった時の落胆は重い。自分にとっての価値の低さに、溜息が出る。

 美しいものをそうと思えなくなるのは嫌なものである。自分自身の情緒だとか感性だとかが枯れているような気になるのだ。
 情操教育にはサイテーな行為を繰り返している自覚あり。

 そんなだから、以前派手な怪我をしながら奪取したものがスカだった時に、もう思い切り静かに八つ当たりした。持ち主である某悪徳政治家の悪事の証拠と一緒に、宅配業者に変装して中森警部の自宅に自ら赴き返却したのだ。
 近頃では、ハズレを引き当てると「光ってばっかで食えもしねー」などとごちている。
 だが、今夜の自分の不機嫌さは、獲物とは別のところにある。検分を行う前から機嫌が低下しているのが、その証拠。見れると思っていたものを見れなかったのだ。
 いや、人間相手なのだから「会う」と言う表現が妥当かも知れない。が、相手との距離を考えれば、彼にとっては「見る」なのだ。
「さて、……」
 愚痴る胸中を無理矢理納めて、皓々と薄い光を投げかける真円の月にルビーを掲げる。
 この時ばかりは、どんなに期待していない物でも心臓は鼓動の速度を速める。視線は鋭くなる。
 朧気な月光を受けて、ちりりと弾ける光の粒は真紅。
「…………」
 この夜のビッグジュエル「フェリシア」は、彼の白い顔に紅い自らの影を落としたにすぎなかった。美しい宝玉を射抜く視線の先に、なんの変化も起こりはしなかった。細く長い溜息を吐く。
 腕を下ろし、手の中のルビーを丁寧に、しかし無造作にハンケチに包みなおし懐に納める。
 ゆっくりとマンションの階段と屋上を繋ぐ鋼鉄の扉へときびすを返す。頭の中では、返却方法を飛び越え次の獲物のことを考えている。
 期待は、どんなに見てくれが劣る物の時でも僅かに持っている。でなければ、親しい人を欺き自らの手を罪に染めたりしない。だから、期待が外れたときは毎回律義に落胆する。
 それでも、落ち込んでばかりはいられないのだ。
 
 来週は、アレクサンドライトだっけ。色が変わるやつ。

 疲れている時には思考も大ざっぱになる。「色が変わるやつ」と簡単にのたまうが、大粒だというだけでも稀少なのに、そんな中でもはっきりと色を変化させるアレクサンドライトに幾らの値がつくかわかっているのだろうか。
 一千万は下らない貴石を「色が変わるやつ」で片付けてしまうとは、よほど枯れているのか。
 値段に意味を見出す行為でないから、仕方がないのか。

 
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