古酒震天

□自由と平和、死の伝達と破滅の、みどり。
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 疲れが浮いた青白くくすんだ顔に、ふと形だけの微笑が浮かぶ。それもすぐに消えてしまったので、シンの気のせいだったかもしれないが。
 まるで地の底を走る暗渠の流れの果てを視ているような昏く遠い眼差しは、実のところ何を見ているのだろう。
 痛むのだろうか。さっきからアスランが赤い袖の上から撫でる二の腕には新しい打ち身が黒にも見える真紫色に染まり残っている。
 四肢を失い海面に激突したセイバーのコックピットの機器や座したシートに、彼は体のあちこちをぶつけて酷い痣を負っている。
 背に装着している生命維持装置が体にめり込むかと思ったと、普段はあまり口にしない軽口をこんな時に言ったところで冗談にならない。
 海中に沈んだ幾つもの鉄灰色の残骸が、海流にぐらりぐらりと不安定に揺れているのを見つけた時の、それがセイバーの機体の部分だと気づいた時の、こちらの気になってみろと怒鳴りたかった。
 インパルスに襲いかかるフリーダムを幾度も阻み、二機が縺れ合うように牽制し合っているところまでしかシンは知らない。
 オーブの旗艦らしき空母を叩き斬り、帰投しようとしたシンのもとに入ったMS管制メイリンの声で告げられら艦長の指示。
 
 フリーダムに撃墜されたセイバーの、アスランの救助命令。
 
 のろのろと常の赤い軍服に着替え終えたアスランは、それだけで力を使い果たしたという様子で、ベッドの端に腰掛けぼうとしている。
 彼の足下には治療の際に裂かれたパイロットスーツがビニール袋に入れられ無造作に置かれている。フェイスの片翼が与えられたスーツが。
 シンは、一刻も早くアスランのそばから立ち去りたかった。
 アスランがいるベッドの逆のベッドには、拘束具に自由を奪われたステラが眠っている。彼女のか細い呼吸がひゅうひゅうと聞こえる。
 ステラのそばにいたい。
 だけどアスランのそばから立ち去りたい。
 頬を張り叱責の声を上げた時の毅然とした態度とは比べようもなく、見下ろす真緋の先のアスランは肩を落としている。
 まだ感覚がはっきりとしていないのかもしれないが、それだけではないのだろうことは冴えない表情から見て取れた。
 それはそうだ、アスランは“フリーダム”に墜とされたのだから。
 
 アークエンジェル、フリーダム、…カガリ・ユラ・アスハ。
 
 前の大戦で、ともに戦った戦友に墜とされたのだから。
 アスハから離れザフトに復隊したアスランの後を埋めるように、青い翼を広げカガリの“ストライクルージュ”を護り、ザフト連合両軍のMSがひしめき合う空を縦横無尽に翔けた伝説の機体。
 それはまるで、ザフトに復隊しプラントを守ろうとするアスランを詰るかに見えた。
 かつて、家族の愛情と穏やかな安らぎに満ちたしあわせがあった。
 ミネルバを連合に売ったくせに。
 連合に組みしたくせに。
 ステラに、子どもたちにあんなに惨いことをしている連合にオーブは組みしたくせに。
 前の大戦でシンから家族を奪った理念を覆し、奴らと同盟を結び、こんなところまで派兵させておきながら今になってオーブの理念を唱えるアスハを守り、自らの身も顧みず戦いを止めようと懸命なこの人をあいつらは討ったのだ。
 …あんな奴らを、アスランは討てなかったのだ。
 ダーダネルスの後の様子では、アスランは彼らの動向を知らずにいたのだろう。ならばまた現れ、戦場を荒らした彼らに、彼らに墜とされたことに、いつもの平静さを欠いてもしかたがないのかもしれない。
 それがどれだけシンの眼に不甲斐なく写り、不快感と苛立ちを煽るものであったとしても。
 青い顔で俯くこの人は、もはや人目を気にし取り繕う余裕すらもないのだろう。
「自分の部屋まで行けますか。なんだったら送りますよ」
 それでも動けない人間を放って行く気にもなれず、シンはぶっきらぼうに一応尋ねる。するとアスランは、ゆるりと首を横に振って答えに代えた。
「そうですか。じゃあ…オダイジニ、…“アスラン”」
 冷ややかに響いた呼び名。
 ついと、項垂れる人の正面のベッドに向けたシンの眼差しと表情は切ないものになる。眠ったままの少女の、今は安定している容態にほうと小さく息を吐く。
 上官のいらえを聞かず、聞く気もなく踵を返しかけたシンの足を止めたのは、思いのほかまともな声でアスランが口にした内容にあった。
「シン、君は『死ね』と命令されて死ねるか?」
 一歩分、半身背を向けかけたまま体を捻り、ベッドの端に座しているアスランを見下ろす。
 シンの眼に、細い顎を上げるアスランの顔の輪郭がやけに削げて見えるのは照明の加減か、それとも。
 それとも。
 ならばここ最近まともに顔を見ずにいた間に、これほど彼は憔悴してしまったというのか。
 ふと記憶の中から浮き上がったのは、ダーダネルスでの海戦の後、ミネルバがポートタルキウスへと航行中のことだった。
 
 
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