BOOK(企画)

□約束〜繋がる心〜
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“雪んこ”――。

私をそんな風に呼ぶのは、あの男の他には知らない。

あの男が、自分の組を継ぐと言って領地へ帰ってからは、久しく呼ばれていなかった。

けれど、忘れる訳もない。

「雪んこ」

その声がした時、ひどく懐かしく感じた。

ざわめく心を努めて冷静に保ち、顔を上げる。

そこにいた男は、何かが違っていた。

妖怪だから、たかが数年で外見はそうそう変わらない。

なのに、どうして。

新たな頭目としての矜持が、そうさせるのか。

その男――牛頭丸は、大人の男の顔をしていた。

牛頭丸は、私の手の中にあるものを見て、口許を緩める。

「あいかわらず、雑用をやってんのな」

昔にもよく聞いた言葉。

嫌味でしかなかったそれが、今は親しみのこもった優しい語調で、戸惑いを覚える。

私は、食器を乗せたお盆の端を、強く持った。

「…うるさいわね。何をしに来たの」

声に出してから、しまったと思った。

つい、昔の調子で口が動いてしまった。

牛頭丸が本家に来る理由なんて、ずっと私が望んでいたことなのに。

「何をしに、ね…」

悔しいけれど、この男には、私の心の動きはお見通しみたい。

一歩二歩、近づく。

そして耳に唇を寄せて、私が欲しかった言葉を囁く。

「迎えに、来てやったよ」

約束をした。

組を引き継いだら、迎えに来ると。

共に連れて帰ると。

それが今、ようやく果たされる。

私はぎゅっと目をつむった。

でないと、涙がこぼれてしまうから。

「遅いのよ…」

精一杯の虚勢は、この男の胸に消えた。



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