幸福論
□Autumn
2ページ/35ページ
気が重い職員室からの帰り道、偶然平林先生に遭遇した。
「お、丁度良いな。入れよ」
「あの、授業始まるんですが?」
「いいじゃねえか、サボろうぜ」
教師とは思えぬ発言をした先生は、そのまま私を生徒指導室へ連れ込んだ。
……生徒にサボリを促す教師がいるだろうか。
問題にしてやろうか、とも思ったが、目の前に出されたコーヒーが美味しそうだったので素直に買収されておく。
うん、味も中々。
「充と百合子は元気か?」
「っ!」
思わずコーヒーを噴出した私に、ティッシュを差し出しながらそう言う先生は、読めない表情を浮かべている。
それとは正反対に、私の心臓はバクバクと音を立てる。
父と母を知っているということは、跡部家を知っているということだ。
私が跡部の家の者だというのは、理事長にしか知らせてない。
その理事長も跡部に縁のある人物なので、口外するとは考えにくい。
この人は、私を知っている。
「…貴方、何者ですか?」
「ククッ…酷えなあ、お嬢様。俺の事忘れた?」
「……?失礼ですが、初対面では?」
「アメリカで会った事あるだろ?ああ、車の中だ」
アメリカ、車…。
そんな事あっただろうか。
…………そういえば。
アメリカでは一時、パパラッチ避けのために跡部の車で試合会場に入っていた。
その時、一時期だけ車に運転手以外の人が乗っていた。
確か名前は、
「…soji…」
「お、思い出したか。俺の名前、平林奏慈」
「う、うそ!」
「嘘じゃねえ。…つうか俺、別に変装も何もしてねえんだけど?」
「そうでしたけど、なんかもっとこう、爽やかな…」
「ああ、髭だろ」
人間髭を伸ばすだけでこんなに変わるものだろうか。
私の知っている奏慈、という人物は爽やかなお兄さんだった。
車の中で初めて会った時はそれなりに人見知りしたけれど、話せば面白い人で、テニスの話や日本の話で盛り上がったものだ。
「でもあの時は、自分のこと何も話さなかったじゃないですか」
それを今になって、父と母を呼び捨てで。
どういう関係だったのだろうと気になるのは当たり前だろう。
それに何が目的でアメリカまで来たのだろう。
「充と百合子とは大学の同級生だ。アメリカに行ったのはお前を一目見ておきたかったからで」
「…はあ。でも何で私を?」
「そりゃあ気になるだろ。あの2人の子供、なんてよ」
昔から知っている俺にとっては、あの2人が子育てをするというのは不思議なんだ、と先生は続けた。
「…あの時言ってくれれば良かったじゃないですか」
「言わねえ方が面白いじゃねえか」
「それだけで?」
「そ、それだけで」
「…そうですか。じゃあ車の中で会っていた理由は?」
「さすがにお嬢様1人の家に入るのは気が引けたんだよ」
なんだ、たったそれだけなんだ。
私に目的があった訳じゃなくて、ただ父と母の同級生だっただけ。
…それでも。
私を生徒会長にする必要が何処にあった。
「ま、頑張れよ会長」
「…でも何で私を?」
「……さあ」
結局、教えてくれないみたいだ。
けど、なんとなく推薦した理由が分かるような気がした。
特に理由はないんだと思う、きっと。