幸福論


□autumn2
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それから数日経っても、私に対する目は変わらぬままだった。

でも苦しくはなかった。

私には解ってくれる人がいる。

それだけで中傷の声に負けないでいられた。

「…また、」

しかしそれでも毎日誹謗中傷の声を浴び、ジャージや上履き、革靴は無残な姿へ変わっていた。

「またボロボロじゃーん」

「ほんと酷いよねー。でもまあ、どうせ金持ちだし?いくらでも買えるもんね」

「うちら騙してた訳だし、同情も出来ないわー」

けらけらと笑って、同級生は去っていく。

分かっていたことだ。

名を隠していた私が悪い。

こうして虐めの様な仕打ちを受けても、それは自分の責任なんだ。

「よう」

ボロボロになった上履きを見つめていると、上から優しい声色が聞こえた。

顔を上げるとヒゲを撫でる平林先生の姿。

嗚呼、先生にはこんな姿見られたくなかったな。

「随分な言われようだな」

「…自業自得です」

「…そーかよ。可愛くねえな、少しくらい頼ってきたら良いだろうに」

出来っこないって分かってるくせに。

なんて心の中で毒づいてみるけれど、やっぱり嬉しくて。

素直に礼を言えば、返って来たのは分厚い資料。

「立候補者募集のプリントですか?」

「ああ、急ぎで頼む」

そろそろ選挙であることは違いないが、去年は10月の誕生日より遅かった。

そこまで急ぎでやる仕事ではないだろう。

第一、私は今帰ろうとして下駄箱にいたのだ。

ここで急ぎのプリントを渡されるということは、まだしばらく帰れないらしい。

「…わかりました」

「不服そうじゃねえか。仕方ねえだろ、早まっちまったモンは」

「…そうでしたね」

いろいろあってすっかり脳内から飛んでいたよ。

生徒会役員選挙は毎年10月中旬頃に行われ、その後体育祭、文化祭とイベントをこなしていくのだが、今年は私達の修学旅行の関係もあり、日程が早まったのだ。

そもそも修学旅行は2年生の秋に行くのが立海の伝統で、去年も先輩たちが時期外れの沖縄に行っていたっけ。

今回は役員全員が修学旅行に行く為に、仕事が大幅に遅れる可能性がある。

ということで選挙も早めにやってしまおうという塩梅だ。

「今日中に頼むぞ」

「…帰ろうと思ったところだったんですけどね」

「見りゃわかるっつの。それでも渡してんだから製作期限が今日までだってことくらい察しろ」

「何でもっと早く言わないんですか!」

「忘れてた」

「……さいですか」

溜め息を吐いてから、帰ろうとしていた足を再び生徒会室に向けた。




























「あんたさ、いい加減アイツから離れなよ」

最終下校時間ギリギリに仕事を終え、ついでに校内を巡回して帰ろうとした矢先。

聞こえてきた女子生徒の声に思わず足を止めた。

「あんた、いくら貰ったわけ?」

「私だったら100万くらいでも超仲良くするわー」

「えー?アイツん家財閥っしょ?1000万くらいヨユーじゃないの?」

「超欲しいよねー。今から仲良くしても貰えると思う?」

………私のこと、か。

好きな言わせておけばいい。

だけど“あんた”と誰かに問いかけていると言うことは、単に私の悪口を友達同士で話しているのではないのだろう。

息を潜めて様子を見ると、数人の女子生徒と不機嫌顔な悠の姿。

「ね、答えてよ。もらえんでしょ、金」

「あんたたち、馬鹿じゃないの?」

「あ、つか成澤と言えばインターハイ優勝っしょ?それも金で買った?」

「いい加減怒るよ?あんた達、鈴の何がそんなに気に入らないわけ?」

「えー全部?テニス部だって可哀想じゃん」

「何だ、結局テニス部ファンの妬み僻みか」

「つかあの女、前から気に入らなかったんだよね」

「ってゆうかさ、あんた自分がなんて言われてるか知らないの?」

「…なによ?」

「“ハエ”だよ」






出てくる涙を必死に堪えて、そのまま逃げるように立ち去った。

助けになんていけなかった。

そんな資格、私にないじゃない。

だって私のせいであんな目に合わせているのだもの。

そのまま走って校門を出ると、携帯に手が伸びる。

涙で視界が遮られても景吾の名前だけはすぐに見つかる。

助けて、と電話したら飛んできてくれるだろうか。

「……助けを求めることも許されないよね」

甘えちゃ駄目なんだ。

自分が弱いから、こうなったのだから。

どうして自分はこうも無力で弱くて、大切な友人を傷つけてばかりなんだろう。

茜だって、悠だって。

私なんかの為に、自分を犠牲にして。

だけど私はそんな彼女達に何もしてあげられない。

「お嬢さん」

道路に立ち止まったまま泣いていた私の前に、影が出来た。

「なーに泣いてんの」

「…江口、さん…?」

どうしてこんな所に、そう言いたいのに言葉が出て来ない。

代わりに涙が溢れて、視界がぼやけた。

「おいで」

その言葉は優しくて、拒む事が出来なかった。


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