捧貰

□覚めない夢を
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この手が何かを守る為にあるのだとしたら。

この声が誰かを笑顔にさせる為にあるのだとしたら。

この足が、大切な人たちと共に歩んでいく為にあるのだとしたら。

無いものばかりを望んで、その度に酷く打ちのめされる自分に気づいたのはいつだっただろうか?



古びたビショップさんの教会は、相変わらず人が居ない為に静寂に包まれていた。

優しく微笑む聖母マリアも、その瞳に憂いを帯びた主キリストも、ここにはいない。

そう言ってどこか自嘲するように微笑んだビショップさんの顔は、今でも鮮明に思い出せる。


最前列の長椅子に座り見上げる十字架は大きく、ここからその姿を全て視界に収めることは難しかった。

小さく零れた溜息は、辺りが静かなためか、異様に大きく聞こえた。

……と、不意に椅子がギシリと悲鳴を上げる。

音源へと視線を向ければ、真っ白な髪が特徴的な青年が私と三人分ほどの距離をあけて座っていた。

「こんにちは、ハイネ」

私の声に、ハイネは小さく頷くと目の前にある十字架を見上げた。


キリストは、この十字架に磔にされた時、何を思ったのだろうか。

不意に浮かんだ疑問はすぐさま思考の奥に追いやられる。

静かな沈黙の流れる教会の中は、人の呼吸音さえ聞こえてきそうなほどで。

右隣に座るハイネの横顔を見遣って、そっと瞼を伏せた。

今まで、あまり喋ることのないハイネと共にいることは、苦痛以外の何物でもなかった。

けれど、今ではそんな沈黙でさえお愛しいと思う自分がいる。

人間なんてそんなものだと自嘲し、あの時から動くことのなくなった右腕に力を入れた。

やはりこの腕は少しも動くことなく硬直している。

神経がなくなっているから当然といえば当然だけれど。

ただの肉片と化している右腕に視線を向け、何もかもを諦めている自分に気づいた。

私をこんなふうにしたのは、


「ハイネ…キリストは、どうして自分を裏切ると知っていたユダを憎まなかったのかしら」

ぽつりと呟いた言葉に、ハイネの顔が向けられる。

とても奇麗な赤色をした眼は、静かに私を捉えていた。

「さァな、ビショップにでも聞いてみれば?」

暫くの沈黙のあと発された言葉は、私の望んでいるものではなかった。

「…そう、ね…」

けれど、今の私にはそんな言葉しか出せなかった。

恐らく、ハイネが私の望む答えを出したとしても、きっとこんな言葉しか返せなかっただろう。

静かに流れる時間は、それほど長いものではなかった。

しかし、私には数時間もこうしているように思えてならない。

そっと、左手で動くことのない右腕に触れる。

いつもの癖だった。


抱き込むように掴んだ自らの右腕は、感覚が全くない。

だからこそ、目を閉じればただの肉片を抱いているように錯覚した。



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