捧貰
□僕らの幸せ記念日
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「梵の馬鹿――――っ!!!!」
いきなり大声で「馬鹿」と言われ、唖然とする梵天丸。
隣部屋に控えていた小十郎が青筋を立てながら瞬時に襖を開き、教育的指導を行おうとしたそれよりも早く。
うわぁああん!と、子供丸出しの泣き方で泣き叫びながら、時宗丸は走り去っていった。
「なんだったのですか…?」
「…さぁ……?」
さっぱりわからないといった体で、残された二人は顔を見合わせ首を傾げた。
***
(梵の馬鹿!梵の馬鹿!梵の馬鹿!)
じわじわとはっきりしない視界で、俺は走った。
全速力で誰もいない廊を駆けて、当てもなく、ひたすらに。
危ないから止めろと親父殿に厳しく言われてたけど。
今は誰ともすれ違いもしないから、かまわないだろ!
でも、角を曲がったその時、目の前に大きな体があって。
勢いを殺す事なんて出来なかった俺は、顔面からつっこんでしまった。
「ぅぶっ…!!!」
「おお、これは時宗丸殿。左様に急がれて如何なさったか」
「師匠さま!」
反動で飛ばされるかと思ったけど。そうはならなくて。
気づいたときには脇に腕を入れられて、高く持ち上げられていた。
聞きなじんだ声に恐る恐る目を開ければ、予想通り虎哉宗一さま――俺の、師匠さまで。
呵呵と笑いながらも、危ないであろう、と諫められてしまった。
「ごめんなさい…」
「よしよし。きちんと謝れた事に免じて、此度のことは目をつむりましょうぞ。
されど、儂だから良かったものの、これがもし若さまだったりしたら一騒動だろうに。
以後、気をつけなされ」
「…………はい」
(―――――梵、)
師匠さまの一言で、さっきの出来事を思い出す。
ついカッとなって、馬鹿と言ってしまった時のアイツの。
アイツの、何で俺が怒ったのか分からないっていう顔が、浮かぶ。
傷ついたような表情に、ちょっとだけ胸が痛んだけど。でも、俺はべつに、間違ってなんかないんだ。
…なぁ、なんでわかんないんだよ。
ぽす、
頭に軽い衝撃が来て、ハッと顔を上げる。いつの間に降ろされたんだろう。
俺は床に足をつけて、師匠さまに頭を押さえられてた。
何だろうと思って見上げると、ニィ、と師匠さまは笑って。
「南蛮渡来の菓子が手に入ったのだがの、儂一人では食い切れん。
しかし早く食べねば傷んでしまう。
そこでだ、時宗丸殿。儂を助けると思うて、菓子を食べてはくれぬか?」
俺の返事を待たずに、俺の手を引きながらすたすたと歩き始めた。
そうして連れてこられたのは、いつも俺たちが勉学と武芸に励む学舎。
俺がまだ戸惑っている内に、綺麗に切り分けられたかすていらが、差し出される。
美味しそうなその色と形に、思わずぐぅ、と腹の虫が鳴く。
「…頂きます」
「うむ。たんと食べなされ」
それから暫く、俺は黙々とかすていらを食べた。
そしたら、半分くらいなくなったくらいに、俺をじっと見ていた師匠さまが口を開いて。
「ところで、何故時宗丸殿は泣きながら走っておられたのか」
「!」
「この虎哉でよければ話を聞きますぞ?」
如何かな?と、師匠さまは俺に尋ねた。
それを断る理由もないし、せっかくの師匠さまの好意を無下には出来ない。
少しだけ考えた後、俺は抱えていた思いを吐きだした。
「…梵天丸さまに、馬鹿って言ってしまいました」
「ほう」
「おれは悪くない、です。…たぶん。……だって梵天丸さまが、あんなこと、言うから」
「あんなこと、とは?」
僅か首を傾げた師匠さまに、さっきの俺とアイツのやりとりを、ありのままに伝えた。
「今日、お誕生日ですよね、梵天丸さま」
「朝から輝宗様達が騒いでおられた故、そうであろうな」
「だから、その…おれも、何か贈りたくて…でも、何が良いかわかんなかったから…聞きに行ったんです。そしたら」
照れくさい気持ちもあったけど。喜んで欲しくて。
うきうきした心でアイツの部屋の前に言ったときに、聞こえてきた言葉。
『梵の誕生日なんて、一体何人が心から祝っているのだろう』
まるで、俺の想いを否定されたかのように感じて。
でもそれよりも、そんなことを本心から口にするアイツが、酷く悲しくて。
怒りと哀しみと。いろんな感情が綯い交ぜになって、爆発してしまった。
「アイツは、わかってないんだ…おれが…おれたちが、どんだけアイツのことを好きか、なんて…!」
ぎり、と唇をかみしめて、膝の上に置いた掌を堅く握る。
馬鹿なんだよ、アイツ。頭凄く良いけど、馬鹿なんだ。
なぁ、もっと信じてくれたって良いじゃないか。
俺たちはお前が。お前のことがなによりも、
「それには儂も同意ですぞ」
暖かな声が耳に届いて、師匠さまを見れば。
(厳つい顔からは想像できない)柔らかな笑顔を浮かべていた。
「―――若さまは些か、自身に向けられる愛情に疎い。
致し方ないと言えば、そうではあるが。
のう、時宗丸殿。
お主にはそれがひどく悲しいことであったから、泣いてしまったということかの?」
「…はい」
こくり、と俺は頷く。だって。だって。その通りだから。
俺の想いが伝わっていなかった。それがかなしかった。なんでわかんないんだよって腹が立った。
でもそれ以上に。
自分が誰かに愛されるはずないと思っているアイツが。かなしくてかなしくて仕方なかった。
「時宗丸殿は、若さまにもっと愛されている自覚を持って欲しいと。
―――そういうわけだそうですぞ、若さま」
企みが成功したかのような晴れやかな顔で、師匠さまが俺の後ろを見た。
師匠さまのその言に吃驚して後ろを振り返れば、すす、と開く障子。
そしてそこから、僅かに俯いたアイツが、姿を現した。
「な、な、」
「何。若さまがの、時宗丸殿を自分が傷つけたのではないかと儂に相談に来ての」
「なん…!」
はくはくと口が開閉する。なんで、と言いたいけど、出てくるのは意味のない単語ばかりで。
思わず固まってしまった俺を見たアイツは、眉をハの字にした。
それから、そろそろと俺の傍までやって来て。
俺の手に、自分のそれを重ねた。
「ぼ、梵…」
「……梵は、お前やお師匠さまが言うとおり、梵のことを心から愛してくれる者なんて、父上以外にいるわけないと、思ってた」
「そんなわけ…!!!」
「だって、母上でさえ、嫌ったのに」
「それは、」
「……でも、梵は間違ってたんだな」
ぎゅう、と包まれた手。
そこにぽたぽたと落ちる、透明な、滴。
「梵…?」
名を呼べば、アイツはごしごしと顔をこすって。
それから顔を上げて(眦の赤さは隠せてなかったけど)、嬉しそうに笑ってくれた。
「………たんじょうび、おめでとうございます」
「うん。ありがとう、時宗丸」
僕らの幸せ記念日!
(君が俺たちの愛に気づいた日)(幸せに満ちたその日を、記念日にしよう)
2009/08/03 蒼鈍