藍一色染め。
柄もなく、帯も無地の黒。
しかし質の良い木綿を男物らしくしっかりとした、しかし涼しげに見せる上品な織り方から仕立ての良さは素人にも明白だろう。
そんな浴衣を隙無く着込んでいるのは齢15となったキサラギ家の跡継ぎとして最も有力視されている少年、ジン。
いつもの鍛錬と湯あみ、夕げを終えた彼は自室の机に置かれた小さな金魚鉢をじっと仄かな灯りに照らされている中見つめていた。金魚鉢には貧弱だが、尾ひれの形が良い混じりけのない紅が一匹がゆらりと泳いでいた。
魚も酸素がないと生きてゆけない。
ちゃんと魚を長生きさせようと思うのなら、今目の前にあるアンティークな金魚鉢ではなく機械を備え砂利や水草も敷き詰めた水槽かキサラギ家の敷地にいくつもある池の中に放してやればいい。
しかしジンは敢えてそうしない。
「長生きして、何を得る?」
金魚鉢の曲線を白い指でなぞりながら独り言のように問いかける。
「この金魚が長生きして得るものはわかりかねます。しかし、」
まるで影と一体化するような墨一色の浴衣をいくらか緩く着こなしてはいるものの、ジンの隣できちんと正座しているハザマが金魚模様の団扇でジンに風を送りながら小さく笑う。
「この金魚は今一瞬でも若様の目を捉えて物思いに耽る時を与えている果報者。そういったものは刹那の時を生きるのが真の幸せかと」
「……僕も長い生は不要かと思う」
ジンの言葉にハザマは団扇をあおぐのを止め、ぴたりとジンの背中につく。
「何を仰いますか、若様」
「僕は……ただ、ハザマが傍にいてくれればいい。でもハザマはずっと僕の傍にはいてくれない」
この夏が終えればジンは全寮制の士官学校に入る。これは名門でも例外はない。
そして学校を出て統制機構の人間となれば益々ハザマとは離れてしまうだろう。
「若様……」
「……すまない。子供の戯言だ」
ジンは珍しく笑みを浮かべると話を打ち切り、その夏の夜の出来事は終わった。
それから数年後。
ジンがイカルガの英雄と呼ばれ少佐に着任して間もない頃。
執務室で書類をこなしていると静かなノックが数回。
「……入れ」
感情のこもっていない声で入室を許可したジンの顔が、訪問者の姿に破顔する。
「失礼致します、少佐。諜報部のハザマ、と申します」
「ハ、ザマ……」
「お久しぶりです、若様」
(私も貴方も互いが生きる糧)
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