短
□虚空に描くは愛しき彼方
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注意※沖田病持ちの設定です。とても短かし↓
障子戸を少し開けて風の通りを良くする。
この何も無い殺風景な部屋の空気がふわりと、
軽やかに柔らかく回る気がした。
細く骨ばってしまった指を宙に浮かせ、虚空に線を走らせる。
最初はその頬から。
きゅっと締まった顎をゆっくりとなぞる。
次は、漆黒の固めの髪に手を伸ばして。
自分がよくされた様に、少しくしゃくしゃと掻き回す。
そうするといつも、『ヤメロ』と云う様に頭を傾ける。
きりりと上がった眉と、意外に長い睫毛にも優しく触れてみて。
綺麗な高さの鼻筋をすっと撫でる。
今度はいつもいつも咥え煙草でいたその薄めの唇を、ひと撫でした。
両手を上げて頬を包み込むと、その切れ長の目がゆっくりと開き。
静寂な夜の色のように、青藍掛かった瞳がこちらを真っ直ぐに、
真っ直ぐに見詰め返してくる。
そうして、見たことも無い様な余りにも優しい表情で微かに笑う。
名を呼ばれる事以外、何も言葉を貰った事は無いけれど。
それは本当に幸福な出来事で、瞳を閉じなくてもありありと。
あの冷たくも優しい人を想い起こせてしまう程。
絵心なんてものはさらさら無いが。
あの人のあの表情だけは、こうやって虚空に何度も何度も描いてみせられる。
その表情だけで充分だなんて思える様になったのは、これでもやっと最近のこと。
前線を離れてから、もうどれくらいの月日が経つのか。
だのに、まだこの身体は朽ち果てることを許されずにいる。
自分でも驚いたことに、この部屋に一人残されて。
昼も夜も構わず目から勝手に幾度も、幾度も水滴が落ちてきた。
それは命を懸けたものを守る術が、最早己には無くなったという事実の為だからか。
想い出すのは、まだ一行が名を馳せる前のあの田舎での懐かしく淡い遠い記憶。
そしてそれらを凌駕する如く押し寄せる、激しい感情の波があり。
その波は全てあの人に向いていた。
「 い」
「 たい」
春が過ぎ夏が過ぎ、季節を何度も飛び越える。
もう一生分の涙というものが、嗚咽も無いまま勝手に流れてしまったけれど。
想いはいつからか音に成り、無意識にその羅列が口をつく。
そしてこの動きの無い小さな部屋に飛び散って、消えるように溶けていった。
いつの間にか細々とした世話をしてくれる者が部屋に居ることさえも忘れて。
虚空に手を伸ばしては、自分に贈られたあの表情を何度も、
何度も描く。
「 さん」
自分が今どんな顔をしているのか、鏡も見なくなった今ではもう分からない。
あの表情に向けて、あの時と同じ様にあの人に返すことが出来たのなら。
「逢いたい」
この小さな箱の中で、
唯一それが愛しさであるのだと理解した。
15AUG'10up