memo

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片端綴り5の続きです。どぞ↓












「ひじかたさん」


総悟が名を呼ぶ。

何度も何度も聴いた己の名。
認識する為のただの単語でしかないと思っていたその名前も、その際呼ばれる度に違う感情がふつりと湧き出てくる。
その感情というものは急にふつりと湧いて来たものなのか、それとも無意識という水面下で既に己の中に年月を重ね存在していたものなのか、らしくもなくふと詮無いことを考えてみたりもした。

鼓膜に響いたまま残留する言の葉というものは、時にしてある意味呪術的だ。
それが思ってもみない相手が思ってもみない面持ちを晒して、身体の下からたまに縋るようにしがみ付き発する様は尚更で。


「俺も焼きが回ったもんだ」





花街へは連れ立って赴かず、屋号と住所、時間を伝えるのみだった。
日が落ちて間もないが早々にその街は艶やかに遊里の女と共に化粧いし飾り上げ、華やかな彩と別の意味の色というものを存分に振り撒き始める。

遊郭の二階から少し戸を開け、出された突き出しと酒には手を付けず愛飲の煙を肺まで吸い込むとそのめかし込んだ雑多な揺らめきを見遣った。
見世の女将とは顔馴染みで前もって話は付けてあり、それなりに情報を収集して具合の良いという評判の少し若めの娼妓を充てがう手筈だ。
馴染みの色に頼んでも良かったのだが、そっちの穴で兄弟めいたものになってしまうのも何やらぞっとしない。
ついでに寝屋を共にした女から図らずも褥の中で己の名が出てくることだけは、どうしてだか避けたかった。


指定した時刻からほぼ小半時間経った頃、本日の主役のご登場となった。
カラリと開けた襖の向こうにはいつもの隊服ではなく、たまに非番の際見掛ける浅梔子の着物に花紺の袴を着込んだ総悟が突っ立っていた。
そして腰にはいつも定位置に留めている菊一文字を差している。


「来やしたぜ」


そして特に大した風でもなくそう言い放つと、トンと襖を閉めて刀を外し畳に綺麗に敷かれた座布団の上で胡坐を掻く。

きょろりと部屋を見回し、少し開いた横の襖戸から隣の部屋に敷かれた一組の夜具を横目でちらりと見遣ると「腹減った」と手前に準備されていた突き出しに手を付けた。
膳の上にある酒を見留め徳利と猪口を取り手酌で舐め始める。

年齢的に平素なら見逃せない行為も今日に至ってはそのまま捨て置いた。
何にせよ一丁前に酒を呑むこの餓鬼を、花街に来させた張本人が咎める術は最早持ち合わせていない。

いやそれ以前にこの未成年の部下に、誘われたとはいえ世間的に見れば御縄になるような扱いをしていることは重々承知だ。
それがまた御縄にする側の機構に所属する張本人であるのだから笑えない。
今更だがそんな殊勝な考えが先程から頭ん中の後ろの方でちらついて、肺から吐き出した紫煙を除けようとそのもやりとしたものも一緒に手で軽く払い散らした。


「遅かったじゃねぇかよ」


もぐもぐと存外に綺麗に突き出しを口に含んでいた総悟は、部屋に入ってから心なしかこちらと目を合わせようとしなかった。
通常通り平素は表情を表に出さない造りもののような顔をじっと見詰めると、出し抜けに切って返される。


「相手っつーのはアンタの色?」

「―・・・・否、違う」

「ふーん・・・、俺は別に
アンタの匂いのついた女でも構わねーですぜ」


少しばかり落胆の色を隠さずに見せた餓鬼を前に妙に居心地の悪さを感じ、近くにあった灰皿を手で引き寄せると短くなった煙草をジジと捩じ伏せた。
意図せずに本音擦れ擦れの表情を見せる目の前の、頭空っぽの筈の相手に心中穏やかでない何かが湧き上がりそうになりそれも一緒に捩じ伏せる。


「何でお前にこうさせんのか・・・解ってんだろ」

「―・・・土方さん、
アンタはアンタで愉しんで来なせーよ。
まさか出歯亀してーって訳でもねーでしょう。
あとは俺もヨロシクやるんで、
ちゅーことで出てってくれやせんか」

「総悟、俺は今ならまだお前が・・・・」


「お願いです」


聞いたことの無いような殊勝な言葉を畳み掛けるように紡いだ割に、今度は廓に来て初めてきっぱりと目を合わせて、出て行けと催促する。
今までの部下に対する自らの仕打ちに、弁明し己を守ろうとするような陳腐な言葉はもう何も出て来なかった。

開けていた障子戸を閉めて街の賑わいを遮断すると、少しクリアになった部屋の空気のせいでまるでこの部屋の空間だけが切り取られたような錯覚に陥る。
刀を手にし腰を上げ部屋をあとにする際に、後ろ背に総悟の声がした。


「別に、アンタに想ってもらおうなんざ思っちゃいやせんよ」



『でも

有難うございやした』






揺さぶられる。


まるで女衒にでもなった気分だ。

女将に「後はよろしく頼む」とかそんなことを云って、他に部屋を取ってあるから休んでいけと勧められてもそんな気にはとてもなれなくて、見世の暖簾を潜り抜けると先程まで居たその部屋を見上げる。

こんな心持ちにさせるそいつの表情も言葉も全部。
目に焼きついて離れない哀しいほどに綺麗だと思ったその微笑みも全部。
この息が詰まるような喉の奥からその全ての記憶を、失くしてしまいたかった。


そうして今此処に来てはっきりと思い知ったことといえば。
アイツにとっては真剣に、己に好意を寄せていたということで。


「お前は何も」


明確な言葉というものを伝えられたところでどうなっていた訳でも無いだろうに、今になって恨みがましい呟きが口を付いて冷たい夜空へと融けていく。


「何も、云わなかったじゃねーかよ」


来た道をなぞる様に片足づつ前へ前へと草履の裏で地を踏みしめて歩く。
空は黒い闇夜であり、地上は喧騒に充ちた煌めきに浮かれて、その全てがこの花街という極彩色の舞台装置のようだった。



果たしてそうだったのか。
全てを閉ざして温もりを奪い合って、何でも無いことのように振舞いながらも、身体の下僅かに伝わってくる震えも。
たまに心許無い手付きでそろりと背に両の手を回してくる仕種も。
大抵は云う事をからきし聞かない癖に、そういう時だけは手酷い扱いにも口答えさへもしないアイツを。

知らない振りを決め込んでいたのはまさに。


何度も何度も聴き慣れた自分の名を呼ぶ声。

心地好く響くその呼び声が時に熱く、時に哀しく、時にいとおしくなって。
華やかな見世通りを俯き歩きながら羽織の襟をぎゅうと寄せ合わせた。






20101229UP
もーすぐ終わります。終わるはず?
暗いですね・・・

勢いづいて書いてみた→7


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