狩猟(巷説U)

□白駒党《琴古主》
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 大江戸八百余町の深夜。
 深藍で染めたような夜空の中、ポカリと浮かぶ月の皓皓とした光りが雲に遮られた僅かな時に、音も無く幾つかの黒い影が飛んだ。
 黒の盗人装束に身を包み、先頭を行く百介は手下二人を引き連れて、瓦の軋む音一つもせず風のように屋根から屋根へと走り飛んでいた。
「不味いね…これは…」
 胸の内で呟くと、百介は苦笑を浮かべる。
 予てより狙いのお宝は、残念ながら盗み出せなかった。
 引込み役に、不首尾があった訳では無い。
 お務めの計画に、抜かりがあった訳でもない。
 強いて言えば、百介にとって思いも寄らぬ人物が、この盗みの計画に割り込んで来たのだ。
「策を練り直さなくてはね」
 それも早急に、そして手抜かり一つ無きように。
 百介は、ふふ、と小さく含み嗤う。
「これは…久々に…愉しくなってきたねぇ」



《前口上》
 さア、さア、皆の衆。御用と御急ぎでなくば、とくと御覧じろ。
 江戸は京橋の表大通りに面した蝋燭問屋・生駒屋といえば、この江戸でもチッたァ知られた大店だよ。
 さて、このお店、実はドエラい裏がある。

 聞いて腰抜かしなさンな。
 実は蝋燭問屋・生駒屋とは、世を忍ぶ仮の姿。
 その実態は、江戸の藩邸や大名屋敷を荒らす大盗賊一味“白駒党”だってェ訳よ。
 さア、大ェ変だ!
 白駒党の若き御頭様、此度の御勤は如何にっっ!!




 この夜、大川の花火見物に出掛ける為、目当ての武家の上屋敷に残る者は少数。
 その隙を狙って忍び込んだ百介と手下達は、天井から奥の部屋に入り込み、まんまと目当ての品を手に入れた…いや、盗もうとしていたのだ。
「待ちねぇ」
 不思議と通る聲に、手下が俊敏に反応し、御頭である百介を後ろに下がらせ、懐から九寸五分を引き抜いた。
「おおっと…光りモンは納めなせぇ。どちらさんかは問いやせンが、奴が用のあるのはァそのお宝で」
 白木綿の帷子を纏い、頭には白い御行振り。
 いつの間に奥の部屋に入って来たものか、盗人である彼等にも気取られぬ忍び足。
 百介には聞き間違いの無い、だが此の奥座敷では決して聞ける筈の無い、闇語りの聲。
『なんと…又市さんが!』
 どぅして、ここに?
 内心では慌てふためく百介だが、彼が僅かに指を動かすだけで、万事心得たように手下達が九寸五分をパチリと鞘にしまいこむ。
 その一糸乱れぬ統率力並々ならぬ様子に、ほぅ、と眉を上げた又市は、御頭である百介へと脚を一歩前に踏み出した。
「さぞや名のある御頭様と御見受け致しやした…ですが、奴も“小股潜り”の意地がありやす」
 今夜は大人しく引いちゃ貰えやせんかねぇ。
 抜け抜けと言い放つ、又市の自信に満ちた口振りに、百介は呆れるやら笑えるやら。
「…そちらの顔を立てて、今夜は引きましょう」
 声音を変えた百介は宝を足許に置くと、手下を率いて天井裏に飛んで戻る。
「なれど…その“琴古主”…三日後には頂きますよ」
 首を洗ってお待ちあれ。
 百介と又市の視線が、ビシリと一瞬火花散らすように絡み合い次には、ふぃっと弾かれるように互いに目を背けた。
 言わなくとも、返事は判る。
 お互いに、一歩も引かずに『受けて立つ』と、視線で宣言しあった。
 だから、その後は。
 百介は風のように、上屋敷から抜け出したのだ。




 目当ての武家屋敷では、殿様よりも公家筋の正妻が強くて、万事に口出しをしてくると噂になっていた。
 その正妻が嫁入り時にわざわざ京の公家屋敷から持参した曰く付きの琴、が狙いだったのに。
「拠りに選って“妖怪遣い”が出て来るなんて…」
 演り辛いよ、と零した百介は、それでも怪談仕立ての又市の作戦と真っ向勝負を期待して、楽しそうに笑みを浮かべた。
「それにしても…流石は名にし負う“小股潜り”…見事な絵図面だねぇ」
 うっとりと、感嘆の聲すら交ざって呟かれた百介の言葉に、脇に控えていた生駒屋主人公・喜三郎――いや“白駒党”副頭の、白羊の喜三郎と呼ぼうか――が一つ膝を進めた。
「何か手立てが見付かりましたか、御頭様」
 その呼び掛けにチラリと視線を流すのみで応えて、百介は目当ての武家屋敷に再び忍び込む手筈を整えていた。
「これだけの仕掛け細工を張れる手下は、ウチにいるのかぃ」
「は…いえ…」
 残念ながら、と喜三郎が吃りながら応えると、『ふぅん』と気の無い声が上げられた。
「あの、御頭様…」
「仕方ないよねぇ。御家の跡継ぎ騒動が加わっては、目当ての琴を盗み出す暇もありゃしないサね」
「しかし、三日と期限を切ったは…」
「私が言ったことに不満があるのかぇ?」
「いえっ、滅相も御座いません」
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