狩猟(巷説U)

□《狩り》
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 自由恋愛、というものが世間にはある。
 あるにはあるのだが、家柄だの格式だの身分だのと世の中には色々と制約もあり、世間様には余り歓迎されてはない。
 というか、どれもこれも幸福な終わり方をしていないのが定説である。
 大抵は周囲の反対に合い自発的か無理矢理かで終わり、思い詰めたりすると心中沙汰となった挙句に、屍体で晒者にされるか生きて寄せ場送りになるか。
 所詮は芝居や読み本や浮世絵の中でだけ美しく飾られ作られた話なので、現実の厳しさや浮世の不条理にぶつかり挫折し、自由恋愛を貫く者などはまず居ないのだ。
 ところで、その身分家柄生まれや生国等は関係なく、しかも恋愛からはもっとも縁遠いとされていた人物が、依りに因って自由恋愛をブチ上げたら、どうなるだろうか?

 粋な江戸っ子なんて何処吹く風か、野暮も野暮、野暮天の極みと自分を評する山岡百介は『恋愛なんて無縁なもの』と20代にして枯れきっている御仁。
『人の恋情というものが、どうにも判らない』と、本人がそう思って諦めきっていた、というのに。
 百介は、恋愛という未知の感情の嵐に巻き込まれ、遭難状態となっていた。



 百介が恋というものを己の中に見出だしたのは、間抜けにも相手と出会って顔を見知った時ではなく、付き合いも暫く経ってからのこと。
 なにせ二人の出会う切っ掛けときたら、今迄何不自由もなく微温湯に浸りきって生きて来たような百介の頭をゲンノウでカチ割る勢いの、最悪な出会いであった筈だ。
 百介は妖怪とか怪異とかが好きで、この若さで結構な大店をポンと惜しげもなく他人に譲り隠居をしてしまうくらい、欲がなくて浮世離れした性格に加えて『いつか百物語の開版を』なんてぬるい夢を見ているような男だったから。
 正直、山中の雨を避けた小屋の中で始まった怪談話は、百介も興味を引かれ身を乗り出し帳面に聞いた話を書き付けるくらいに面白かった。
 その音頭を取った白帷子の札撒き御行は、目と目が合った途端に、ハッと百介が身構えてしまう程、なんというか自分との歴然とした差異を感じた。
 油断ならぬ人物と見えたが、何処となく愛嬌もある。口調は辛辣ながら百介を探るような言葉遣いは只者ではないようす。
 死人までが出た怪談の顛末は、全て御行の仕掛けた妖怪芝居だったと種を明かされ、百介は腰が抜ける程驚いた。
 闇に魅力を感じていた百介の前に、闇に浸った妖怪じみた男が、ひょっこり現れた訳だから、飛び付かない訳がない。
 御行の又市、は“小股潜り”と称する人別外の小悪党。いわゆる下賤の民であった。
 そんな又市の、人を喰ったような笑みの裏にある、どうにもやり切れない人の哀しみを読み取ったとき、百介は息を飲んで、嫉妬と羨望と羞恥に頬を赤らめ俯くしかなかった。
『私よりも、しっかりと覚悟をして生きている』
 自分には持ち得ない生き様に、百介は惚れたのだろう。
 その視線の強さにも、闇語りの聲にも、必ずこちらとは一線を引くような落ち着いた態度にも。
 育ちも生き方も何もかも、自分と違うことが新鮮にさえ感じた。
 一つ一つが百介の心をザワザワと騒がせ、堪らぬ心持ちにさせる人物だった。
 仕掛けで助っ人を頼まれ又市と会っている時は、楽しいし心が踊るようでもあるし。
 又市と会えない時は『どうしているか』と、彼のことをいつの間にか考えてしまうしで。
 百介は、産まれて初めてと言っても良い位に、赤の他人である又市のことを想っている自分に気付いた。
『そうか…これが人を好きになる、ということか』
 百介は、その感情が自分にもあることを理解し、嬉しくなった。
 だが、陽の当たる世間でのうのうと生きてきた百介は、ハタと正気に戻ってしまった。
 冷静にならざるをえなかった。
 相手は男だ(衆道の気はないと言われている)しかも人別外だ(百介はそんな身分差に拘る気はないが)更には入れ墨はないが小悪党である。
 又市との自由恋愛に関しては、晩生の野暮天な百介でも、分の悪さは良く理解出来た。
 しかも又市の方は、自分と百介とは『全く違う生き物なのだ』と言わんばかりに、気にし過ぎる程百介に対して気遣いを見せるのだ。
 そんな又市の態度や言葉の端々に、百介への好意が現れているのだが、又市からは何をする訳にもいかない様子。
 ならば、と百介が誘いを掛ければ良いのだが。
「困ったな」
 惚れた相手なら、好きだと言い交わし、身を重ねても良いのだが(それ位の知識は百介にもある)又市にはどう言えば良いかが全く判らない。
 どうやら又市が身分差に相当拘っているのが判るだけに、百介の想いは告げても無駄になりそうなのだ。
 そして百介からは誘えぬ理由がある。
 又市にとって、真っ当な経歴と肩書きを持つ百介は、身分も上の立場。
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