狩猟(巷説U)
□《添い寝》
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夜半を過ぎた頃――。
又市は、手酌で酒を呷っていた。
酒、といっても、そう上等なものではない、糠の匂いが混ざるような、安い濁酒である。
縁の欠けた茶碗に酌んで、ぐびぐび飲み干すだけ。
肴はない。
いや、あるといえば有る。
実を言えば、又市は一人ではない。
こんな煤けた安宿の一室に、共に枕並べて寝る同伴相手がいる。
いるのなら、二人さしつさされつ飲めば良いように思えるが、そうはいかぬ。
相手が――又市とは似ても似つかぬ堅気で、しかも昼間に裏街道間道抜ける回り道を同行して、すっかり疲れてしまったのか、薄い煎餅蒲団にくるまりクゥクゥと寝入ってしまっているからだ。
対して、又市の眠りはごく浅い。
いつ何時、何が起ころうが直ぐにも行動出来るように、普段から人といようが一人でいようが、眠りこける事は滅多にない。
だから、この宿でも二人大人しく『お休みなさい』と並べ敷いた蒲団にそれぞれ入って、二人共に寝息を立てていた、のだが又市の方は端から意識は覚めていた。
どぅにも寝付かれぬ。
それはどうやら、無防備にも善悪知れぬ小悪党の傍らで安心しきった幼いとも見える顔で寝息を立てている、この素っ堅気のせいらしい。
物音たてずに起き出し、蒲団の上で胡座かいて、眠れぬまま又市は徳利を引き寄せ呑み始めた、という訳だ。
最初は、一・二杯も飲んで蒲団に入り、眠れぬまでも体を休めようとしたのだが。
こちらに寝返りを打って、何やらモニャモニャと寝言を呟いた若者の顔に、それこそ飽きることなく魅入り又市は杯を重ねる始末となった。
なんだか、胸の内が暖かい。
安酒の酔いではないソレは、又市には酷く新鮮で凄くいたたまれない気分にさせる。
だのに、こうして自分は男の寝顔を肴に眺め、するすると酒を飲んでいるのだ。
どうした宗旨変えだ?
又市は自分の心持ちを嗤い、驚き、また腹ただしく、かつどこか喜んでいる始末なのだ。
舌先三寸で人も世間も騙眩ます小股潜りともあろう者が、情けない。
又市の乱れる思惑を余所に、若者は『…ん』と喉で小さく呟く。
ハッ、と息を詰め、欠け茶碗を握り締めた又市が様子を窺えば、彼は何処までも呑気に楽しい夢でも見てるのか、笑みの様に口許を緩く開く。
闇にも白く浮かぶ、優しげな顔。
閉ざされた薄い瞼。開ければ澄んだ黒い眼が、柔らかな春の日差しのような素直で温い感情を湛えているだろう。
開かれた口許、白い歯並び、チラリと覗く赤い舌先。
相手が同性の男と百も承知で、それでも又市はゾクリと背筋を泡立たせた。
なんだ?これは?
岡場所の女郎なら、さっさと叩き起こして、いや寝ていようとお構いなしに相手をさせるのだが。
ぐいっと又市は酒を呷る。
熱が、酒のせいばかりとは言えぬ熱が、又市の腹の内を焼く。
ジリジリと、いたたまれないのだが、心地好くもある熱が臓腑を焼く。
『百介さん…』
ひそり、吐息のみで夢の世界に勝手に遊ぶ連れない相手の名を呼び掛ければ、又市は知らず己の口許を柔らかな笑みに形作っていた。
柔らかで暖かで、しっかりとそこに在るのに、どこか儚げで。
そんなモノを、この男から又市は貰った。
貰った筈なのに、そのあやふやなモノは、未だ総てが又市のものではないのだ。
それが少し癪に障る。
『寄越せ』、と思う。
勿体付けずに、全部を明け渡せと。
又市は、何もかも投げ捨てて生きて来たつもりだったのに、こんなにも強欲な己と出会い、焦ってもいた。
なんと言っても、相手は陽の下の住人だ。
又市の持てぬ、持たぬままきた総てを、手にしているのが当然だろうに。
ところがどうだ。
よくよく話を聞いて回れば、この男は、陽の下の住人達が挙って血眼になり執着するものを、いともあっさり未練もなく投げ出したという経歴の持ち主だった。
潔い、余りにも善良過ぎる。
又市の目には、到底信じ切れぬような、そんな人の善さに映る。
よくぞ無垢なまま、ここまで生きて来れたものだ。
よくもまぁ……こんな裏侘しい安宿の得体の知れぬ一室で、ぐっすりと眠れるものだ。
傍らに、この妖怪遣いが控えているというのに。
それなのに…いや、それだからこそ、この男は寝ていられるのか?
小股潜りと二つ名持つ、又市に全幅の信頼を寄せて。
くく、と吐息を揺らして笑うと、又市は手にした茶碗酒に舌を湿す。
「…………」
ふと、闇が揺れて、又市は微かに名を呼ばれた気がした。
顔を上げると、男が蒲団から片手を出し、指先で何かを探っている様に蒲団の縁を掻いている。