狩猟(巷説U)

□《戦闘バレンタイン》
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 百介は、大店の若隠居である。
 さて、そこで問題となったのは。
「チョコ………?」
 百介の手作りチョコレートを贈られた、又市の当惑だろう。
「チョコですっ、チョコなんですっ…多分」
 いや、なにもそこまで強調しなくとも。
 つーか語尾に微妙な疑問符が付いてたよーな気がするのだが。
 有り難いやらアリガタ迷惑なのやら。
 いや、チョコを貰う云々が迷惑という訳ではない。
 好きな人が自分の為にわざわざ手作りチョコレートを贈ってくれるなんて、幸せテンコ盛りなことではないか。
 だが、しかし、又市が当惑したのは、チョコを作ったのが百介だという一点に尽きる。
 そうっ!!
 実は百介、家事能力が皆無に等しかったのだ。
 以前にも頑張って作ってみたと百介が握り飯を持って来たことがあったのだが、それは既に握り飯ではなく、大きな団子状態にされたキリタンポであった。
 味噌汁を作ったと百介が笑顔で鍋の蓋を開けた途端、治平とおぎんが裸足で逃げ出した。
 等の出来事を思い返せば、百介の料理は前衛芸術的な盛り付けに殲滅な味つけ、という結論となる。
 現に、又市に手渡された重箱が何やら異様に重たい。
 しかも、何故か箱の中身が、小刻みに動いているような気がする。
「…ちなみに先生ェ、誰にこの料理方法を習いやしたか」
「はい、知り合いの方に紹介して頂いた菓子屋の―――」
 うっっ、と身を引きかけた又市は、百介が口にした店の名に己が命数を悟った。
「―――三春屋さんとおっしゃる…あの、又市さん?」
 心配そうな百介の顔を見て、顔面蒼白となった又市は覚悟を決めた。
 ここで嫌だなんぞとチョコを突っ撥ねたら、百介の好意を踏み躙ることになる。
 愛の為に死ぬのなら本望っ。
 なに、重箱の蓋を開けたら取って喰われる訳じゃなし。
「有り難く頂きやすよ」
 引きつった笑いを浮かべて、又市は重箱の蓋を開けた。



 小股潜りが倒れたと治平に聞き、慌てて駆け付けたおぎんは、床に伏す又市の枕元で泣き崩れる百介の姿に困惑した。
「なんでまた?」
「はい。私がっ、私がチョコを渡したばかりに、又市さんがっ」
「腹痛かぇ?」
 こいつァ地蔵様の供物までくすねて腹に納めるようなヤツだよ。
 何気ないつもりで口にしたが、百介は違うとおぎんに首を振る。
「チョコが、又市さんを襲ったのですっ」
「…………は?」
「又市さんが重箱の蓋を開けた途端、中に入れておいたチョコがっ又市さんの顔に飛び付いてっ」
「……………はあっ?チョコが人を襲った?」
「私っ、あんな怖い菓子だとは知らなくてっ」
「……………っ?!(先生ェ、何を作っちまったンだぇ)」



 チョコレートが日本に輸入された当初、牛や馬などの生き物の生血を固めて菓子にしたもの、と噂されたそうである。

 とすれば、新たな生命の誕生が、もしやすると三春屋の若旦那の教えを受けた百介の手により、密かに台所でなされていたやも知れませぬ。
 くわばらクワバラ。
『早く人間になりた〜い…』




 2009.02.11 -END-
 

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