御馳走(戴物)

□《毒》
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「先生、その茶に奴が毒を入れたと云やァ――如何しやす?」
仕掛けの最中の様な真剣な表情で、御行の又市は目の前で正座している考物の百介に問うた。
百介はにこりと笑い、無言で湯呑みに口を付けた。
百介のあまり目立たぬ小さな喉仏が僅かに上下するのを見て、又市は珍しく驚いた顔をした。

「先生ェ――何故――」
又市の言葉を遮る様に、強い視線だけで又市を制してから百介は目を伏せ、白い瞼に薄らと透けた静脈に又市が見蕩れているうちに、二人の唇が重ねられていた。

口移しで茶を又市に飲ませ、その儘離れようとした百介の頚を右手で、背中を左手で押さえつけ、又市は百介の唇と口内を暫く味わう様にしてから、漸く百介を解放した。

「――奴と、心中でもして下さるンで?」
上がった息を整えている百介に問い、又市は胡坐をかいていた足を組み替え座り直した。
数度、深呼吸して百介は又市を確乎り見据え
「――真逆。どんな形であれ私に貴方を殺せるとお思いですか?又市さん。幾ら鈍い私でも判ります。貴方が私を殺す様な事など――なさる訳がありません。貴方は、お優しい方なのですから」
毒なんか、入ってる訳がない、と。笑って云った。

「何故、入ェってねぇと、お判りになられやした?」
湯呑みに残った茶を飲み干し、又市は百介を抱き寄せた。
「人が人を――私が貴方を恋しいと想う心に理由は要らないし、在りもしません。ならば、貴方が私を殺さないと私が想う事にも理由は必要ないでしょう?」
そう云って百介は微笑み、緩りと行者包みの白木綿へ手を伸ばした。
又市は白木綿に触れられる前にその手を取り、強く握った。

「はぐらかしやしたね?」
「いいえ、本当に理由がないのですよ。だから、答えたくとも答えられぬのです」
いけませんか、と。
百介は空いている方の手で、又市の頬を柔らかく撫でた。――ふわり、と笑って。

「貴方は何を試しておられるのです?何が怖いのですか?大丈夫ですよ、又市さん。貴方がどれ程嘘を吐いても、私は貴方を最期迄信じます。だから又市さん。貴方は私が貴方を想う心を信じては下さいませんか?」
握られた儘の手に頬を撫でていた手を重ね、百介は又市の手を強く握り返し、そっと、その手に唇を寄せた。
「小股潜りの奴を――信じると仰られやすか。奴に――心なんてェ曖昧なモノを信じろと?」
「小股潜りなんて人は居ません。私の目の前に居るのは、又市と云う名の、一人の男だけです。又市さん――ならば私は心を信じて欲しいとは申しません。ただ、この山岡百介と云う、ちっぽけな人間を信じては下さいませんか?この髪もこの肌も。瞳も声も。血や骨の髄迄も――ちっぽけな私の全ては貴方のモノで。その貴方のモノはね?貴方を愛していると、こんなにも全力で叫んでいるのですよ?」
やんわりと、又市の手から己の手を離すと、百介は包み込む様に又市を抱き締めた。

「――先生は、奴のモノだと?」
「ええ、髪の一筋も、血の一滴でさえ。私の全ては貴方の為だけに在るのです」
又市は百介の髪を梳き、愛しげに唇を寄せた。

「先生の全てが、奴のモノ――」
「はい。だから、何をしても貴方から私が離れる事はありませんよ。私は――もう貴方から離れられませんから」
髪を優しく梳く又市の手に頭を預け、百介はうっとりと目を瞑った。
「奴ァ――先生の気持ちを、試す必要は無くて。先生が奴から離れる事を、怖がる必要は――」
ねェのか――と。
又市は百介の肩に顔を埋めて、細い躯を折れそうな程強く抱き締めた。



「俺にとっては、どうやら先生ご自身が毒の様だァ――それでも、俺ァ死ぬ迄この毒を啖い続けて居てェや」

ぐったりと眠る百介の薄い躯に蒲団を掛けてやり乍ら、又市は小さく呟き――僅かに笑った。


and that's all?



09/10 “月”様よりの戴物
 

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