御馳走(戴物)

□《気張れ田所》
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「いいですかッ、次の昇進試験は、絶対に受けて貰いますからねッ」
ヒステリック一歩手間のようなキンキン聲で本部長から怒鳴られ、田所は態とらしく身を竦めた。
今の田所の地位は警視だが、普通キャリア組にとって警視は単なる通過点でしかない。更にその先を目指す為の第一歩程度の感覚だ。
キャリアは国家試験を受けた後、警察大学で六ヶ月学んだだけで警部補の地位に付く。そしてその後何も無ければ、約一年程で心太方式で警部の地位となり、更に二年程で警視つまり今の田所の地位となる。
つまり大きなミスや回り道をしなければ、早ければ三十路半ばで警視正の地位も有り得るのだ。
おまけにノンキャリアの場合、昇進試験を受けるには手続きが面倒な上に一つの所轄で僅か三名程しか受けられない超難関の狭き門であるのに対し、キャリア組なら手続きは簡単な上に手続きを済ませた全員が無条件で試験を受けられる。待遇の違いはそれだけでなく、その為の試験勉強の時間も与えられるという、破格の扱いなのだ。
それなのにキャリア組の筈の田所が昇進に見向きもせず、ノンキャリアの中に混じって現場に出ている現状が、目の前の部長には許せないらしい。
というか、大切なキャリア組を――キャリア組は即ちエリート組という事であり、そのエリート組は警察という機構を支える何百万人の中のたった数百人しか存在しない貴重な存在である――何時までも外に出させている状態が好ましく無いッ、と周囲から余計なプレッシャーを掛けられての事らしい。
「しかしですね…昇進試験を受けてしまうと、俺はもう、現場には出られなくなってしまうじゃないですか」
それが嫌だから、昇進試験を受けたくありません、とキッパリと告げる田所だが。
彼の頭の中には、試験の手を抜く、という考えは無いようだ。
尤も昇進試験に望むノンキャリア達の意気込みと熱気を良く知っているが為に、余計に試験の手を抜くというような失礼な真似はしたく無いという思いが有るのかも知れない。
「君には我々のように外に出て、泥塗れや汗水流す捜査より、もっと適任の仕事が有るじゃないか」
「…と、云いますと」
「ほら、そろそろお迎えが来る頃じゃないのか」
「まさか…部長……」
思わせ振りな部長の言葉の意味を漸く思い当たった田所は、瞬時にしてゲンナリとした表情となった。
「たッ、田所ォ〜ッ」
周囲の状況もお構い無しの大音量で、『鬼の検事』の異名を取る山岡軍八郎検事が強行班、別名捜査一課の部署に雪崩れ込んで来た。
「俺の大切な百介が〜
あんなヤクザ者と一緒にフィールドワークに行くと云うんだ〜ッ
あんなヤツとは付き合うんじゃないと、何度も口を酸っぱくして云っているというのに〜
田所は自分より僅かだが大きな躰をした男に泣き付かれ、部長と話をしていた時以上に意識をゲンナリさせた。
「ウン、やっぱり検事殿の相手は田所君が適任のようだね、ウンウン」
「ぶッ、部長ッ」
それまで交わしていた話の流れが崩れた様子を悟った部長は、打って変わった穏やかな声色となって話を切り上げに掛かる。
「ま、そういう事だから、次回は昇進試験は任せたよ」
「いや、だからッ、俺はですねッ
「聴いてくれッ、田所〜ォ
「今はお前よりこっちの話をッ
「連れない事を云うな、田所ッ百介の身をお前は心配じゃないのかッ
「そりゃ、何かありゃあ心配だが、今はまだ大丈夫なんだろうがッ」
「何かあってからじゃ遅いッ
「あぁそうだ、この際ついでに例の見合い話の方も纏めておくから、そのつもりでヨロシクね」
『進めておく』のではなく『纏めておく』と告げ、ソソクサと強行班の部長が出て行き、後には呆然自失の田所と泣き崩れる『鬼の』検事が残されたのだった。
「部長ッ、部長〜ッ
部長を呼ぶ田所の聲だけが辺りに虚しく響いた。

頑張れ田所、負けるな田所。
明日という日は、君の為に有る…のかなぁ。


2008.10.20 -END-
 

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