御馳走(戴物)

□《楽屋裏にて…続》
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台本とペンを握り締め、百介は必死になって次の撮影に必要な台詞と、その前後の立ち位置を、頭と躰と台本に叩き込んでいた。
そんな百介は、元々役者ではない。
都内某大学の准教授、という肩書きを持つ身である。それも人気度は今ひとつの民俗学。
つまり演技に関しては全くのド素人、なのだ。
だが自ら挑んで、役者稼業を行なっている訳ではない。寧ろ『芸能界独特の雰囲気』に慣れぬ所為か、撮影が有る度に内心では馴染み辛い思いで一杯となっていた。
そんな百介が、放送局及び芸能界と関わるようになってしまったそもそもの切っ掛けというのが、別番組の特番で民俗学の詳しい解説者を探している事からだった。
あちらこちらの大学に所属する名だたる教授連の中から、何処の誰をピックアップするか…と、連日会議が行われたのは云うまでも無い。
なにしろ学者の殆どは結構厄介な性格を持ち、自身の頭の良さ(理性)と名誉(欲)が、一般人には信じがたい方向性でせめぎあう人種なのである。
おまけに固定観念に凝り固まり、斬新な発想が出来ない者。
名誉を重んじる為か、迂闊な発言は出来ない、と口が矢鱈と重い者。
重厚な雰囲気を出そうとしてなのか、何も話そうとしない者。
頑固一徹のあまり他人の話を聴かぬ者。
独断と偏見以外の発想が無い者。
それらの者達とは真逆で、バラエティー向きの性格とよく回る口だが、肝心の発する言葉には重みも信憑性も全く感じられ無い者…と、十人十色の諺通りの(それも変な風に偏った)学者達を相手に、日々密かにオーディションを兼ねた、番組出演を匂わす打診を繰り返していたその中で。
独断も偏見もなく、或いは頑固一徹で融通がきかない訳でもなく、軽調浮薄で言葉が足りない訳でもなく、学者特有の『利口バカ』で常識が無い訳でもない、民俗学界唯一の貴重な若手である百介に巡りあった、というか白羽の矢を突き当てた、という経緯があった。
百介自身、テレビの出演なんてとんでもない、と即座に断ったが。
海千山千のプロデューサーは、大学側を巧い具合に巻き込み、百介の出演を説き伏せさせよう、と考える。
だが幾ら民俗学を核とした番組だと云われても、実際は中心の筈の民俗学は殆ど添え物的なバラエティー。
そんなものに百介が出たいなどと考える筈は無く、何度話が来てもお断りを願っていたのだが。
しかし近今は少子化が著しく、些か経営が苦しい現状の大学側は、(大学)名が世に売れるチャンスなのだから、と強引に百介を説き伏せて。
結果、しぶしぶの出演となったのだった。
番組の中での百介は、取り立てて目立った発言や間の抜けた失敗も無く、滞りなく撮影を終わらせる事が出来たのだが。
特番の出演の後、やっと終わってくれました…と、胸を撫で下ろしていた百介の前に現れたのは、一目で業界人と判る男。
初対面の彼がいきなり土下座してまで百介に訴えたのは。
「立ち姿と雰囲気が良い。是非とも自分がプロデュースする番組に出演してくれ」
どうか願いを聴いてくれ、と『ドラマ・巷説百物語』のプロデューサーに直接スカウトされて今に至った、という訳なのである。
尤も雰囲気が良いからと云うだけで、ド素人の百介を起用する訳が無い。
実は『ドラマ巷説百物語』は、異常な程の低予算番組でもあった。
勿論百介以外は皆、役者を生業としている者や、長らく芸能界の水を飲んでいる者達ばかりなのだが。
治平は巧みな芝居で定評が有るが、実は大部屋出身の端役役者で。
以前に出演した番組のエンディングロールに出る名前でさえ、十把一絡げ扱いの男。
又市は幼稚園時代に子役として、それなりに名が売れた事もあったが、だがその番組以降は鳴かず翔ばずの低迷を味わっていた。
当然の事だが、当人の演技が下手な訳ではない。しかし何故か出演した番組はヒットしない、というだけなのだ。
しかしそれが何時の間にか、『又市を起用すると番組は(或いは映画は)当たらない』と裏方の間で密かに噂される程になっていたのである。
おぎんは大物俳優を父親に持つ芸能サラブレッドなのだが、その事で周囲が遠慮というか壁を作ってしまうのか、歌もバラエティーも中途半端な状態となってしまい、その果てに『巷説』に流れ着いたようなものだった。
当人は美人女優で有名な母親と似た顔立ちと、父親と同じように聲が良く通る上に歌唱力も有るのだが、それだけでは歌手としてやって行ける訳ではないらしい。
そして他の出演者達も、皆が似たり寄ったりな経緯を持っていて、そんな中で『巷説百物語』を作り上げているのである。
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