御馳走(戴物)

□《楽屋裏にて…続x3》
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「念入りなリハーサルでやすねェ」
三人も入ってしまえば、忽ち足の踏み場も無くなるような、狭っ苦しい造りだが。
何故か映像の中では結構広く見えてしまう、摩訶不思議な番屋セットの中で。
何時もの衣装に加えて、頸から偈箱を下げた又市が、闇の中から湧き出して来たかのように、唐突に現れる。
「あ、又市さん」
どうしても不安なので、リハーサルを[兄上]に付き合って戴いていました、と。
頭を掻きながら微苦笑する百介に、又市は一瞬意識を奪われる。
「先程の演技で、途方にくれた雰囲気が出ていたから、アレで大丈夫だと思いますよ」
軍八郎役の男性が、爽やかな笑みを百介に向けた。
「そうですか。でもまだ不安で」
「俺も舞台が本業なんで、こういったドラマの撮影となると、結構不安がありますよ。でも『この役は自分しか出来ないんだ』と思って、精一杯の演技をしているんです」
「兄上でもそんな風に思っているんですか」
「いやぁ、俺なんて、まだまだですよ。それに余程の大物役者でない限り、皆も同じように感じていると思いますから、あまり気にしない事です」
それじゃあ俺はこの辺で、と軍八郎は、キビキビとした動作で百介と又市の二人に頭を下げ、他の出演者が屯する控え室へと向かって行った。
その背中に向け、あ…ありがとうございますッ、と百介は周章て頭を下げる。
「……好い人ですね、兄上は」
今回の撮影で二度目ですが、とても親切な方で、私を本当の弟のように扱ってくれるんです、とはにかむような笑顔を浮かべれば。
「もしかしたら先生ェにゃ、御兄弟が居なさるンで」
「又市さん、どうしてそんな事を……」
[撮影の出番待ち]という僅かな時間でさえ利用し、せっせと惚れた相手の顔を視に来ている又市の様は、それなりに微笑ましいとも云えるのだが。
しかし掛けた聲の中に、僅かだが悋気を滲ませていては、凡て台無しである。
又市が悋気を滲ませた相手は、先程まで百介と一緒に居た兄役の役者に向けてのもので。
勿論、軍八郎当人は男(百介)を相手に、邪な感情なぞ全く持ち合わせていない。寧ろ又市からの勝手な思い込みを押し付けられて、さぞかし迷惑な事だろう。
だが又市は遅咲きの初恋(笑)に逆上せ上がっている上に、漸く巡りあった運命の相手(と思い込んでいる)百介との恋の進展は、なかなか思うように進まない状況だ。
それどころか、我こそは百介の恋人の座に相応しい、と皆で邪魔をしているように感じている程で。
その為に百介の側に近寄る者は、凡て自分のライバルという眼で視ていた。
しかし当然の事だが、誰もが又市と同じ意識を持っている訳ではない。
従って軍八郎が、自分は(百介に対して)そんな感情は一切無い、と又市に告げたとしても。
少々『本気での恋愛』に慣れていない所為もあってか又市は、聴く耳を持つどころか、却って深い疑心暗鬼に陥ってしまう、という悪循環。
更に不運な事に軍八郎は、八王子千人同心という役柄に相応しい体躯と温厚な(という設定の)弟と似通った穏やかさを併せ持つ、つまりそれなりに男前だったのである。
おかげで軍八郎はリハーサルの間中、物陰からジッと様子を伺っていた又市からの、殺気交じりの視線を全身に浴び続ける羽目となった。
特に百介に対しての台詞、「私の弟ではない」と素っ気なく告げた時などは、百介にとって大切なリハーサル中である事も忘れ、つい背中からバッサリ行きそうになった程だ。
だが役柄以上に野暮天と称するだけあって百介は、又市が放つ剣呑な視線に全く気付かず。
兄役の相手と[野鉄砲]の撮影以来の久々の再会と、また一緒に演技が出来る事を素直に喜んでいた。
つまり又市の動向には一切気付いていないのである。
もしかしたら百介は、鈍いとか呑気というものでなく、とてつもなく器が大きいのかも知れない。
一応又市自身、皆への挨拶や撮影前のリハーサルは、役者にとって大切な仕事と心得ているので、二人の間に割って入るようなバカな真似はしなかったが。
しかし兄役の男は百介の側に居る間中、背筋を這い登る謎の悪寒の正体に気付いていたようで。
その所為か又市が現れた途端、ソソクサと姿を消してしまったらしい。真に御愁傷様な事、としか云いようがない。
だが又市も、百介が他の男と話をしているのを、恨みがましくジッと注視めているだけではない。
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