狩猟(巷説)

□現代版《温泉に行こうっ》2
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 そこは本当に、秘湯の雰囲気漂う、良い宿だった。
 都会の澱を洗い流すのには、絶好の静かな心洗われる癒しのロケーションであった。
 彼等、貸切り団体客が訪れるまでは。

「儂達は夫婦だぞ、水要らずにしてやろうって気が無ェのかっ」
 苦虫噛み潰した面の治平が、当然だとばかりに怒鳴れば。
「何言ってンだよゥ。元々、此所にはフィールドワークのつもりで来たンだから、調査検討しなきゃなンない妾と先生に譲りなよぅ」
 おぎんが、女子大生として助手の権利を主張。
「何を言いやがる、この雌狐が!ここは先生と奴に…って、始めっから決まってンだよ」
 そもそも、手前ェ達み〜んな御邪魔虫なんだよっ、と又市が怒鳴り。
「俺が、百介と貴様を二人っきりにさせると思ってるのかっ。ここは、久し振りの兄弟二人きり、に決まっておろうが!!」
 家族の権利だと、軍八郎が百介独占権を高々と吠え。
「幾ら先生ェでも、おぎんちゃんと一緒ってェのは赦せねぇやな。俺も混ざるぞ〜っ」
 徳二郎が必死に喰い下がる。
 この宿で一番良い部屋、つまり離れを使うのは“誰”と“誰”かで、先程から揉めに揉めているのだ。
 仲居さん達は、部屋割が決まるまで待機状態にされている。
 他にも部屋があるというのに、離れの宿泊を巡ってギャアギャアと喚き合う一行には、『なんなの、この人達は?』と仲居さん達は早くも逃げ腰である。
 そんな賑やかな様子を脇に、“化野”の女将と百介、そして無理矢理参加をさせられた田所は『もう慣れた』といった塩梅で、茶を啜りながらノンビリと庭や景色を眺めて楽しんでいた。



 その頃、宿のフロントの奥では……。
「どーゆー曰くの、一体何の集まりなんだか」
「あら、番頭さんもそぅ思いましたか?」
 宿の若女将と番頭さんが、気難しい表情で顔を突き合わせていた。
「この記載が、ねぇ」
 番頭さんが指し示したのは宿泊名簿。
 そこの、宿泊客の職業欄の部分である。
「まずは『私立大学准教授』と『大学生』ってのは判る」
 見た処、若い(若過ぎるが)先生と、その受講生らしき女子大生だ。
 単位欲しさの学生と、スケベな教授との、御忍び旅行とも勘繰れる。
「でも、この二人、部屋は別々でしたね」
 若女将の言う通り、何とか部屋割りが決まり、それぞれの部屋に仲居が案内して通したばかり、なのだ。
「それに、あの若い大学の先生……そんな邪な目的を持った風には見えませんでしたわ」
 百介の穏やかな人柄を見た若女将は、肩を持つ様な発言をしたが、『人は見掛けじゃ判らないからね』と、番頭さんが訳知り顔で窘める。
「あそこは、離れの座敷だけど離島って訳じゃないんですよ、若女将」
 夜中に人目を避けて、離れに呼び付ける気なんだろうさ、と番頭は邪推した。
「でも、その先生、探偵さんと御一緒なんですよねぇ」
「だから、そこがどうにも判らない、つーか。兎も角、胡散臭いのは間違いない!おまけに、その自称・大学の准教授の兄だと名乗った男と、ツレのもう一人の男」
 ああ、あのがっしりした体格の…と若女将は二人を脳裏に思い浮かべた。
 どうやら、軍八郎か真兵衛のどちらかが好みのタイプだったらしく、目許をぽやんと赤く染めたりもして。
 そんな若女将の様子に気付かないまま、番頭さんは顔をしかめて首を振った。
「あの二人の鋭い目付き……只者じゃないよ。ありゃ、暴力団じゃないでしょうかね」
 いざとなったら、直ぐにでも警察に来て貰えるように、通報しておきましょう!
 そう息巻く番頭に、それこそ失礼ですわ、と今度は若女将が顔をしかめて窘める。
「部屋回りの御挨拶時に耳にしましたけれど、あの御二人、検事と刑事さんなんですって」
 若女将の言葉に、番頭はそれこそ信じられないという顔になる。
「それなら妾も聞いたね」
「お母さんっ」
「女将さんっ」
 暖簾を潜り抜けてのいきなりな登場と言葉に、渋い顔を突き合わせていた若女将と番頭が慌てて立ち上がる。
 若さの違いはあれど、若女将に良く似た眼をした女将は、『お客様の詮索はするモンじゃないよ』と二人纏めて窘める。
 が、である。
 不意に女将は、考えるような顔付きになると、なんと二人の話に加わって来たのだ。
「まぁ、訳も判らなくなる筈だよ。先の予約が、二部屋の二組み。追加で二部屋、合わせて四部屋。そうしたら、いきなり『宿全体を貸切りにしてくれ』だなんて」
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