狩猟(巷説)

□《化けたら》
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 師走になり、大路を行き交う人々の歩みもヤケに忙しなくなる。
 まるで歳の神に追い立てられてるかのようだ、と山岡百介はトテトテ京橋へ歩いて居た。
 版元に考物の原稿を渡しに行った帰り、である。
「山岡先生、もちっと早目に仕上げちゃくれませんかぇ?」
 ご尤も。
 原稿依頼を受けてから、かなり時間が経ってしまった。
 その代わりに、と言ってはナンだが、書き溜めた案を束ねて版元に持って行ったのだ。
「ちゃんと期日を守ってくれたら、こんな煤払いみたいなヤッツケ方はしないで済むでしょうに」
 重ねて、ご尤も。
 百介、幾度も頭を下げて、遅れた原稿を版元に渡して来たのだ。
 その帰り道。
 行き交う人々が更に増えて来て、混雑を避けようと道を曲がった時に。
 ドンッ、と突飛ばされる勢いで弾かれ、百介は「あ、」と多田羅を踏んだ。
「ボヤボヤしてンじゃねぇやっ!」
 崩れ髷の威勢の良い若衆が、着物の片裾捲ったままで、百介に怒鳴りつけた。
「あ、済みません」
 謝る百介をその場に、若い遊び人風な男は、あっと言う間に大路の雑踏の中に消えてしまった。



 人気の無い路地裏で、先程、百介にぶつかった男は、ニンマリと笑いながら、懐にした財布の重さを計っていた。
「けっ、チョロイもんだぜ」
 どうやらこの男、“巾着切り”が本業で、百介の懐からぶつかった瞬間に財布を掏り取ったようだ。
 良いカモだったなと、ニヤニヤしながら財布から銭を取り出そうとしてた若い掏りは、裏路地に佇む人影にギョッとした。
「おい、そいつを返ェしな」
 不思議と良く通る聲、に掠め取った百介の財布を素早く懐にしまいこむ掏りは、忍ばせてある合口を握り締めた。
「なっ、なんだよっ、テメェは?」
「見てたぜ、そいつァあの御人のだろが」
 ニャ〜リ、と口許が冷笑に形取る。
 派手な花札模様の着物、成りは渡世人のごとし、飄々とした風貌を裏切り目付きはキツく、掏りを睨んでいる。
「野郎っ」
 懐から合口抜き出した掏りは、逃げ口を塞ぐように路地に立つ若い男に切り掛かった。
 如何にも喧嘩慣れした掏りの動きだったが、若い男の瞳がスゥと細まると、路地に細い血の筋が走った。
「ぎゃああっ」
 袷をザックリ、胸元から切り裂かれた掏りは、肌身に深々と刻まれた血の四本線に悲鳴を上げる。
「屑が。あの御人に手ェ出すからだぜ」
 掏りが掏り取られたなんざ、情けねぇな。
 ニタリ、と笑う男の手には、百介の財布がいつの間にか取り返されていた。
「返ェして貰うぜ」
 這うように逃げ出す掏りの尻を、駄賃だとばかりに蹴りっ飛して、『二度と面ァ見せるな』と吠えてやる。
「全く、危なっかしい御人だよ。離れの主様はァよ」
 財布を返してやらにゃあ、と踵を返して、男は『おっとォ』と目を細めた。
 りん…、と。
 鈴を手にした白い御行振りが、これまた胡散臭そうな鋭い目で、こちらを睨んでいたからだ。
 この二人、風体成りは全く違うものの、顔や体付きは全くの瓜二つ。
 御行の又市は、嫌そうに鈴を顔前に掲げて、先程まで掏りとやり合っていた、もう一人の又市を睨み据えた。
「…手前、何してやがる?」
「御挨拶だな、妖怪遣い」
 猫又市はクククッと、金の猫目を顕にして牙を剥いて笑う。
「何の冗談だ、その面ァ」
「文句なら離れの主に言いな。俺に名付けの呪をかけたのは、あの御人だからな」
「あ?」
「『又市さん』だとよ。まるでアンタに呼び掛けるみてぇに俺に名を付けた」
 御蔭でな、化けても『名の持ち主』の姿になっちまうんだよ。
 そうボヤク猫又に、又市はケッと吐き捨てた。
「変えろ、気色悪ぃ」
「俺だって、ンな辛気臭ェ帷子姿は真っ平御免だ」
 だから、アンタの若い頃の姿を借りたんだ。
「この姿で離れの主の前に出りゃあ、縋り付かれるかもな」
 ニタリ。
 猫又市は満更でもない顔付きで、口許を吊り上げた。
 他でもない、又市の顔と姿で、その声音と口調とで。
 百介を化かして騙して、その身を抱き寄せたら……。
 常日頃から“御行の又市”に飢えている百介は、どう反応するか?
「……してみろ!石抱かせて大川に沈めてやるっ」
 この、化け猫野郎がっ。
 又市の鋭い怒気を込めた聲に、気圧された猫又市は肩を竦めて見せた。
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