狩猟(巷説)

□《惚れた熱》
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「先生ェ、ちょいと先生ェ」
「…あ、はい?」
 呼ばれて、物思いを断ち切った。
 曖昧な笑みを浮かべて振り返れば、おぎんがおかしな顔をして此方を凝視してるのにかち合う。
「どぅかなさいましたか?」
「それは妾の聞きたい事だよ、先生ェ」
 おやおや、と百介は総髪頭を掻いた。
「何でも御座いませんよ」
「そんな顔じゃなかったよぅ」
 そうだ、何でも無い訳がない。
 何かを考えてないと、破裂してしまいそうだ。
 この、心が。
 百介は、どうしたら良いのか、全く判らなくなって途方に暮れていたのだ。
「理由なんざ、どーせ、あの馬鹿の小股潜りなんだろ?」
「あ、いえ、その……困ったな」
「おぎん姉さんが敵をとってやるよぅ」
「いえ、ですから違うのですよ」
 おぎんさん、まぁ落ち着いて下さいませんか。
 袖を捲って拳突き出すおぎんの様子に、このまま放って置いたら又市の頭が瘤だらけになる、と慌てて百介は制止を掛けたのだが。
「又さんがロクでもないことを、何かしたんだろ?」
「いえ。私がしたんですが」
 おぎん、『はあ?』と首を傾げた。
「先生ェが、又さんに?」
「はあ……御恥ずかしい話ですが、その、ですね…」
「あ〜、なにサ?先生ェが、又さんに、迫ったのかぇ?」
「迫った、と言うか。その、まぁ、そういう事なんです」
 最後の方はゴニョゴニョと聞き取れなかったが、真っ赤な茹蛸みたいになってる百介先生を見て、おぎんはピンッと来た。
 よっ日本男児、なんて掛声かけてやりたい位に、野暮天先生にしては快挙じゃないか。
 浮かない顔をしてる処を見れば、どうやら不首尾に終わったようだが。
 おぎんは、はは〜んと仇な目許を緩めて、百介を見やれば。
「も、どうしたら良いのかが、サッパリ判らなくて」
「あれま、嫌われた訳じゃ無いンだろ?」
「嫌われた方がマシです。ああっ、全く」
 私じゃ駄目みたい、なんです。勘違いだって、言われたから。
「はあ?」
 又さんが、先生ェじゃ駄目だって?
 そりゃあ照れてるンだよ、本心じゃないよ。
 おぎんは、百介を宥めて言ってやったが。
 それにしたって。
 おぎんは形の良い眉を逆立てたまま、口を尖らせた。
 百介は、世間様言う処の“告白”とやらを、小股潜りの又市にぶつけたらしい。
 普段の百介先生を見知る者にとっては、その勇気を出しただけでも『よくやった!!』と、肩を叩いて労いたくもなる程だ。
 又市だとて、百介の事を憎からず想っている様子は、おぎんから見ればバレッバレであるのだから、これは速攻で決めたかと思いきや。
「私では、駄目みたいなのです」
 なんじゃそらあっっ?!である。
 痩せ我慢も大概にしろっ、と又市を怒鳴りたくもなる。
 おぎんは、怒りも一入だ。
「大体『惚れた腫れた』と告ったンなら、あっさりスンナリ纏まるのが、好き合った仲ってもンじゃないサ」
「いや、ですから」
 百介は最初っから、受け入れられるなんて、考えてもいなかった。
 ああ、御迷惑を掛けてしまうなぁ、なんて考えはしたものの。
 己に正直に、ただ、この心の有様を告げただけなのだ。
 必死の勇気振絞り、『好き』だ、と相手に告げたら。
 又市は、冷笑すら浮かべて『そりゃ勘違いでやさぁ』と、百介に切り返してきたのだ。
「そりゃアねぇ、男が男に『好き』だと言われたら、困りますよねぇ」
 私だって、そぅ思いますよ。
 おぎんは、そこまで聞くと、やおら百介の正面に身を乗り出した。
「だったらサ!」
 だったら、先生ェ、妾となら、どぅだぇ?
「……………は?」
 たっぷり間を開けて、屯興な声を張り上げた百介に、おぎんは焦れったそうに身を揺する。
「だからっ、妾とっ!妾が先生ェに、惚の字だって言ってるんだよ」
 ああ…。
 百介は頬を染めて、女のおぎんが見ても、それはそれは愛らしくはにかんで、微笑んだ。
「嬉しいですね。おぎんさんみたいに綺麗な御人から、好きだなんていわれると」
 なんだか、胸がほあんとなります。

 そう言った百介の顔は、おぎんの方が思わず見とれてしまう位に。
 とても、柔らかなものだった。
『…又さんは馬鹿だねぇ』
 この暖かな陽溜りみたいな笑顔の持主が、好きだと言ってくれるなら。
 おぎんだって、思わずヨロめく。
 と言うか、冗談めかした勢いで口にしたけれど、百介のことを“好いたらしい御人”と認めているだけに。
どうオチを付けたら、良いだろうか?
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