狩猟(巷説)

□《しゃばけ介入》
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「これ、勘九郎ドン」
 離れの濡縁を掃除しとくれヨ。
「へぇ〜ぃ」
 古株の女中に言われて、新顔の丁稚小僧が雑巾と桶を抱えて百介の離れへと跳ねるように向かった。

 先頃、口入屋から『生駒屋さんだけが頼みの綱です、是非ともっ』と泣きすら入る有様で押し付けられたも同然の小僧ドンは、商売についてはドン臭いものの、家事手伝いには役に立つ。
 特に若隠居の御世話に関しては嬉々として非常に良く立働くので、奥の女中達には好評だ。
「お前さん、あの子は商売よりも先に、奥の用事向きが性に合っているんですよ」
「うんうん、表の丁稚小僧としては、まぁ難がありますが、若旦那にも懐いてますからねぇ」
 読み書き算盤もたどたどしく、何処の田舎から出て来たんだ、というような世間知らずな面があるが。
 おたきと喜三郎主人夫婦にも、勘九郎はまあまあ好評だ。
 何せ若隠居がフラリと出掛けようとした時には、店の誰よりも真っ先に気付いて、この子供が荷物持ちの御供に走り出すのだ。
 一人でフラフラ出歩かれる以前よりは余程好ましい状態と、勘九郎は『百介付き』の小僧になったも同然。
 お使いや裏庭掃除と、勘九郎はまめまめしく働いてはいるが。
《実際、お前さんはこの生駒屋じゃなくて、離れの若隠居に御奉公に上がったんだろぅ》
 にゃ〜ぅ、と伸びをしながら、濡れ縁をセッセと雑巾拭きしている勘九郎を、猫又の“又市さん”はチロリと見やる。
 猫が口を聞く不気味さを、平然といった様子で受けて、勘九郎は拭き掃除の手を休めない。
「当り前なことォ聞くでねェ!九郎は百介様に御奉公さァ上がったんだ」
 があっ、と嗄れた烏声で、馬鹿にしたように勘“九郎”は啼いた。
 小僧の口が黒く尖り、髪の毛にも黒い羽毛が覗いている。
 つまりは、勘九郎は人間ではなく、烏天狗の“九郎”が化けた姿、なのである。
《実際、お仲間が増えて嬉しいんだか『こん畜生っ』なんだか、こちとらも迷ってるんだよ》
 二つに先割れしてる尻尾を振った又市はニヤリと笑い、ギシギシと鳴家の群れが離れからこちらを見ているのに気付いて、尻尾の先でからかっている。
 そんな又市に、九郎はフンっと肩を怒らせた。
《九郎は修行したっ。百介様にモノノケが見れないなら、人に化ければ良いこと。九郎は百介様に御恩返しをするっ》
《まあ、頑張りなよ。あの、妖怪遣いの御行に、目ェ付けられない様にねぇ》
 にゃ〜ん、と塀の向こうからする別の猫の呼び掛けに、“又市さん”は尻尾を一つに纏めて、裏木戸を潜り抜けて行ってしまった。
 その、如何にも猫らしい気紛れを忌々しそうに睨んでから、また勘九郎はセッセと板敷きを拭き清めていると。
 すーっ、と。
 離れの障子が開いて、百介が出て来た。
「あ、若旦那様ァ」
「おや、勘九郎さん?綺麗に掃除をしてくれて、有難う御座います」
「若旦那様ァ、御出掛けなさるんで?」
「えぇ、ちょっと……」
 曖昧に口籠り、困ったように笑みを向けてくる百介に、急いで雑巾を絞ると桶の水を捨てて、勘“九郎”は『御供致しやぁ〜す』と元気一杯に立ち上がった。


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「えぇと…長居をしなければ、多分…大丈夫ですよね」
 百介が、今から行こうとしているのは、薬種問屋・長崎屋。
 少し前に、そこの手代二人と若旦那とに、トンでもない目に遭っているので、出来る事なら『余り行きたくは無い』のであるが。
 そう何時も何時も、アンナコトが起きる訳が有りませんし…と口にするが。
 だがそれに続くように、重い溜め息が百介の唇から溢れる。
 しかし何より、手持ちの薬が残り少なくなっている状況が、何とも心もとなくて。
 始めは、京橋の近所にある薬種問屋で間に合わせようか…と思ったものの。
 けれど材料を厳選しているのか、それとも調合が巧みなのか、長崎屋の薬種は、とても合っていて。
 時折その世話になる治平達までもが、口を揃えては『この薬は良く効く』とお世辞抜きに褒めるのだから。
 ならば次は、多目に用意した方が良いかも知れない…と思っての行動であるが。
 けれど、再び重い溜め息が百介の唇から溢れ落ちてしまう。
 出掛けるのが嫌な訳ではない。
 ただ夕べはウッカリ、工房から届けられたばかりの香り蝋燭を灯けたまま、本を読んでしまったのである。
 躰に香りを纏い付かせて、あの店に出向く事だけは、絶対にしたくなくて。
 百介は幾度めかの躊躇いを繰り返す。
 そしてそんな百介の様子をずっと視ていたらしい丁稚小僧が、代りにオラが行ってくるッと聲を張り上げた。
 百介はその子供の顔を、じぃっ…と注視めたのだった。


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