狩猟(巷説)

□《夏バテ》
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 夏は暑い。
 蒸暑いのが当たり前で、だからこそ普段からあまり外に出ない生駒屋の若隠居は、見事に夏バテした。
 というか睦月からこっち、東北の山間部を巡り怪異話を聞き集める旅を終えて、江戸に戻った直後に夏バテの症状が出てしまったのだ。
 若隠居大事の生駒屋では『薬だ医者だ祈祷師だっ』と、百介の枕元で涙散らして大騒ぎをしてくれた主人夫婦をはじめ、奉公人一同がオロオロと気を使い、ますます半病人を恐縮させていく一方で症状は重くなった。



「病は気から、と申しやすねぇ」
「笑い事ではありません。あのまま、もう少し旅を続けておくのでした」
 夜半に生駒屋の離れに忍び込んだ御行の又市は、僅かな間に痩せた百介の顔に苦笑を向ける。
 食欲が失せたとかで、余り物を口にしていないらしい。
 飯が入らぬのならばと、冷やし汁に素麺、トコロテンや甘い瓜だの西瓜だの、甘酒や黒蜜掛け葛切り。
 とにかく少しでも百介に食べて貰わねばと、生駒屋の台所はてんてこ舞いだが。
「何も食べたくないのですよ」
 百介はバツが悪そうに、又市から視線を外す。
「ヤレヤレ、こりゃア思ったより先生ェは重態だァ」
 笑う又市は、布団の上に半身を起こした百介へ、顔を寄せた。
「では奴が、とっときの薬を差し上げやしょうか」
 えっ、と小首を傾げた百介に又市は囁いた。
「仕掛けを助て欲しいンで…」
 ですから、早く良くなっておくんなさいよ。
「あ…はいっ」
 頬を赤らめて百介は頷く。
 そんな百介の頭を柔らかく利き手で撫でると、苦笑したまま又市は偈箱を引き寄せ立ち上がった。
「あの、又市さん?」
「本当に…早く元気になって下せぇよ」
 今の侭じゃ、抱くに抱けねぇやな。

『…は?』
 間抜けにも、又市の言葉の意味が百介の頭の中で理解されたのは、白い御行が離れから立ち去った後だった。
「―――って、〜っっ」



 その後、百介は程なく元気を取り戻し、秋口には再び小悪党達と共に旅烏を気取ることになる。




2009.08.07 -END-
2009.09.15 再

 

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