狩猟(巷説)

□《馬鹿ですかぃ》
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「なンっって馬鹿なことォっ」
 呆れて怒鳴った又市の前で、煎餅布団にくるまった百介が、赤い顔をして『ずびばぜん』と謝った。
 いや謝ろうとして、クシャミ鼻水。
 慌てて枕元の手拭いを取り上げ、水浸しの彼の顔を拭うのは又市だ。
「嵐の中ァ一刻も、蓑笠ァ被らずに立ってるなんてェ」
 本当に、何を考えていなさるんでっ!


 体調管理は旅人の鉄則だ。
 それを怠る百介ではない。
 だが、たがを外すような、百介にとって重大な何かが、あの嵐にあったということ。
 びしょ濡れの百介がよろけながらも宿に帰り着いたのを誰よりも早く見付け、又市は酷く慌て、そして怒った。
 季節外れの嵐は、昨日は紅葉前の樹々の葉をもぎ取る勢いで吹き荒れてはいたが、今は風も収まり鬱陶しい雨ばかり。
 その一番激しい暴風雨の中を、百介はコッソリと出かけていたらしい。
 それに全く気付かなかった又市は、余計に苛立っていた。
 自分自身に。
「先生ェ、一体ェ全体ェ何事がありやしたか?」
「…妖怪でず」
「……………は?」
 随分と長い沈黙の後、又市は熱を出した百介の顔をマジマジと見て。
「あの嵐の中ァ、わざわざ妖怪を見に行った、と?」
 怖々と頷く百介に、又市は姿勢を正すと。
『失礼しやす』と、厳かに告げてから、ボクッと百介の頭を一発張った。
「いだ〜ぃっっ」
「ガキですかぃっ。先生ェ、その物好きな性分、多少直さねば命に拘りやすぜ」
『それはそぅなんですが』とモゴモゴ、口の中で理由を付け加えようとした百介は、布団を頭まで引き被り『済みません』と再度謝って。
「又市さん、あの妖怪は、貴方には見えなくて正解でしたよ」
 そんなことを、百介はズピズピと鼻声で言うのだ。
「…薬を飲んで、大人しくしていなせぇ」
 溜め息をつきながらも又市は布団脇から立ち上がり、百介を静かに寝かせておこうと、足音を忍ばせて部屋から出て行った。



「嵐の晩に、蓑笠被った妖怪が、宿屋を回って歩いた〜ぁ?」
 奇妙な噂は、直ぐさま又市の耳に入る。
 多分、百介が見たかった妖怪が、コレなんだろうと理解は出来るが。
『蓑笠被って、宿から宿を歩き回る、ってのは何の符牒だ?』
 確か百介は、風雨激しい中を、蓑笠付けずに帰って来て、って………。
 そこまで考えた又市は、偈箱を引っ掴み、急いで宿屋周辺の聞込みを始めた。
 賢い百介が、笠もなしに雨の中を出て行くなんて、やはり変だ。
 そぅして又市は、自分が見ることのなかった“妖怪”の正体を、察したのだ。



「全く手間暇掛けて、風邪まで背負い込んで、先生ェ……」
 アンタ、ここに宿改めが入ることを何時知りなすった?
 又市は、呆れ半分腹立ちも半分である。
 又市達は人別外の無宿人である。
 当然、役人の取調べがあれば困る訳で。
 常に小悪党達が宿を求めるのは、主街道から外れた裏寂しい木賃宿か、傾き掛けているような安宿だ。
 宿改めなんぞ、ありそうもない、そんな宿。
 その筈だったのだが、あの嵐の日は違った。
 どうやら手配書の回っている下手人が、又市達の泊まった宿に身を潜めているらしい、と土地の代官所に密告が入ったのだ。
 抜き打ちの宿改めの計画が、取り方達で密かにたてられていたのだ。
 当然、役人が踏み込んで来れば、又市も只では済まされなかっただろう。
 だから、こそ。
 その情報を耳にした百介は、如何にも怪しい風体で嵐の中を歩き回ったのだ。
 役人達の耳目を集める為に。そして、下手人を誘い出す為に。
 百介が簑笠を脱ぎ捨て、全身ビショ濡れで宿に戻った頃には、嵐の日の捕物は一切の片が付いていた。
 又市には、何も知らせずに。

 それを後から知った又市の咎める視線に、百介はふぃっと顔を明後日の方へ向けると。
 頬をうっすらと紅に染めて。
「だって折角、又市さんと二人になったのに、宿改めなんかされたら」
 雰囲気がブチ壊しになるじゃないですか。
 拳作って力説した。
「はァ」
 又市は呆れながらも、妙に大胆な告白に、百介の赤くなった横顔を、若気ながら見詰めていた。




2009.11.10 -END-
2009.11.23 再

 

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