狩猟(巷説)
□《豆狸》
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え〜、怪異を一席。
俗に『狸の八畳敷き』とか申しますが、昔の狸はアレで人を化かしたそうですな。
そりゃあ、基がアレでソレですから、頭からおっ被せられたら、生臭いわ息苦しいわ気色悪いわで、襲われた人達は生きた心地もしなかったでしょうな。
なんでも、年季の入った古狸ほど、アレを大きく広げて人々を化かしたそぅで御座います。
じゃあ若い狸はどぅするか、と言うと。
広げた玉袋をば、カーテンみたいにして人を巻き込み、化かすそぅなんで。
まぁ想像してみて御覧なさいまし。
薄暗い山道を歩いていたら、突然バサッと目の前に生臭い皮布が行く手を塞いで、回りをみても皮布を張り巡らされたみたいに抜けられない。
挙句に、どんどん皮布が体に巻き付いて来て、身動き取れなくなって……。
ばっ、と気付けば山の中にポツ〜ンと倒れてる、といった塩梅ですな。
しかも弁当なんかは、綺麗サッパリと喰われてたりするんですから、もう腹が立つやら恐ろしいやら。
え?現代はどうかって?
狸もねぇ、悪戯なんか出来なくなりましたよねぇ。
人が忙しなくなったんですかねぇ。狸が化けなくなっちまったんでしょうかねぇ。
いえね、昔ったって、アタシの婆さまの時代ですよ。
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目の前に皮布が張られてある。
「……えっ?」
慌てて振り返った百介は、今来た道が、やはり皮布で張り塞がれているのに気付き。
背筋が、ゾクゾク、した。
≡≡≡≡≡≡≡≡≡
「な〜んか、考物の先生ェ、不機嫌じゃないかえ」
又さん、なんかしたんだろ?
「決め付けンじゃねぇやい!この宿に付いて早々、あの面だぜ」
奴だって訳が判らねぇんだよ。
予め決めていた木賃宿で、小悪党達と合流した百介は、目に見えて不機嫌だった。
悲しそうで寂しそうで、とても苛立っていて、とにかく不機嫌だったのだ。
普段が穏やかで人当たりも優しい人格なだけに、違和感ありありで、おぎんも又市も首を捻るばかり。
「あ、又市さん」
部屋から出て来た百介は、治平を探している様子だったが。
「先生ェ、機嫌は治りやしたかぃ」
「お恥ずかしい。やはり顔に出てしまってましたか?」
又市の問いに、寂しそうに困ったように百介は総髪を掻いて、苦笑を浮かべた。
「イエね、こちらに来る途中の山道で怪異に出会いまして」
「ほえ?」
「ははあ」
何処の世界に、怪異に出会って嬉しい、怪異が消えて寂しいと拗ねる変人が居るか?
いやはや。
自分達の目の前に、その奇特で酔狂な御人が居るのだ。
又市とおぎんは、顔を見合わせて溜め息を付いた。
「何事も無くて善かったじゃないかえ」
きっと百介のことだ、キャーキャー悲鳴を上げながらも、心底怪異を愉しんでいたことだろう。
「あれはきっと妖怪“豆狸”に違いありませんっ。あああっ、もっと良く見ておけばっ」
悔しがる百介だったが、その妖怪“豆狸”とやらに、どんな迷惑掛けたのか、が気になる処である。
「あの、皮を捲っても捲っても前に進めないって噺は、本当だったんですねっ」
どうやら百介先生、狸の八畳敷きを撫で擦るだけでは済まなかったらしいのだ。
いや、流石に舐めたりかじったりは、しなかったみたいだが。
「先生ェ、それ違ぇから」
「皮布って…先生ェ、そりゃ狸の」
玉袋ってヤツだろうに。
嘆く又市とおぎんの声も届いちゃいない。
悔しいっ、もっと遊んで見たかったのに。
と本気で悔しがる百介に、又市もおぎんも呆れ顔である。
「まさか先生の不機嫌って、妖怪と遊べなかった不満かえ?」
「つーか、途中で消えたって話だから、もっと遊び…いや研究したかったんだろうよ」
「初めての怪異に、もぅ嬉しいやら怖いやらで、燥いでましたら……パッとね、消えてしまったんです」
「《抱き付かれるのは、初めてでしたゼィ》」
「あれ、治平さん」
濡縁に両手を付いて、外歩きをして来たばかり、といった治平がジィっと百介を見上げていた。
「え?とっつぁん」
異常に気付いた又市が、訝しげな声を上げたが、治平は百介だけを見上げて、なお口を開く。
治平であって、治平でない声を張り上げて。
「《長らく、あの山道で人を化かしておったが、抱き付かれ頬擦りされるのは、オイラも初めてのことだゼィ》」
《あんなに人に『歓ばれ』『嬉しがられ』たのでは、人を化かす意味も無くなっちまったゼィ》
これにて、おさらばで御座ンす。