狩猟(巷説)

□《お遣い?》
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 りん、と。
 訪いを告げる神鈴の澄んだ音色が、離れの裏木戸から響く。
「又市さんっ」
 跳ね飛ぶような勢いで、障子窓を開けた百介は、童のごとく満面の笑みを浮かべて、札撒き御行を迎え入れた。
「こんな時分に失礼致しやす、先生にはお変わりも無く」
「久し振りですね、又市さん。良く訪ねて下さいました」
 逢いたかった、と目が口程に物を言う百介に、又市は行者包みの頭を掻く。
「文を頂きやしたからね」
「は?又市さんに?」
「へい、先生ェから、で」
 何とも手間隙掛かる文の届回りでやしたね。
 又市にそぅ言われて、ハテサテと百介は首を傾げる。
 手紙なんて、又市が何処で何してるかも全く知らない自分が、出せる筈もないのに。
 困惑と疑問が百介の顔一面に出ているのを見て、又市は懐を探って蛇腹に、というかクチャクチャに揉み折られた半紙を掴み出す。
「ええ…、『逢いたい逢いたい、恋しい恋しい、会えない、哀しい、寂しい、逢いたい』で―――」
 最初の一言二言を聞いて、『わっ』と悲鳴を上げた百介は、耳まで赤くしながら又市の手に有る半紙を奪い取ろうとして、飛び付いた。
 それを遮るように、身を捩じり、読み上げていた半紙を持つ手を高く延ばして、又市は若気た笑みを浮かべながら、百介の必死の動きを交わしてしまう。
「なっなっ何でっ反故にしたモノが貴方の手にっ?」
 くしゃくしゃに丸めて捨てた筈だと百介は口走って、又市の笑みは益々深まった。
「じゃあ、こりゃあ矢張り、先生ェが」
 真っ赤な顔で、何やらア〜だのウ〜だのと唸り声を上げていた百介は、上目使いで『何処で手にされたのか』と問えば。
 又市はニヤニヤと笑って…
「先生ェの事ならば何でも判っちまいますよ」
 と、嘯いた。


 かあっ、と裏庭で烏が鳴いた。
《百介様、嬉しい嬉しいっ》
 その、人の耳には入らぬ筈の声を、“妖怪遣い”の又市は聞き付けて眉根を寄せる。
『ちっ、五月蠅ェぜ、九郎』
《九郎、百介様に御奉公!》
 又市が裏庭を睨めば、すっかり大きくなった烏天狗の九郎が、百介のお役に立てて嬉しい、と羽根をバタバタさせて鳴いているのだ。
「先生ェにゃあ奴が付いておりやすよ」
《カアっ、九郎も居る、九郎も百介様の側に居るっ》
「嬉しいです、又市さん」
 ニッコリと笑みを浮かべた百介を胸に抱き締め、又市はニンマリと笑う。



 さて、存分に百介の相手をして満足した筈の又市だが、帰り際に裏庭の木の枝をパッと片手で空を掴む仕草をして、木戸から出て行った。
 実は、空を切ったように見えた又市の手には、しっかりと烏天狗の嘴が引っ掴まれていたのだ。
 以下は、生駒屋の離れの裏板塀で交わされた又市と烏天狗・九郎の会話。



「大体、何で手前ェが江戸の町中に出て来やがる?」
 烏天狗は山の奥と決まってるだろが。
 又市が毒付けば、小僧程の身丈に成長した九郎が、『クワアっ』と小馬鹿にしたように鳴いた。
『愛宕山十三天狗の親方様が、きちりと奉公致せ、と命じられた』
 畜生人間ならばイザ知らず、れっきとした妖怪ならば受けた恩は必ず返さねばならぬ、と言われたとか。
『九郎、修行したっ。百介様のお役に立てるよう、精進したっ』
「あ〜、そりゃアなあ〜」
 手の中に収まる位に小さな雛だった烏天狗の九郎を、妖怪と知っていても世話をした物好き先生は。
「だがな、先生ェにゃ今の手前は見えねぇよ」
 妖怪に逢いたい見たいと旅して回っているが、生憎闇にも染まらぬ眼の持主で。
 こんな近くに(離れの内外は百介を慕う妖怪共が大量に群れ集っている状態)烏天狗が居ても、主の百介は全く気付きもしていない現状、なのだ。
『関係無い、九郎、百介様に御奉公するっ』
「意味判ってんのかよ」
 又市は疲れた溜め息を吐いたのだった。

 この僅か数日後、烏天狗の九郎は人間の小僧に化けて、見事、生駒屋に奉公に上がり、又市にしかめ面をさせることになるのだが……それはまた、後の機会に。




     ―END―
 

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